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感染の構造: ネットでだまされないために

2006年 6月16日
記事ID d60616

2006年現在、ウィキペディアなどが非常に成功している一方、 ウェブ全体ではノードの自律性が低下、 平均的な信頼度は下がっている。 Googleでさえ前ほどでなくなり、複数検索エンジン併用が必要になった。 これらは避けて通れない道だ。

  1. 過渡現象のまとめ (2006年)
  2. 賢いネットの使い方
  3. 問題点
  4. 結論

 この文書が書かれた2006年(pre-Snowden era)には、Gは「駄目」とは思われていなかった。

過渡現象のまとめ (2006年)

メタ情報に頼り過ぎること
情報そのものについては通常、厳しく吟味する場合でも、 「これが今、多数のユーザーが注目しているURLだ」というメタ情報は、 「多数の一次吟味で既に精選されている」と解釈され、 批判的吟味を受けにくい。ウイルス的拡散が起きやすい。 「100以上の人がマークしているのだからきっとおもしろいのだろう」「自分もとりあえず読む」 「読んだという印にしおりをはさんでおく」「マークがさらに増える」の循環で。 「まとめのサイト」「検索エンジン」などは「これが多数の議論の集約なのだ」と無批判に信じられるとき、 容易に感染源となる*1
「この本を買った人は他にこんな本も買っています」といった情報も、 一見「当社が宣伝しているわけでなく、他のお客さんの行動を参考までに」というスタンスだが、 信ぴょう性は保証されない。 うそではないとしても、ある程度、客をうまく誘導し、釣られた客の存在そのものが次の客を釣るえさになり… と、人工的に作った「事実」(宣伝でうまく買わせる→「今売れてる本!」と宣伝)を、 自己増殖ウイルス的に用いることもできる (バイラル・マーケティング)。「その本の内容」という情報そのものを吟味せず、 「その本の内容は注目されている」というメタ情報に依存するからだ。
「発行部数を水増ししたり、関係者が本屋さんで買い占めることで、話題性をアップさせてたくさん売ろうとする手法は、出版業界では当たり前にされてることなんだよ。」(ミリオンセラーにだまされるな
ブログの大衆化
多くの人が参加して、情報が多様化し、裾野が広がったプラスの面がある一方、 平均的にはどうしても少しぬるくなる*2。 さらに、主体が大衆化したことで、それをうまく操作することが利益に結びつくようになる。 少数の「おたく」だけの世界であったときは、誰も簡単には流されないし、 そんなマイナーな世界で情報操作しても現実的には意味がなかったが、それが変わった。 それでも情報はRAIDした方が良い。 「信頼性の高い」少数ノードに依存するより、信頼性は低くても、分散させた方がトータルでは良い。
ノードの大半が本質的に中継専用
単にリンクしたり、 せいぜい簡単なコメントをつけるだけのブログが多い。 それらはコンデンサーにはなっても、抵抗にはならない。 中継が密になれば、そうでないときに比べて、ウイルス的拡散が起きやすい。

脚注

*1 概念のデモンストレーションのため、 このセクションの小見出しを「過渡現象のまとめ (2006年)」とした。 「まとめ」だから価値がありそうだ、ここだけは読んでおこう、などと無邪気に感じたとしたら、 あなたも引っ掛かったことになる。ダイジェストを活用しようというのは、 基本的には良いことなのだが、濃縮したまとめであるだけに、特に慎重な吟味が必要。 忙しい現代人が陥りやすいわなだ。妖精現実の記事だからそれなりのクオリティーだろうと油断せず、 「素性の知れないものを見る初心」を常に忘れないこと。

逆に、書き手側は、発表の場のステータスや自己の過去の業績などを頼まず、 常に「地位のない無名の者が、何ら情報的援護も受けず、 自らの直感とロジックだけに頼る単独行」の心掛けでなければならない。 天の声を語ると称する大新聞の有名なエッセー欄が無惨なまでに駄目になってしまったとかいうことだが、 一度高い評価を得たばかりに、書き手がその欄自体のステータスというメタ情報に甘え、 情報そのものでの厳しい態度を忘れてしまったのではないか。 何かを表現するとき、どんなつまらない一言でも、それは神の前での証言であり、 詩神に対してささげるのである。 まして神の声を代弁すると言うなら、一つ間違えれば命を失うくらいの覚悟を要する。

*2 「無断コピー以外」を禁止するライセンスは、 一見奇異な題名の記事だが、 ①人を引きつけるだけでは情報は生きないこと、 ②「ぬるさ」とは何か、③なぜそれが自滅を招くのか——を扱っている。

