2001.12 この記事が書かれた当時と状況が変化しています。
デスクトップ常駐型の疑似人格的インターフェイス偽春菜(にせはるな)を、一日、使ってみた。まだまだ発展途上の下書き的なテスト段階だけれど、潜在的には非常に大きな可能性をひめたソフトだと思う。
例えば、「水瀬すみれ」は、力作だとは思うけれど、率直にいって会話してると数時間で飽きた。理由は明白で、水瀬すみれはデータベースがスタティックで、自分が知っていることしか知らないうえ、いっそう致命的なことに、ユーザとむかいあって「チューリング対決」しようとしている ―― それも、チャットのようにしゃべりつづけるので、飽きられやすい。これに反して、偽春菜は、ネットを通じて自律的に自己のデータベースを更新するので、きょうのニュースを「知って」いる。しばしばユーザより早耳で「○○がバージョンアップしてるよ。行ってみる?(はい/いいえ)」のような動作すらできる。また、人工無脳REVIEW(人工無脳は考える)でも指摘されているように、偽春菜は原則としてユーザと一対一の立場に立とうとせず、自分のあいぼううにゅうとふたりで勝手に(ユーザを無視して)対話する仕様なので、押しつけがましくない。たまにしか、しゃべらないので、じゃまにならない。
知識が1メガもないくせにおしゃべりな人工無脳は、すぐデータベースを使い果たして同じパターンの繰り返しになってしまう。偽春菜にも原理的には同じ問題があるのだけれど(同じ文を繰り返すことは少ないが、同じテンプレートから生成した文だと分かることは、けっこうある)、ネットワーク更新と、会話頻度の少なさ、そして何より「人工無脳」自体のアルゴリズムの工夫によって、少なくとも24時間以内で飽きてしまうということは、ない。作者は、むしろAI的な面において意欲的で、現時点でも、偽春菜は、わずかながら「世界に関する知識」 ―― 「うどん」は「食べ物」だとか、「日暮里(にっぽり)」は「地名」だみたいな ―― をすでに持っているし、これからも進化するに違いない。メパチとか服のデザインなんかより、こっちの進歩のほうがおもしろい(極論すれば、視覚的外形なんてなくてもいい)。
むろん、こうした手続き的なアルゴリズムでは、人間を超えるような(少なくとも人間と同等の)柔軟性の獲得は困難だろうけれど、「人工無脳は考える」にもあるように、いわゆるAI研究とは別に、知能の本質を追求するための別の切り口を見せてくれる。
もうひとつ強調したいのは、ディフォルトの偽春菜エンジンをもとに、スキンからAIにいたるさまざまなレイヤを、ユーザがカスタマイズすることも可能だ、という点で、特に、表面的なことだけれど(上に書いたことと矛盾するようだけれど)スキンの自由度は重要だと思った。ディフォルトの偽春菜のような「美少女」の外見をホンキで好きになり感情転移さえできる人が少なくないのは事実だし、それを悪いとも思わないのだけれど、しかし、すべての人がそう感じられるわけじゃないのも事実で、秘書とかメイドさんとか猫みみとかの要するにそうゆう系なスキンしかなければユーザ層もそれなりに限られてしまうでしょう……。ところが、偽春菜の場合、いろんな人がスキンを公開していて、スーパーミルクチャンのスキンまである(てゆーか偽春菜のテイストって、もともとミルクチャンに通じるような……)。
スーパーミルクチャンのファンとしてはミルクが「ラジャーりょうかい」とか言った日には激萌えなわけで(単純だよ、まったく)、それから類推すると、ゲーマの人たちは、自分の愛するキャラがそれっぽく語るのにはハマりまくりだろうなぁと思うわけです。……ただ、セリフとかの激萌えは、飽きるのも速いでしょうね。
