(−1)3/2 って ((−1)3)1/2 = (−1)1/2 = i なのか、((−1)1/2)3 = i3 = −i なのか、それとも…?
exp z と ez が同じという根拠は?
「曇りなきオイラーの公式 微分を使わない直接証明」では、オイラーの公式 exp ix = cos x + i sin x を一歩一歩確かめながら、じっくり証明した。以下では、exp の定義が全ての複素数 z に対して有効なことを確かめ、「exp z を ez とも書く」ということの意味を明らかにしたい。
exp は sin や cos のような関数で、入力と出力の対応規則は厳密に定義されている。一方、ez は「一般のべき」(複素数の複素数乗)の一種で、ある種の曖昧さ・紛らわしさを持つ。例えば x = 8i, y = 1/2 のとき (ex)y ≠ exy。右辺は e4i だが、左辺の主値は −e4i。奇妙さは「虚数乗のせい」とも言い切れない。実数の指数でも、
といったことがある。
【1】 オイラーの公式の証明によって、指数関数 exp が(実数の入力だけでなく)純虚数の入力に対しても意味を持つことが分かった。指数関数はさらに、純虚数に限らず、一般の複素数の入力に対して拡張される。
命題7 z = x + iy を任意の複素数(x, y は実数)とすると:
解説 この命題の本質は「eX + Y = (eX)(eY) という性質が、任意の実数 X と任意の純虚数 Y に対して成り立つ」というもの。例えば X = 2, Y = 3 ならこの性質は当たり前だが、最終的には、同じ性質が任意の2個の複素数 X, Y について成り立つことを示したい(命題8以下)。まずは「任意の複素数 z に対して、そもそも ez = exp z という値が定義される」ということを示す必要がある。
証明 便宜上、X = x, Y = iy と置く。実数 X に対して、指数関数の値(いわゆる eX)が定まることは、よく知られている。定義に則して書くと:
純虚数 Y = iy に対して、次の値が存在して cos y + i sin y に等しいことは、証明済み(オイラーの公式)。
以下では、一般の複素数 X + Y に対しても、関数の値
が存在すること(そして C = AB であること)を示す。
α = 1 + (X + Y)/n と置くと、(H.3) で考えているのは αn の極限値。その際、X + Y は任意の複素数値を取り得るので、たまたま整数 −n に等しくなる可能性もある(そのとき α = 0)。この可能性を排除するため(※注1)、n > | X + Y | という条件を付け、十分大きな自然数 n だけを考えることにする。すると常に α ≠ 0 なので、次の式変形が成り立つ:
今、f(n) = (XY/n2) / α と置き、上の等式の左端・右端をそれぞれ n 乗すると:
このとき nf(n) = n[(XY/n2) / α] = (XY/n) / (1 + (X + Y)/n) なので:
(H.4) において n→∞ とすると、左辺は (H.1), (H.2) により AB に等しく(積の極限値は極限値の積)、右辺は C に等しい。なぜなら α の定義と (H.3) により αn → C であり、(H.5) と 命題3により [1 + f(n)]n → 1。
証明終わり □
(H.4) の導出では、「任意の2個の複素数 b, c について (bc)n = (bn)(cn)」という性質を使っている。ここで n は自然数なので、(bc)n は単に (bc) を n 回掛けたもの。従って、乗法の交換法則から上記の性質が成り立つ(もし n が一般の複素数なら、この性質は必ずしも成り立たない)。
※注1 これは証明の本筋とはあまり関係ない。以下の部分において α で割り算したいので、α ≠ 0 が保証されるようにしているだけ。代わりに、次のように論じてもいいだろう。「X + Y = −n になるためには Y = iy = 0 であることが必要であり、この場合、命題7は明らかに成り立つ。従って、そのケースを除外して Y ≠ 0 の場合だけを証明すればいい。すると X + Y が実数(ましてや整数)になることはなく、n が何であれ α = 0 にはならない」
