微積分を使わず、算数的にケプラー方程式を導く。倍角・半角などの公式を使わずに、離角の関係を導く。特別な予備知識は不要。
ケプラーの法則によると、一定時間に地球が軌道上で「塗りつぶす」面積は一定。次の図の黄色い部分の面積が、一定の割合で増えていくという。
図の黒い楕円が地球軌道。軌道上の P が地球。中央付近の S が太陽。W は、軌道上で一番太陽に近い点で、角度を測り始めるスタートラインに当たる。地球の現在位置を表す角度 v = ∠WSP を真近点離角という。楕円の長半径(一番長い半径=図の横方向)を a、短半径(一番短い半径=図の縦方向)を b とする。
太陽 S は、楕円の中心 O とは少し違う位置(焦点)にある。このずれは、離心率 e という値(0以上1未満)で表され、OS 間の距離は ae に等しい(離心率の意味は後述)。
太陽の近くでは v がどんどん増え、地球は高速に公転する(いっぱい動かないと、一定面積に達しない)。太陽から遠い場所では、ちょっと動くだけで塗りつぶされる面積が大きく増えるので、地球はゆっくり動く。
どうやって黄色の面積を求めましょう?
次のように、「楕円の扇形」WOP の面積(水色+黄緑+黄色)を求めて、三角形 OSP の面積(水色)を引き算すればいいでしょう(説明の都合上、最初の黄色の部分を「黄緑と黄色」に分割した)。
ここで赤と緑は、それぞれ楕円に外接する円、内接する円。「楕円の扇形」WOP は、「円の扇形」WOR の b/a の面積を持つ。というのは…
水色と黄緑について、それぞれ楕円バージョンを円バージョンと比べると、どちらも「底辺の長さが同じで、高さが b/a の三角形」。楕円は「円の横方向を一定に保ったまま、縦方向を b/a にした図形」なので、そうなる(|OC| = a, |OB| = b)。楕円のかけら(黄色の部分)についても、同様の理由から、円のかけら(黄色の部分)と比べて、面積が b/a になっている。円の面積は「半径×半径×円周率」だが、楕円の面積は「長半径×短半径×円周率」。円・楕円それぞれの黄色い領域は、円全体・楕円全体から見て、同じ割合で切り取った「かけら」に当たる。
積分についてご存じの方は(知らなくてもとりあえず問題ないけど)、次のようにイメージすれば上記の話は「当たり前」。つまり、曲線の下の領域の面積は「幅が限りなく小さい長方形の面積の和」。円バージョンと比べた場合、楕円バージョンでは、その長方形たちの高さが全部 b/a に圧縮されているのだから、当然、面積もその割合で小さくなる!
円の一部である普通の扇形 WOR の面積は、もちろん中心角 E に比例する。赤い円全体の面積は πa2。角度 E を「°」単位で表した場合、扇形の面積は:
日常の角度の単位は「°」だが、理論上では「360°」を 2π とする弧度法というシステムで角度を表すと、便利なことが多い。その場合、扇形の面積は:
そこから引き算される水色三角形の面積は、底辺の長さ |OS| = ae と、三角形の高さ TR によって決まる。直角三角形 OTR を考えると、三角関数【※】の定義から、TR は a sin E に等しい(赤い円が半径 1 の単位円なら対辺は単純に sin E だが、赤い円の半径は a なので、その比率で辺の長さも拡大される)。
【※三角関数について知りたい方は、こちらの覚え歌を…。以下では、三角関数の定義とピタゴラスの定理を使う。】
「底辺×高さ÷2」の公式を使うと、水色三角形の面積は:
楕円バージョンの三角形や「楕円の扇形」の面積は、いずれも円バージョンの対応する図形の面積の b/a に当たる。つまり、離心近点離角が E のとき、ケプラーの「塗りつぶされた面積」は:
楕円全体の面積 πab を基準にすると、離心近点離角が E のとき、次の割合が塗りつぶされたことになる。
例えば、この値が 0.1 なら楕円全体の 10% が塗りつぶされ、0.2 なら 20% が塗りつぶされている。これは一定の割合で進む単純な現象だけど、塗りつぶされる領域が複雑なので、「塗りつぶしが 20% のとき、角度 E の大きさは?」といった問いに答えることは、難しい。
手掛かりを得るため、本物の地球とは別に「その位置を表す角度 M が、時間に比例して増加する」という理論上の地球を考えよう。この「架空の地球」は、本物の地球と同時にスタートライン W を出発し、一定の角速度で公転する。そして一周の所要時間は本物の地球と同じ(つまり平均速度が同じ)…と仮定する。リアルな地球は軌道上の位置によって角速度が変わるから、途中地点では「架空の地球」より前になることもあるだろうし、後ろになることもあるかもしれない。とにかく一周の所要時間はどちらも同じ、と仮定する。