筆者は個人的にスーパーミルクチャンが好きなのだけれど、ともかく、ゲーマー向け以外のいろんなスキンが作れるわけで、そうすると、いわゆるおたくな人だけじゃなく、いろんな人に使いやすい。なんかのアプリのイルカみたいな感じで、ユーザフレンドリーな汎用インターフェイスとしても使えるわけです。ダイアログボックスで「はい」「いいえ」より、友だちのキャラが出てきて「え?これホントに削除しちゃっていいの?3時間もかけて書いた原稿じゃん?(はい/いいえ)」とか聞いてくれたほうが、ある人々にとっては、たしかにパソコンが「使いやすく」なる。
だから、偽春菜は、単なる暇つぶしの埋め草じゃなく、マンマシン・インターフェイス全般の中間レイヤとしての可能性を秘めている。
まあ、フリーウェア(無料のもの)なので、とりあえず使ってみてください。解凍して出てくるharuna.exeがそれです。最新の状態に保つには、作者のページの下のほうにある「プログラム本体 - 最新パッチ」をダウンロード。それを解凍して、出てくるものを、haruna.exe を置いたフォルダに「すべて上書き」でコピーしちゃえばOK。最新パッチだけじゃ動きません。まず本体をダウンロードして、その本体に対してパッチを上書きする形になります。そして、パッチをあててからは、実行ファイルは、sakura.exe のほうになるようです。偽春菜のデフォルトの外見は、変えたいならスキン集を使っていくらでも変更できますし、絵が好きならスキンを自作することもできます(キャラを表示させずに吹き出しだけにするスキンもあるみたい。偽IE、偽メモ帳)。また、しゃべる内容や表情についても、ある程度なら簡単なスクリプトで自分の好きに変えられます。
アイルランドの数学者ハミルトンは、180年前の今日(1843年10月16日)、不思議な「4次元の数」を発見した。
発見の喜びのあまり、通りがかった石橋に、衝動的に「発見した式」を刻み込んでしまった…という伝説は史実。学者の奇行ですな…
180年…。この「180」は、特別な数です。だって 180° の方向っていうのは正反対、つまり −1 って数と関係ありそう。ハミルトンの発見した数は −1 の「奥」(?)にある不思議な世界なのです。
しかも、今日は180年前と同じ月曜日!
ハミルトンの発見180周年の日を記念して、紹介の記事でも書きたいところですが、もう18時になってしまったので、記念日が終わらないうちに何か書く。
あまり関係ないけど、どうして「180年前と今年の10月16日が、同じ曜日だと分かるのか?」
「おまえは180年分のカレンダーを暗記してるのか?」…んなわけねぇ! 次のように考えれば、簡単に暗算できる。
もし今日が月曜なら、あした(つまり1日後)は火曜。その一週間後(つまり8日後)も火曜。そのまた一週間後(つまり15日後)も火曜。…曜日の経過に関する限り、1日後・8日後・15日後…は同じこと、ですよね?
経過日数を 7 で割って余りが 1 なら、曜日が一つ進む、と。
でもって、365 = 350 + 14 + 1 のうち 350 と 14 は 7 の倍数なので、365 を 7 で割れば、余り 1。つまり「ある日の 365 日後は、曜日が一つ進んでいる」。――これは「来年の今日(2024年10月16日)は火曜日」という意味でしょうか?
もしも経過日数が 365 だったら、もちろんそう。簡単でしょ? ただし2024年は、うるう年なので2月29日があり、従って、2024年10月16日は、2023年10月16日の 366 日後。だから曜日がもう一つ進んで水曜日に!