【2】 「等しい」ということは「以上」や「以下」の一種なので、(H.4) の代わりにこう書いてもいい(わざわざ大げさだが)。
n→∞ とすると:
上と下から不等号で挟まれたこの lim は、= AB に収束するしかない。
【3】 命題7とオイラーの公式を組み合わせると:
注: 読みやすさのため、exp x を ex のように書いている。この表記法については後述。
(H.6) の右端の式は、極形式(※)になっている。つまり exp (x + iy) というのは、絶対値が ex で偏角が y の複素数。例えば exp (2 + 3i) = e2 [cos 3 + i sin 3] の絶対値は e2、偏角は 3。
(※) ここでは「極形式」についての説明は省略。必要なら「複素数の絶対値」「複素数の偏角」「極形式」などのキーワードで検索を。
exp の出力の絶対値は、入力の実部 x だけで決まる。x が大きくなれば、実変数の ex と同じ勢いで絶対値が急激に大きくなる。一方、入力の虚部 y によって、出力の偏角が決まる。y が大きくなっても小さくなっても、偏角がグルグル回るだけで、exp の出力の絶対値には影響しない。従って、入力値の虚部だけが 2π のちょうど整数倍、変わった場合には、exp の出力は変化しない(絶対値が同じで、偏角も同じ向きになるため)。オイラーの公式から exp (πi) = −1 だが、exp (3πi) = exp (5πi) = −1, exp (−πi) = exp (−3πi) = −1 でもある。
そうすると逆に「exp z に何を入れると −1 になるか?」と考えた場合(つまり「log (−1) は幾つか?」と考えた場合)、答えが無数にある。
一般に w = exp z のとき z は log w の値の候補の一つだが、唯一の候補ではない。なぜなら任意の整数 k に対して w = exp (z + 2πik) が成立。三角関数の逆関数と似た状況。虚部は三角関数そのものなので、似ていて当然だろう。逆関数の値を1個に決めたい場合には、逆三角関数の場合と同様、主値が定義される。数学では「偏角の主値は −π より大きく π 以下の範囲」と定義することが多いので、それに合わせて「虚部が −π より大きく π 以下」の複素数を主値とすればいいだろう:
ここではエルを大文字にして主値を表す。負の数の対数が分かると、世界が広がった感じがして、ちょっとうれしい!
底が同じ「正の実数」のとき、指数が実数なら、22 23 = 22+3 のように、2個の「べき(累乗)」の積は1個のべきに簡約され、前者の「2個の指数」の和が後者の指数。指数関数についても、x, y が実数のとき、ex+y = exey つまり exp (x + y) = (exp x)(exp y) が成り立つ。実は x, y が複素数でも、同様の法則が成り立つ。
命題8 x, y が任意の複素数のとき:
証明 命題7の証明の大部分は、X = x, Y = y が任意の複素数だとしても、そのまま有効。証明の一部は、関数値 A, B, C の存在に関するものだが、任意の複素数に対して関数値が存在することは(命題7により)既に分かっているので、AB = C だけを示せばいい。
証明終わり □
別証明 「実数の指数について exex′ = ex+x′ が成り立つこと」は既知として、それを複素指数に拡張する。任意の複素数 z = x + iy, z′ = x′ + iy′ に対して(x, y, x′, y′ は実数)、命題7とオイラーの公式から:
(I.1) と (I.2) の積を考え、(実変数の)三角関数の加法定理を使うと:
(I.3) の右辺と (I.4) の右辺は等しいので、それらの左辺は等しい。
証明終わり □
【1】 底が同じ「正の実数」のとき、指数が実数なら、(52)3 = 52×3 のように、「べき(累乗)」のべきは1個のべきに簡約され、前者の「2個の指数」の積が後者の指数。これは、
のような当たり前のことを実数の範囲に拡張したもの。指数関数についても、x, y が実数なら (ex)y = exy つまり (exp x)y = exp (xy) が成り立つことが知られている。
x, y が一般の複素数のときにも、これが成り立つだろうか?