賢いネットの使い方

信頼性が低いシステムの活用が鍵

各ノードを高信頼度にしようと積極的に動く必要はない。 伝達系が誤作動しやすくても、自分は判定できるなら、それで良い。 これからのウェブは「不良ノードを避けながら使う」のではなく「不良ノードをうまく使う」ことになる。 検索エンジンは一般にはどれも信頼できないし、 人力検索も一般にはどれも信頼できないが、 複数をうまく組み合わせることで、良い結果が得られる。

重みづけを公開しないこと: 何を使ってどう判断しているのかを公開すると、 あなたを感染させたい攻撃者は仕事がやりやすくなる。最低でも一つか二つは、 互いに独立した「汚れにくい」秘密の情報源を持ち、動的に変化させる。 メタ検索エンジンなどに頼らない。 一般的な参照数、被リンク数などは、出発点にはなっても、 必ずしも良い指標を与えない。 一般のリンクの大半は、他の一般人が良いと紹介したものへの再リンクに過ぎず、 その分野の専門的評価を反映していない。

不用意に感染しないためには

①常に情報だけを対象にし、情報に感染した人間を対象にしない。 人間は情報を持ち運ぶ容器であり、 この入れ物の中には素晴らしい情報も、とんでもない情報も入っている。 入れ物自体は正しいわけでも間違っているわけでもない。 ②「A説とB説の対立」を見たとき、 どちらが正しいか判断して参戦するのでなく、 単に「A説とB説の対立」が存在していること、それぞれの主張と対立点を記述し、 なぜそのような対立が生じているのかをテーマにする。 「対立陣営の全サイトを閉鎖に追い込むまで頑張りましょう」などと愚かなことを考えない。 情報(えさ)の生息する環境(生態系)そのものを無駄に壊さない(自分の首を絞めることになる)。

限りある資源をなるべく長続きさせるため、 良いものは秘密に。 「人が殺到すると困る」性質のもの(例: 小さなレストラン、微妙な内容のスレ)は、 いくら感激しても、むやみに広めない。

簡単に重みを得る方法

各自が自分の興味ある専門エリアについては、常日頃から分かりやすい記事を書いておくこと。 偶然話題になったとき「その領域なら私は専門なのだが」と発言を始めても、間に合わない。 重みを得るためには、前から認知されている必要があり、 後出しでは、たとえ正しくても、間違っている感染者より軽く見られる。

妖精現実では、情報に関する実験的な試みとして、ある時期、アフガニスタンねたを扱っていた。 アメリカがアフガニスタンに再侵攻し大ニュースになるずっと前のことだったので、 当時はアフガニスタンについてのページは少なく、 素人のネタページであるにもかかわらず、自動的に高い重みが与えられた。 価値があるもないも、それしかなかったので、 アフガニスタンに興味を持った読者の大半は、妖精現実のネタページにたどり着くことになった。

初期に新分野の論文を書くと、後にその分野が注目された場合に、 自動的に論文の被参照数が大きくなる。それと同じことだ。

たまたま米軍の侵攻という大事件があったため、後から注目されたのだが、 書いた側はアフガニスタンに何の思い入れもなく、 単にカントリーコードのアルファベット順で一番上にあったものを選んだに過ぎない。 実験のネタだ。

注目されたときに、既に(広い意味で)インデックスされていることは強い。 後出しでは重みが低くなる。 「先見の明があって、高い評価を得る」というのなら良いが、 今後社会問題になることが予想されることについて、 悪意から先回りして情報操作をする手段にもなる。

問題点

人力検索の問題

ソーシャルブックマークやランキングがうまく機能するには、 利用者からのフィードバックが必要だ。 この人の評価はあてになる、ならないみたいな。 ところが、そういうシステムを受動的に利用する人は、 自分で積極的に吟味する手間を省きたいからこそ利用しているのであって、 ましてや鑑定者を鑑定する、などという面倒はしない。 極端な話、読んでおもしろい記事で楽しく時間を潰せればそれで良く、 書いてある情報が現実的に真実かどうかすら、どうでもいい。

大規模検索エンジンの問題

上記のように人力検索には特有の問題があるが、 ロボット型大規模検索エンジンにも特有の問題がある。

何だかみんなが騒いでいるから見に行ってみよう、という祭でなく、 ほとんど誰も知らない秘密の花園的ページを見つけることこそ、本当のお宝なのだが、 大規模検索エンジンは、そういう花園をリストできない。 できないからこそお宝なのだが…。