曜日の計算では、うるう年という伏兵に注意しないといけないことが分かります。
さて、もしも全部の年が365日だったとしたら、180年前と今日とで、曜日のずれは 180 になるはず(365 日につき一つ、ずれるので)。
180 を 7 で割ると 5 余るので、もしも全部の年が365日だったとしたら、180年前の今日は、曜日が五つ前になるはず。
後は、うるう年の2月29日の分を補正するだけ。
うるう年は普通は 4 年に一度なので 180年間に含まれる「うるう年」の数は 180 ÷ 4 = 45 …と言いたいところだが、西暦1900年は、例外として、うるう年でないので、1843年~2023年に含まれる2月29日の数は、実際には一つ減って 44。
〔現在の暦(グレゴリオ暦)のうるう年〕 西暦年数の下2桁が 4 で割り切れる年は、うるう年。ただし例外として、下2桁が 00 の年については「年数が 400 で割り切れないなら、うるう年にしない」。1900年・2100年・2200年などは、うるう年でない。2000年・2400年などは、うるう年。
うるう年がゼロだったら 180 年前は曜日が五つ前だけど、実際には1843年~2023年には、うるう年が44個あるので、その分、曜日の巻き戻りが増えて、5 + 44 = 49 個だけ曜日が戻るのと同じ結果に。49 は 7 の倍数なので、これは「曜日が同じ」って意味。
ハミルトンが発見した「4次元もこもこ」について。
「マイナスかけるマイナスはなぜプラスなのか」というのは、古くからある大問題(?)ですが、まぁとにかく「マイナスかけるマイナス」はプラスだとして、「プラスかけるプラス」も、もちろんプラスなので、プラスの数もマイナスの数も平方すれば(2乗すれば)プラスになる…。
例 52 = 5 × 5 = 25 そして (−5)2 = (−5) × (−5) = 25
それはまぁいいんだけど、それだと x2 = −25 という方程式に解がないことになる…。
人類の科学・学問・文明の進歩の中で、さまざまな試行錯誤の末、「2乗するとマイナスになる数」があった方が都合がいい――というより、むしろ、そのような数があると考えるのが自然で必然的なのだ――ということが分かってきた。そこで、そのような数の単位として「2乗すると −1 になる数」を考えて、それを i と呼びましょう、と。そうすると次のように、上の方程式には解が(二つ)あることになる。
「普通の数」―― 1, 2, 3.14, −5, 1/4, √2, π など――の世界に i を追加すると、数の世界が広がり 2i や 3.14i あるいは −5 + 2i のようなものも、新しい数の仲間になる。一般に i を含めた数の世界のメンバーは、次の形を持つ。
ハミルトンはこれを拡張して「成分」を3個にできないか?と考えた。つまり…
けれど、何をどう設定しても、「成分が3個の数」だと計算規則がめちゃくちゃになってしまうようだ…。一体どうすればいいのか…。悩み続けたある日、道を歩いているとき、突然ものすごいアイデアがひらめいた。本人の言葉を引用する。
I then and there felt the galvanic circuit of thought close; and the sparks which fell from it were the fundamental equations between i,j,k
(訳) 私はその時、その場で感じました。電撃的思考回路が「オン」になるのを…。そしてそこから飛び散った火花たちは i, j, k の間の基本方程式でした。
これを読むたび「思考回路はショート寸前」という昔のアニソンを思い出してしまうのだが、ともかく、ハミルトンは「成分」を3個でなく4個にすれば、あらゆることが突然うまくいく…と気付いたのだった。
ハミルトン本人は、これを「微積分の発見と同じくらい重要な大発見」だと感じていたようだ。ハミルトンは、この新しい数の一つ一つを quaternion と名付けた!
quaternion という言葉は、若干、紛らわしい。四重奏はカルテット(quartet)だから quarteon いや quartetion かな。待て待て、四重という言葉はダブル、トリプル、カドラプル(quadruple)、CPU だって quad コアって言うじゃん、「四つ子」だって quadruplet なんだから、どう考えても quadrupion が正解じゃね、じゃなくて quadruplion かな…。いやいや待て待て、数の世界ではミリオン、トリオン、カドリリオン(quadrillion)だから、もしかして quadrilon かな…?
このように最初のうちは、訳が分からなくなりやすい…。便宜上「勝てる日本」と覚えるといいだろう。もちろん h は抜く必要がある。
勝 | て | る | 日 | 本 |
---|---|---|---|---|
qua | te | r | ni | on |
この数がどのような基本法則を満たし、どのような性質を持つのか…。それを詳しく書くと長くなるのだが、要するに、不思議で面白い「4次元もこもこ」が発見されたのである!