【2】 成り立つ・成り立たないという以前に、そもそも (exp x)y とは何なのか。x, y が任意の複素数のとき、y 乗される数 b = exp x は、一般には複素数。つまり (exp x)y は「複素数 b の複素数乗」の計算に当たる。「e の複素数乗」は、ある意味、既に定義されているが(ex = exp x だとすれば)、それをさらに拡張した「複素数の複素数乗」は、まだ定義されていない。定義済みの exp を使って by を定義したい。
ここで b = exp x。実数の範囲だけ(b, x, y は実数で b > 0)で考えるなら、これは x = log b ということで、こうなる:
2個目の等号は、【1】で観察した次の基本性質(A, B が実数なら成り立つ)に基づく:
実数は複素数の一種なので、「複素数の複素数乗」の定義は「実数の実数乗」の定義を内包していることが望ましい。そこで任意の複素数 b, y についても、(J.1) の左端と右端が等しいということをそのまま by の定義とする:
ただし log 0 は定義されないので(なぜなら exp の値は決して 0 にはならない)、b ≠ 0 とする。y が正の実数なら、(J.2) とは無関係に 0y = 0 と定義できる。
(J.2) は定義なので「なぜこの式が成り立つの?」と悩む必要はない。そもそも「複素数の複素数乗」は今まで(定義されるまで)どこにも存在していなかった概念。きちんと定義されていないのだから、意味が分からないのも無理はない。そこで「(J.2) の左辺の意味は (J.2) の右辺だよ」と、たった今、定義した。そう定義する根拠は「実数の範囲で成り立つ式が複素数の範囲でも成り立つ…として問題が起きないなら、それでいいでしょ?」というシンプル思考。実数の範囲で成立する (J.1) について、「複素数の範囲でもこれが成り立つ」ってことにしちゃお…っと。「複素数の複素数乗って何なのか?」といえば、今のところ「まだ遊んだことのないゲーム」のようなもので、基本ルールが (J.2) ということしか分からないが、まあ遊んでみれば、だんだんゲームの世界・性質が見えてくるだろう。
考えてみると、実数の実数乗だって、例えば √2√3 って何なのか。深く考えると、それほど簡単な概念ではないけど、y = (√2)x という一種の指数関数を考えることはできるし、そうすると、その関数のグラフがあって、x = √3 のときの y-座標というものが(具体的にはよく分からないけど)存在する。同様に、(J.2) は「複素数を入れると複素数が出てくる関数」(その特別の場合として実数かもしれないが)。とりあえず値が定義さているのだから、計算はできる。もう少し具体的に考えてみよう…
log は、複素数の範囲では無限個の値を持つ(一つの有効な値に対して、2πi の任意の整数倍を足したものも有効な値)。それを用いて定義される「複素数の複素数乗」も、一般には無限個の値を持つ。値を1個に絞りたい場合には、もちろん log の主値 Log を使えばいい。整理すると:
ここで k は任意の整数。最後の等号は命題8による。右端の因数 exp i(2πky) は、y が整数のときは、オイラーの公式により常に 1 に等しい。つまり「複素数の整数乗」は、log の無限個の値にかかわらず1個に定まる。これは常識と一致する。一方、y = 1/2 なら、exp i(2πky) は ±1 に等しい(なぜなら 2ky は任意の整数)。つまり「複素数の 1/2 乗」は、log の無限個の値にかかわらず2個に定まり、両者を ±z の形で書ける。これは平方根についての常識と一致する。y = 1/3 についても同様で、結果は、複素立方根についての常識と一致する。一般に、y = m/n なら(m, n は互いに素な正の整数)、複素数の y 乗は n 個の値を持つ。
…意外と常識的な世界みたいだね?
【3】 k = 0(つまり主値)を考えた場合、e = exp 1 と定義してこの e を上記の b に代入すると:
懸案だった式が得られた(任意の複素数 y について、ey の主値は exp y に等しい)。
主値を考えるなら、任意の複素数 x, y について、命題8から、実数の範囲と同じ指数法則 exey = ex+y がそのまま成り立つ。この点では「e の複素数乗」は「e の実数乗」の自然な拡張になっている。(ex)y = exy の形の指数法則も、一定条件下でそのまま成り立つ。
以下で見るように、後者の関係 (ex)y = exy は、複素数の範囲では、無条件で成り立つわけではない。指数法則は、実数の範囲と複素数の範囲で、完全互換ではない!