塗りつぶし完了率は、時間に比例する。理論上の角度 M も、単純に時間に比例する。「角度 M が 2π (=360°) の何パーセントに達しているか」は、式 (1.1) が表す割合と一致し、次の関係が成り立つ。
角度を弧度法で表し、100% を 1 とすると:
この比を変形すると:
これがケプラー方程式。理論上の角度 M と、リアルな地球の位置を反映する角度 E は、このような関係になる。
右辺の引き算の意味をたどってみると、「塗りつぶされた面積は、だいだい楕円の扇形の面積と同じだけど、水色三角の分を補正してね」ということを言っている。水色三角形の底辺の長さは離心率 e に比例し、水色三角形の高さは sin E に比例するのだから、右辺第2項は、大筋ではこんな形になるだろう。「三角形の面積だから 2 で割る」ということと「360° を 2π とする」という定義の相互作用により、比例係数がきれいに約分された。
角 v が 180° ~ 360° の場合、角 E も同じ範囲になる(このことは図からも明らか)。この範囲では、最初とひっくり返しになって、水色のエリアが「太陽から見ると既に塗りつぶされているが、中心から見るとまだ塗られていない」状態になる。つまり「塗りつぶされた面積=楕円の扇形、プラス、水色三角」となる。けれど、この範囲では sin E が負になり水色三角が「負の面積」を持つ。そのため、結局ケプラー方程式は、そのまま成り立つ(右辺のマイナスが、実質プラスの働きをする)。
「黄緑エリア」は説明の便宜上の色分けで、計算には関係しない。角 v の大きさによって「黄緑」は黄色の一部になることも(最初の図の場合)、水色側になることもある。
天体力学では、中心角 E のことを離心近点離角と呼ぶ。中心角なのに「離心」というのは変な用語だが、天文学者にとって、太陽系の中心(重力の中心)は太陽付近。O は、その中心から離れた場所にある…ということらしい。
楕円の離心率は e で表されることが多い。「自然対数の底」も e で表されるが、それとは全く意味が異なる。
ケプラー方程式 M = E − e sin E は、理論上の角度 M と、離心近点離角 E の関係を教えてくれる。M については、地球の公転周期から「1年で 360° だから1日では…」などと比例配分するだけだし、ケプラー方程式を使えば、そこから E も分かる。
けれど、それだけでは、肝心の v(太陽から見た本物の地球の位置)について何も分からない。天文計算などに利用するためには、E をさらに v に変換する必要がある。
楕円という図形は、長軸(図の AW)上に2個の焦点を持つ。地球の楕円軌道について言えば、焦点の一つは太陽 S。反対側にもう一つの焦点 F がある。中心と焦点の距離 |OS| を c としよう(楕円は左右対称なので c = |OF| でもある)。
そもそも焦点とは何だろうか。それは、楕円の持つ次の性質と関係している。
「楕円とは、そういう性質を持つ図形のこと」「距離の和を測る基準となる2個の点が焦点」…と定義することができる。
これを感覚的に確かめる一つの方法は、ひもか糸で輪を作って、紙の上でその輪の中に2本指を突き、一定の張力でピンと張った場合に輪がどこまで達するか調べること…。反対側の手でペンを持ち、輪が到達した点に印を付けていくと、結果は楕円になる。この場合、2本指の位置が二つの焦点。「輪の長さマイナス指の間の幅」が一定なので、描かれる図形は上記の定義を満たす。使えるひもが なければ、適当な素材(例えばコンビニの袋)を分解して、よじって作ろう。
この「距離の和」というのは、具体的には 2a に等しい。実際、勝手な点 X として長軸の端の点 A を選ぶと、一方の焦点からそこまでの距離は a + c、他方の焦点からそこまでの距離は a − c、その和は 2a。「和が一定」という定義から、一カ所で測って 2a なら、どこで測っても 2a になる。今度は X として短軸の端の点 B を選ぶと、左右対称なので |SB| = |FB| = a となる。
楕円の離心率 e は c/a に等しい(長半径を 1 として、焦点が中心からどのくらい離れているか)。従って:
直角三角形 OFB にピタゴラスの定理を適用すると b2 + c2 = a2 となり、(2.1) を使うと:
一方、|OR| = a なので(赤い円の半径)、三角関数の定義から:
「楕円は円を縦方向に圧縮したもの」という発想を (2.4) に適用すると:
b2 を (2.2) の右辺で置き換えると:
ST は OT − |OS| に等しい。(2.3), (2.1) を使うと:
最後に、直角三角形 STP にピタゴラスの定理を適用しよう。(2.7), (2.6) を使うと:
三角関数の基本性質(ピタゴラスの定理)から cos2 E + sin2 E = 1 であり、従って cos2 E = 1 − sin2 E でもある。だから e2 − e2 sin2 E = e2(1 − sin2 E) = e2 cos2 E。これらを使うと:
左辺の r は距離なので、右辺が負にならないように「±」の符号を選択する必要がある。a は楕円の長半径なので 0 より大きい。−1 ≤ cos E ≤ 1 であり、楕円の離心率は 0 ≤ e < 1。従って、マイナスを選ぶと右辺は負になってしまう。プラスを選ぼう:
(2.8) は、地球・太陽間の距離 r を a, e, E で表したもの。これを使って未知数 r を消去すれば、E と v の関係が分かる…。
図の直角三角形 TPS に注目すると、TP = r sin v。一方、(2.5) から TP = b sin E でもあるので:
(2.2) から:
(3.2), (2.8) を (3.1) に代入すると:
真近点離角 v の正弦が、離心近点離角 E で表された!
真近点離角の余弦を離心近点離角で表す式も、簡単に作ることができる。(2.1) を使って:
(2.8) を使って r を消去し、a で約分すると:
v の余弦が、E で表された!
(3.3), (3.5) を組み合わせると:
v の正接が、E で表された!
(3.6) の右辺に E を入れて tan v を求め、tan v から角度 v を逆算することにより、E を v に変換できる。(3.3) や (3.5) を使って、同様の変換を行うこともできる。とりあえず道はつながった。
三角関数は周期的に同じ値を取るので、どの式を使うにしても「象限が自動的に分からない」という小さな問題がある。例えば「tan v が 1 ですよ」と言われた場合、v = 45° かもしれないし v = 225° かもしれない。v と E はだいたい同じ角度なので、常識で考えれば「180° 反対の位置」と間違うことはないが、ちょっと紛らわしい。
この問題を解決する一つの方法は、tan v ではなく tan (v/2) の式にすること。v が −180° から +180° まで変化するとき、tan (v/2) は −∞ から +∞ までの値を1度ずつ取る。これなら一対一の対応になり、曖昧さがない。副作用として v = ±180° の場合が計算しにくくなるが、v = ±180° の場合には、計算するまでもなく作図から E = ±180°。
図のように、斜辺の長さが 1 の直角三角形 △OTP と ∠O = θ を考えてみよう(この図は、ケプラー方程式と関係ない一般的な状況を表している)。三角関数の定義から、隣辺 OT の長さ p は cos θ、対辺 TP の長さ q は sin θ。
直線 OT 上の図の位置に、△COP が二等辺三角形になるように、点 C を置く。∠COP = 180° − θ なので、この二等辺三角形の2個の底角の和は θ、1個の底角は θ/2。
直角三角形 △CTP と ∠C = θ/2 に注目すると、隣辺 CT の長さは 1 + p = 1 + cos θ、対辺 TP の長さは q = sin θ。従って、タンジェントの意味から:
この関係は、任意の角度 θ について成り立つ(詳細は別記事)。つまり (3.7) は、θ と無関係に常に成り立つ恒等式。ただし例外として、tan (θ/2) 自体が定義されないケースでは、(3.7) は意味を持たない。−180° ≤ θ ≤ 180° の範囲では、θ = ±180° が例外ポイントに当たる。前述のように、離角が ±180° の場合、角度の変換結果は分かり切っているので、式の上で ±180° が扱えなくても実際上あまり困らない。
(3.3), (3.5) を恒等式 (3.7) に代入すると:
この「×」の後ろの部分は、恒等式 (3.7) により tan (E/2) に等しい。一方、「×」の前の部分を整理すると:
従って (3.8) は、こうなる。
(3.9) を変形すると、逆変換の公式も得られる。
これらを使えば、象限で悩むことなく、「離心」近点離角と「真」近点離角を相互変換できる。