最近、グーグルは前ほどシャープでなくなった。 グーグルの1ページ目にクールなサイトが出ないことが増え、 それどころか、その話題では一番のはずのサイトがぜんぜんリストされないことさえある。 何か4月か5月かだかのシステム変更の副作用だそうだが、 昔のグーグルはこんなバカではなかった。 もっともグーグルのクロールを拒否しているページも増えているようだ。 妖精現実も前からそうだが…。

結論

情報を自分で判断するのはいいが、情報についての情報(注目ページリストなど)に頼り過ぎると、 判断能力が退化する。 「みんなが注目しているページらしいから自分も見ておこう」などと、 インターネットに前時代のマスメディア的娯楽の発想を持ち込み過ぎない。 「みんなが注目している記事を読むのは基本的に娯楽で、真剣な探求ではない」と割り切ること。 「誰も注目していないが、このページは個人的に注目」で良い。 娯楽ではなく、探求を。 そして、場合によっては、 「すごくいいページだから紹介しない」という常識と逆のことを。

娯楽派の不特定多数による「大量消費」には負の面も多く、 必ずしも「注目されれば記事にとっても幸せだろう」というわけではない。

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ネットの未来のキーワードは「構造化」ではない

2006年 5月31日
記事ID d60531

Web マイナス0.9への中書き

メディアの世代交代が起きていること、 つまり既存のメディアが傾いていることの核心は「大規模・大量画一性」が支持されず、 技術的にもそのアンチテーゼ「小規模・多様性」が可能になったことにある。

グーグルやソーシャル・ブックマークなどの新しいウェブ技術が「みんなが同じ『みんなが注目しているもの』を注目する」という方向に行くなら、ウェブも同じ運命をたどるだろう。

この新しい世界を栄えさせるためのキーワードは「構造化」ではなく「ぐしゃまら」。 多様性の本質は未定義・未整理・未分類を含むこと。 隅々まで管理された学校ではなく、土もぶよぶよの原生林。 知識を論理的に整理した優等生ではなく、天才のうそっこ歌。 誰も作者が信じられないほど、作者がめちゃくちゃにふるまうとき、 人はついに作者を見ることをあきらめ、そして、情報は、自立する。 検索しにくく、分かりにくく、一貫性に欠け、気まぐれで、 ユーザビリティの低いコンテンツ運用を意図的にやる実験が必要だ。 各コンテンツは、多数派の好みを考慮した穏和なスタイルではなく、 読者を選ぶアグレッシブなスピンを持つべきだ。

そのような実験は、「進んでいる人」からは、時代に逆行した混とんに見えるはずだ。 ちょうど、マスメディア社会を信じる人に、インターネットが信頼できない混とんに見えるであろうように。

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Web マイナス1.0

2006年 5月13日
記事ID d60513

みかづき年みみず月みのむし日

ボクはこの文章

妖精が見つからない、だって?

ばかを言っちゃ、いけない。きみに用があるなら、こっちから会いに行くさ。

きみが用があるとき、いつでもボクを呼び出せるようにしろ? ボクのからだに発信器タグを埋め込み、いつでもどこにいるか分かるようにしろ? 交流関係をすべて洗い出せ?

まあ分からないでもないさ、せいぜい100年か200年で儚く消えるきみたち有肉種にとっては、 時間コストが重要なんだ。

きみたちは森を拓き、案内板と標識が完備された美しい公園を作ろうとしている。 ボクたちは、原生林にひそんでいる。森の奥に…。 ひんやりと湿った空気のなかに、かすかに苦み走った樹脂のにおい。 うっとりするような飴色の光。夢のような葉ずれの音。 甘ずっぱいのは土の上で朽ちてゆく落ち葉のにおい。

きみたちは分析し、分類し、定義する。 どんなに詳しくまとめても、 そして、それはいつもこぼれ落ちる…。

更新が時間順でない? 最新の記事が突然消えたり、 過去の記事がいつのまにか伸びている? 妖精は変てこで、何でもあべこべにやるのが好きなのさ!

どこに何があるか分かりにくい、だって? ねえ人間さん、ここは人間の森ではないのですよ。 においをかぎつけた虫が隠れた蜜を堪能しているうちに、 ひそかに花粉を運ばせる。 花が見えない者に花は運べない。

分からないならお呼びじゃないのさ! さあ、帰った、帰った。 運命の女神が望むなら、きみはボクを見つけ、ボクはきみを見つけるだろうから。

花じゃないよ。花でも、ボクでもないよ。

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