参考 → 「4次元世界の探検!」「目で見る ij = k, ji = −k」「UFOで図解(笑)4次元の距離」
数学とは関係ないが、アイルランドの偉大な故人をしのんで、しばしアイルランドの民謡に耳を傾けることにしよう。「ダニー坊や」(Danny Boy)
/image/public_domain/danny_boy.ogg
古い民謡なので、本来の意味がはっきりしないが、Danny という人が、呼ばれてどこかへ行かねばならない。そして Danny を愛する恋人だか親だかが、「必ず帰ってくるんだよ」と言っている。「坊や」と呼んで、自分が先に死ぬ心配をしているので、親かも…。歌詞自体にも若干の揺れがあるようだが、面倒なので、ウィキペディア(ドイツ語版)から、そのままコピペしておく――晴れて著作権も切れ、音源も歌詞も版権フリーなので(ドイツ語版なのは metager.de という検索エンジンを使ってるため。言語版に深い意味はない)。
歌詞 | 大意 |
---|---|
Oh, Danny boy, the pipes, the pipes are calling | あぁ ダニー坊や パイプが パイプが呼んどるよぉ (管楽器?バグパイプ?) |
From glen to glen, and down the mountain side | 谷っこ 山っこ 腹っこ つたって鳴っとるよぉ (召集の合図がとどろき渡る?) |
The summer’s gone, and all the roses falling | 夏 終わったなぁ ばらも みぃんな散ってぐねぇ |
‘Tis you, ‘tis you must go and I must bide. | おみゃぁさんも 行ぐんだなぁ …しがだねぇ |
But come ye back when summer’s in the meadow | んだげど 帰ってこいや まきばに夏さ来たンらよぉ |
Or when the valley’s hushed and white with snow | 冬でもえぇ 谷さしんみり しらゆきの |
‘Tis I’ll be there in sunshine or in shadow | あたしゃ 待ってっがら かんかん照りでも 曇りでもぉ |
Oh, Danny boy, oh Danny boy, I love you so! | あぁ ダニーや ダニー… きっと帰ってきとぐれよ |
歌詞 | 大意 |
---|---|
And when ye come, and all the flow’rs are dying | 帰った日にゃぁ …花の命は短くて |
If I am dead, as dead I well may be | あたしが おっちんでたら …そりゃぁ いつかは死ぬがらのぉ |
Ye’ll come and find the place where I am lying | たずね来とぐれぇ あたしが寝とるその場所へ… |
And kneel and say an Ave there for me. | ひンざまずいてぇ 「ただいま」って言っとぐれ |
And I shall hear, though soft you tread above me | あたしゃ聞ぐがら おみゃぁの足音 分がるがらぁ |
And all my grave will warmer, sweeter be | んで 墓じゅう あったまるがら もう寂しぐは ねぇがらなぁ |
For you will bend and tell me that you love me, | だって おみゃぁさ かがんで言うんだ「おかぁ」ってよぉ |
And I shall sleep in peace until you come to me. | んで あたしゃ静かに眠るさ… おみゃぁと会えるときまでよぉ |
即興的にノリで訳したら、最初は「にゃぁ」「にゃぁ」弁になった。アイルランドなまりのニュアンスがうまく出せねぇが、まーこんな感じ。
メロディーの Londonderry Air は、ほぼ誰でも聞き覚えがあるだろう:
/image/public_domain/londonderry_air.ogg
アイルランド人は客をもてなすのが大好きで、だけど「さよなら」を言うのがとても苦手で、そういう人々だから、パーティーから立ち去るときは、別れの挨拶をせず、何も言わずにそっと帰ってしまうんだって。飲みかけのグラスをテーブルに置いたまま…
Quaternions 180 年を祝って Hamilton に…