関連記事「「春夏秋冬」は「夏秋冬春」より長い」では、ケプラー方程式や離角の変換の式を証明なしで使ってしまった…。この小さな記事は、そのギャップを埋めるもの。FN先生の「楕円軌道とケプラー方程式」(正誤表)と、Calvert先生の「Ellipse」を参考にした。
天文計算の典型的なパターンでは「平均」近点離角 M を「真」近点離角 v に変換したい。(3.9) はその変換プロセスの半分にすぎず、(3.9) を使うためには、その前段階として、まず「平均」を「離心」に変換する必要がある。それには、最初に戻って、次の形のケプラー方程式を解けばいい。
この部分については、数値的な計算は簡単だが、数学的な扱いが難しい…。
ともあれ (3.9) によって、少なくとも問題の半分は解決した。真の問題であるケプラー方程式も、一応「証明」できた。計算の順序を工夫することで、「三角関数の最初歩だけ知っていれば、ここまでは全部理解可能」という道筋が得られた。
追記: この記事は「倍角・半角などの公式を使わない」設定になっている。(3.7) については、「公式」として天下り的に使わず、図解によってそうなることを示した上で利用した。つまり「半角の公式」についての予備知識を仮定していない。
追記2: 続編「ケプラー方程式・2 エロい感じの言葉」を公開した(この記事の別解・発展)。
真近点離角と離心近点離角は、(3.9), (3.10) により、どちらからどちらへでも変換できる。その意味で既に逆変換は可能だが、ここでは (3.3), (3.5), (3.6) の逆バージョン(E の正弦を v で表す式など)を作る。
(2.8) を使って r を消去すると:
ところで、(4.1) を使うと (2.8) から E を消去できる:
この式は、地球の真近点離角 v を、太陽・地球間の距離 r に対応させている。…ここでは使わないが、v と r を組み合わせると、地球位置の「極座標表示」になる。(2.8) も r を表す式だが、それは離心近点離角 E を使った式で、太陽を「中心」とする式(v を使った式)ではなかった。
(3.1), (3.2) から:
この左辺に (4.2) を代入し、両辺を a で割ると:
ゆえに:
(1 − e2) / √(1 − e2) = √(1 − e2) なので:
(4.3) を得る別の方法: (4.1) を使って次のように機械的に計算して、両辺の平方根を考えてもいい。
(4.3), (4.1) を組み合わせると:
(4.3), (4.1) を恒等式 (3.7) の右辺に代入すると:
「×」の後ろの部分は、恒等式 (3.7) により、tan (v/2) に等しい。「×」の前の部分は:
従って (4.5) は次のように整理され、再び (3.10) が得られる:
v から E を求めたい場合、一般論としては (3.10) を使う方が便利。(4.4) を使った場合、象限が自動決定されない。(4.4) の分母には、変な零点もある。普通の数学の範囲外(プログラミング言語の領域)だが、atan2
というツールがあれば、(4.4) を便利に使うこともできる。
極座標表示を先に導入して、(4.2) から (3.5) を導いている文献もある。本文でやったように、全ての式は極座標と無関係に自然に導出され、そこから逆に(必要なら)極座標表示を導くこともできる。その方が最小構成的で明快だろう。
「ケプラー方程式(微積・三角公式を使わないアプローチ)」の別解・発展。
1. 図において LK = b sin E なので、もし TP = LK が示されるなら、TP = LK = b sin E となって、(2.5) が得られる。
TP = LK を示すのは難しくない。「楕円は円を圧縮したもの」という性質から、TP は TR の b / a 。一方、直角三角形 OKL は △ORT と相似で斜辺の長さが b / a 。従って LK も TR の b / a 。ゆえに TP = LK。
1.1 代わりに、直角三角形 OKU に注目してもいい。OU は ∠OKU = E の対辺なので、同じ結論が得られる。
1.2 上記二つの方法に共通の問題点。「P を通る水平線と OR の交点は、内側の円周上にある」ということは、自明ではない。それを言うためには TP = LK を示せば十分だが、そのときどうせ TR : TP = a : b という性質を使うのなら、その性質を TR = a sin E という事実(一目瞭然)に直接適用した方が、話が早い。「楕円と離心率」の本文では、そうしている。
