現時点(西暦2000年)で、多くの人間は、ある範囲のことがらを、あたかも「存在しないかのごとく」扱う傾向があるようだ。排泄に関すること、性に関すること、あるいは死に関することなどだ。これらは、とくに必要ない限り、避ける話題だろう。これらは、コンピュータ用語でいう「低水準」の話題だ。ここで「低水準」とは、いわゆる「レベルが低く下劣」という価値概念のことではなく、記述概念として、「人間のからだの、生理的、物理的、機械的側面」にかかわることをいう。人間は、そのような低水準のメカニズムに支えられて、その上部で、「人間的」活動を行う。
高水準の活動中に低水準からの割り込みが入るときというのは、妖精学的につねにおもしろい局面だ。恋人とデート中、レストランで優雅にワインを飲んでいたら、とつぜんワインが気道に入ってしまいむせかえるとか、教壇で神の国の話をしている神父さんがとつぜんおなかの調子が悪くなり、大きな音とともに下痢便を漏らしてしまうとか、演奏中にオーケストラの楽員が我慢できずにくしゃみをしてしまう……といった局面は、その例だ。
これらは、コンピュータ用語でいう「例外」である。通常、無意識レベルでコントロールされていて起こり得ないはずのエラーが、とつぜん発生し、意識レベルに割り込んでくる。しゃっくり、くしゃみ、おなら、むせかえる、などは、その例だ。また、おしっこや、うんこを出さなければいけないときというのは、通常なら、充分に前もって意識に知らせがあり「空き時間ができたらトイレに行ってください」という整然としたタイムスライスの要求があるので、適当なころあいを見て、人間のプロトコルにのっとり、整然とトイレに行くことができる。ところが、あまりにとつぜん「大至急」の排出命令があり、しかるにその要求を、人間的プロトコルに従うとそれほど至急には処理できない場合(電車やタクシーに乗っている場合など)、高水準の人間的プロトコルと、低水準の生理的欲求のコンフリクトが発生する。
例えば、肛門括約筋制御エラーについて考えてみよう。通常、この筋肉は自動でコントロールされ、勝手にうんこが出ないようになっている。うんこを出したい場合には、意識の側から働きかけ、特別のコマンドを投入するのがふつうである。人間的プロトコルでは、ゆっくり静かにトイレと呼ばれる場所に個体を移動させ、次に便器と呼ばれるものがある区画に入って、ドアの鍵をしめる。すでに鍵が閉まっている場合、その区画は使用中であって、鍵があくまで使えない。すべての区画が使用中またはアクセス禁止状態(故障中)のときは、待ち行列に加わらねばならない。区画に入って鍵を閉めたなら、整然と衣服を移動させ、肛門を露出させ、便器と結合させる。この状態になってから、肛門括約筋に命令を送るのである。人間的プロトコルは、うんこを出す場合、なるべく余計な音をたてないように推奨しているが、これは必須ではない。うんこを出したら、次に紙で肛門部をふく(この場合にも、紙切れなどのエラーが発生することがある)。使用した紙をどうするかは、文化によって違う。水洗便所においては、次に水を流すという処理を行うが、ここでも、水が流れない(!fopen)とか、配水管がつまる(!fwrite)とか、水が止まらない(!fclose)といった、低水準のエラーが発生することがある。
また、うんこの一部または全部が便器からはみ出てしまう場合がある。このような場合の人間の動作は未定義であり、動作が不安定になる(個体によって挙動が異なる)。プロトコルが定めるのは「排泄物を目撃されるべきではない」という原理と「排泄物に触れるべきではない」という原理であるが、うんこがはみでてしまった場合は、これらを両立させるのが難しい。予期せぬ紙切れエラーの場合も処理系が不安定(パニック)になることがある。鍵が閉まらない、閉めた鍵があかなくなる、鍵をかけ忘れ使用中にドアをあけられる……といった「例外」は、忘れたころに発生し、個体をフリーズさせる。
肛門括約筋制御エラーの、エラーレベル1は、準備ができていないのに、筋肉に命令を送らなければならない状態である。ふつうは自動で処理される部分を、意識的に処理している状態だ。すなわち、うんこが漏れそうで必死にがまんしている状態である。これは致命的エラーではなく、なんとか整然とトイレに到達できれば、あとは整然と回復する。
エラーレベル2は、準備ができていないのに、かつ、命令を送ってもいないのに、うんこが出てしまう状態である。このエラーが(とくに人間的局面=秩序ある社会の公衆の面前で)検出されると、個体の動作は非常に不安定になる。ふだんあまり「自分で考える」ことをしない個体でさえ、「下着をはきかえなければならない→どこで新しい下着が手に入るだろう、どこではきかえられるだろう、いちばん早い方法は」と処理系がフル回転し、解決方法が計算されるのである。このエラーは深刻だが、なんとか下着を交換し、もれたものを処理できれば、次の日からは、ふたたび人間的局面に復帰できる。
エラーレベル3では、自力で復帰できず、保守者の介入が必要となる。予期せぬレベルのエラーが頻繁に発生すると、自己診断プログラムは、なんらかの重大な異常が発生していると判断する。この場合、人間的プロトコルは、自力で整然と医師のもとへ個体を移動させることを推奨しているが、緊急の場合には、救急車を呼ぶという非常ルーチンにコントロールを移すことを定めている。
エラーレベル4は、最も重大なエラーであり、人間的プロセスが一時的または永続的に停止してしまう。うんこをもらし、かつ、意識を失っている。しばらくたつと自動で復帰することもありうるが、他の個体の救助ルーチンによって救われる場合もあるだろうし、そのまま生理レベルの活動が永続的に停止することもある。
人間を理解するのに、最も高尚な人間性、すなわち神と人間の接触領域を調べることも必要だが、上記のような、「人間の下方境界」の研究も重要だろう。「極限状況でこそ、真の人間性の意味が問われる」という発想だ。「人間」を等身大で理解するには、頭のてっぺんばかりか、足の指先も考える必要がある。