2. 円ではない楕円には、二つの焦点のそれぞれに対応する準線という直線が(同一平面上に)あって、準線は次の性質を持つ。
商が定義されるのだから、楕円上の任意の点について |Xδ| ≠ 0 のはずで、準線と楕円は決して交わらない。短軸の両端 B, B′ のどちらから見ても「F までの距離」は同じなので、B, B′ のどちらから見ても「δ までの距離」は等しいはず。「準線は楕円の外側の離れた場所にあって、短軸と平行」ということになる。
2.1 楕円の中心 O から準線までの距離 h = |Oδ| は、B から準線までの距離 |Bδ| に等しい。|BF| = a なので:
2.2 この関係を利用すると、(2.8) が簡単に得られる。太陽のある焦点 S に対応する準線を δ として:
この方法は一見エレガントだが、「離心率 e が 0 の場合」を扱えないという欠点を持つ。つまり、円と楕円で場合分けする必要がある。e = 0 なら (2.8) は自明なので、場合分けして証明するのは簡単だけれど、「円は楕円の一種ではない」「分けて考える必要がある」というのは納得がいかない…。肯定的に考えると、このモヤモヤは、幾何学の枠組みを見詰め直すモチベーションを与えてくれる。
2.3 (5.1), (2.1) から:
楕円の準線は短軸に平行な直線で、楕円の中心から見て上記の距離の場所にある。
逆にそのことを仮定して「楕円の方程式」などを利用すると、上記の性質が示される: 円ではない楕円上の任意の点について、「そこから焦点までの距離」と「そこから準線までの距離」の比は一定で、その比は離心率に等しい。証明は難しくないが、ここでは事実の紹介だけ。
3. 式 (4.2) の分子を p と置くと:
p = a(1 − e2) は楕円ごとに決まっている定数。(5.3) の分母が大きければ大きいほど、地球は太陽に近く、分母が小さければ小さいほど、地球は太陽から遠ざかる。離心率 e を定数とすると、分母の大小は cos v にのみ依存し、cos v はもちろん v = 0 のとき極大、v = π (=180°) のとき極小。前者は地球が
逆に上記を出発点とすると、
となって、(4.2) の分子が得られる。さらに:
これと (5.4) を組み合わせると c = ae となる。つまり、(5.3) を出発点として、離心率の式 (2.1) を導くこともできる。
4. p は目立たない存在ながら、楕円のいろいろなパラメーターと結び付いている。一体何者だろう。
(5.3) によれば、p は v = π/2 のときの r に等しい。「楕円の焦点を通り、長軸と直交する直線」が楕円と交わる2点について、その2点間の距離を漢語で通径、ラテン語で lătus rectum という。p は通径の半分に当たり、半通径と呼ばれる。イメージ的には「短半径の焦点バージョン」。
latus rectum って、なんかエロい雰囲気の言葉だな…。英語圏の人は、そう感じるようだ(笑)。子ども向けのページ Conic Sections(広告あり)には「下品な(エッチな)言葉じゃありませんよ!」と注釈が付いている。College Algebra (2013) の p. 507 にも「これは真面目な数学用語」という趣旨の脚注が付いている。
rectum は、ラテン語では「真っすぐな、正しい」という意味の普通の言葉だが、英語では「直腸」つまり「お尻の穴の奥の場所」を指すので、学生は笑ってしまうのだろう。日本語で言えば「完全変態」とか「虚根」みたいな用語かな…。そういう目で見ると lătus は ānus に似ている。
長軸・短軸が楕円の大黒柱のようだが、力学的には中心より焦点の方が重要(太陽もそっちにいる)。焦点につながっている通径の方が、実は短軸より「偉い」のかもしれない。楕円の通径は短軸に平行なので、当然、準線とも平行。
5. 半通径の長さ |SD| = p を直接計算してみよう(画像参照)。直角三角形 FSD において、|FS| = 2c = 2ae。|SD| + |DF| = 2a なので |DF| = 2a − p。従って:
再び (5.5) が得られた。
半通径 p は長半径 a の (1 − e2) 倍。一方、(3.2) によると、短半径 b は a の √(1 − e2) 倍。従って、a → b → p は次々と √(1 − e2) 倍の割合で短くなり、下記の関係が成り立つ。
ヒトの体は約25兆の細胞から成るが、体には65兆の細胞が…。本人以外の40兆は何なんでしょ?
注: この記事は「ラリルレロに濁点を付ける」という前衛的な実験(?)なので、ラリルレロに濁点や半濁点が付いています。
ヒトの体は、推定21~30兆個の細胞から成る。けれど、体内や体表には、計65~68兆個の細胞があるらしい[1]。あなたの中にある細胞の過半数は、あなたのものではなく、一緒に住んでる微生物・バクテリ゚アのもの。
潔癖性の人は気分が悪くなるかもしれない。でも共生する連中の中には消化を助けるような機能もあって、むしろいないと困るらしい。そういえば「ものすごい数の菌を腸に届けるヨーグル゚ト」的な製品って、普通に売ってるよね。
SFなどに登場するテレ゙ポーテーション能力者は、自分と一緒に服や靴や持ち物も瞬間移動させられるのだろうか。実用上そうでなければ困るが、もし「自分だけ」しか移動できないなら、テレ゙ポーテーションのとき、(身に付けているアクセサリ゚ーどころか)体内の細胞の半分が置き去りにされてしまう(質量的には約200グラムらしい)。あまり美しくない事態が発生しそうだ…。
人体は、惑星のような「小さな生態系」。人が何となく「地球は永遠」と思いながら地球上で生活しているように、おチビさんたちは「この世界」は永遠だと考えて、のんきに暮らしているのだろう。それとも殊勝にも「世界が終わるときには、ぼくらも終わるのさ」と悟り澄まして生きているのだろうか。案外この連中、宿主よりもたくましく、世界が終わっても別の場所で生き続けるのかもしれない。
[1] Ron Sender, et al. (2016): Revised Estimates for the Number of Human and Bacteria Cells in the Body: 体重 70 kg の標準的な男性の場合、人体の細胞の総数30兆個、菌類の総数38兆個。体重 60 kg の標準的な女性の場合、細胞の総数21兆個、菌類の総数44兆個。
[2] Eva Bianconi, et al. (2013): An estimation of the number of cells in the human body: [1] の数年前の研究。人体の細胞は37.2兆個と推定されていた。
原子レ゙ベル゙で見ると、人体は酸素・炭素・水素・窒素・カル゙シウム・リンなどから構成されている。これらの原子は、すべて宇宙で生まれた。
水素はビッグバン直後からあったらしい。もう少し重い原子は、恒星の生涯の中で作られる。もっと重い一部の原子は、ある種の星が爆発するとき、その爆発のショックで生まれるらしい。
星の寿命が尽き爆発するとき(それが本当の誕生日かもしれない。その爆発は「新星」と呼ばれる)、水素やヘリ゙ウム、そして星自身が何億年もかけて作ったいろいろな原子が、宇宙に散らばる。その流浪者たちが、あり得ない確率で集まったのが地球の風景。そこにある一粒一粒の原子は、奇跡のような存在。ヒトの体も、もちろんその一部。人体の中は、星の記憶でいっぱいだ!
原子の実体は、ほぼ100%「隙間」。相対的に点のように小さい陽子・中性子と、さらに小さい電子から成る。
もし「無限の視力」を持つ観測者があなたの体を見ると、それはスイスチーズより穴だらけで、ジャングル゙ジムのように「すかすか」だろう。人間に限らず、この世のあらゆる物体は、希薄な霧のようなもの。例外があるとすれば、中性子星かな?
「大部分は自分以外の細胞だとしても、とにかく私の体は存在している」と人は感じる。少なくとも、通常その感覚を維持できるように、脳は「意識」というユーザーインターフェースを維持する。
少し幻想的だが、実際、体の「パターン」は存在している。実行中のプロ゚グラムがプロ゚セス空間に存在しているように。
もっとも、そのパターンを構成している中身は常に入れ替わっている。人体の大部分は水だといっても、「これは私の水分子。私の所有物」というものがあるわけではなく、常に新しい水が入り続け、古い水が出続ける。そうでないと破綻する!
ゆく河のながれは絶えずして、しかもゝとの水にあらず。宮澤賢治の言葉を借りれば「ひかりはたもち、その電燈は失はれ」。
海面で美しくきらめく波。大きく、力強く盛り上がる波。「海の一部がそういう形になっているだけ」だが、それが「波」というもの…。
人は自由意思を持って、望むように生きることができる…少なくとも、そうであってほしい。
人生をどう活用するのも、どう無駄にするのも本人の自由かもしれないが[3]、一つだけ、本人の自由にならない約束事がある。それは「あなたのパターンを作っている分子・原子などは、すべてレ゚ンタル゙。請求があり次第、速やかに返却しなければならない!」というル゚ール゙。王様も億万長者も、このル゚ール゙には逆らえない。
借り物の命。どんなに栄えても、分子1個すら、誰にも所有できない。借り物の死。波が消えても、海の何かが消えるわけではない。
悲観的な人は、不満を抱くかもしれない。「こんな蜃気楼のような世界に、何の意味があるのだろう」と。楽観的な人は、逆に「だからこそ、生は素晴らしい」と感じるかもしれない。あれこれ考え合わせると、永続的な義務がないのは、良いことだろう。「期間限定」だからこそ「今のうちに張り切って楽しもう・有効活用しよう」という気分にもなる。意識が無制限にだらだら続いたら、そのうち遊びもやり尽くして、飽きてしまうだろう。
[3] Batō: Hell, this is my own life. How I decide to waste it is my own damn business.
(GitsSAC ep. 24)
雲が消えなければ雨が降らず、花は困る。花が終わらなければ種ができず、リスは困る。…どこまでも続き、絡み合い、循環する連鎖。森羅万象はリ゚ソースを交換し続け、分け与え続ける。その恵みを受けて生きる私たちだって、やがて全分子を返す。
命という不思議な現象。それが貴いものだとすれば、自分にできる一番いいことをして、新しい命のために惜しみなくシェアすることは、二重に素晴らしいことだろう。でも、もしかすると、地球から見て「命」は「迷惑なカビ」のようなもの…なのかもしれない(笑)。
命ある者が「尊い命」を自称するのは、ずうずうしい。宇宙では命がない状態がデフォで、人は「命のない星」から生まれた。命が貴いなら、それを生み出す物質も貴い。ほとんど真空の宇宙では、分子・原子・素粒子の一つ一つは極めて珍しく、貴重な存在。けれど、何かが「尊い」わけではない。生命と非生命の間に「尊さ」の上下関係を仮定するのは、正しくない。
「生命は尊い」を公理とすると、比較において「無生物は尊くない・死は生より劣る」となってしまう。それはおかしい。星くずから生まれ星くずに返る私たちは、星くずの一時的形態であり、星くずと同じ価値を持つはずだ。「生命は特権的に尊い」わけではない。
生命体の価値観は、生命寄りに偏ってチューニングされている。何億年もかけて最適化されたハードウェアなのだから、当然のこと。羽虫が目に入りかければ反射的に目を閉じ、ウイルスが体内に入り込めば全自動で免疫システムが反応する。むしろこのハードの完成度(億年単位の進化)は、人間のココロの完成度(言語推論を始めてせいぜい1万年単位のオーダー)より上位だろう。ココロ(例えば信仰)は意外と未熟で、物質(例えば一杯の水)の方が深遠なのかもしれない。
ありがたい説教をする偉い聖職者より、正義のために命懸けで戦う勇敢な兵士より、毎日淡々と畑仕事をする人。「感謝されたい・尊敬されたい・注目されたい」なんて考えもしない人。「いい野菜が取れたから」とぶっきらぼうに手渡す人。善行とか親切とか思いやりとかですらなく、何でもない当たり前のことのように…
カタカナのラリルレロがLを表すとき濁点、Rを表すとき半濁点を付けると面白いかも? という思い付きを実行に移してみた。上記のテキストは、ラリルレロが含まれるサンプル゙。日本語の音素体系の中に異物を混入させてみる実験。
「普通の文章のように見えて微妙に変」なので「不気味の谷」現象が起きるかもしれない。日本語テキストのはずなのに、漢字の字体が日本語以外のバージョンになってるみたいな…。けれど、ラリルレロの清音・濁音・半濁音を「別の音」と割り切って、適当に発音を変えて読むと、だんだん脳が慣れて「昔からある普通のカタカナ」のように思えてくるかも。