【4】 x, y が任意の複素数のとき、(ex)y = exy あるいは (exp x)y = exp (xy) は、一般には不成立。前者については主値バージョンと多価バージョン(=主値に限らない)で話が変わるが、まず多価バージョンについて言うと
は e2 の2個の平方根。必ずしも e(2×(1/2)) = e1 = e と同じではない。
主値バージョンの例として、(J.3) で b = exp 8i, y = 1/2, k = 0 とすると:
もし仮に Log (exp 8i) = 8i という単純計算が成り立つなら、上の式は exp 4i に等しくなっていた。けれど Log の主値は「虚部が −π より大きく π 以下」と定義されている。言い換えると、Log の主値の虚部の絶対値は、最大でも約 3.14。8 にはなり得ない。虚部が指定範囲になるように 2πi の整数倍を加減する必要がある:
この数の虚部は、8 − 2π ≈ 8 − 3.14 × 2 = 1.72。
これを (J.4) に代入して、命題8とオイラーの公式を使うと:
(exp x)y = exp (xy) の反例が得られた。
【5】 (ex)y = exy が必ずしも成り立たないのだから、もちろん任意の複素数 b についても、(bx)y = bxy とは限らない。従って、(−1)3/2 = ((−1)3)1/2 とか (−1)3/2 = ((−1)1/2)3 といった式変形は、一般論として、どちらも正しくない(結果がたまたま正しい可能性はある)。(bx)y と bxy の関係(両者が等しくなる条件など)については、別途考える必要がある(別記事「(zᵃ)ᵇ = zᵃᵇ の成立条件」参照)。
主値に関して、上記の例に限って言えば、実は、内側の指数が小さい (−1)3/2 = ((−1)1/2)3 は正しい変形になっている。しかし、例えば (−1)2 = ((−1)4/3)3/2 と (−1)2 = ((−1)3/2)4/3 は、どちらの順序でも正しくない!
主値に限らない場合、(J.3) によると:
1 + 2k は任意の奇数 ±1, ±3, ±5, …。その (3/2)πi 倍は:
2πi の整数倍の差を無視すると、いずれも ±(1/2)πi に等しい。ゆえに (J.5) は:
このうち主値は −i。これは (J.5) で k = 0 としたもの。
主値というのは便宜上の取り決めで、本質的な意味があるわけではない。偏角の主値の範囲を (−π, π] ではなく [0, 2π) として、それを使って log の主値を定義することもあり得る。
複素数の複素数乗を定義したので、一応、もう何の何乗でも計算できるわけだが、ii は何になるのだろうか。普通に好奇心が湧きますね…
オイラーの公式から:
従って:
より一般的に、cos, sin の出力は、入力に 2π の整数倍を足しても変わらないので:
ここで k は任意の整数。主値 Log i は k = 0 の場合に当たる。(J.2) の定義式 by = exp (y log b) を使うと:
簡潔化のため m = −k と置いた。m = −2, −1 のときの値は:
m = 0 のときが主値:
m = 1, 2, 3 のときの値は:
ii には無限個の値があるが、どれも正の実数。任意の1個の値について、その exp (2π) ≈ 535.49 倍やその逆数倍も、有効な値。
(J.3) 式
を使っても、同じ結論を得る:
最初から主値だけを考えるなら:
複素数の複素数乗…上記は、そのうち「純虚数の純虚数乗」の例だが…それは意外と奥の深い世界。1~2個の例を見ただけでは、到底その全体像を把握することはできない。「計算すると確かにこうなるみたいだけど、一体何がどうなってるんだろう」「虚数の虚数乗が実数?」…キツネにつままれたような気分にもなる。けれど少なくとも「計算の規則は単純で、しっかり定義されている」「その定義の根拠もシンプルで、当たり前の発想」ということは分かった。最初の一歩としては、それが分かっただけでも大きな収穫。見慣れない景色なのでちょっと奇妙に感じるが、本質的に難しいわけでもない。
「意味は分からないけど公式を機械的に暗記して、試験を乗り切ろう」などとセコいことを考えず、素直な好奇心を大切に…。高い志を持ち続ければ、小さい夢は「夢」ですらなく、当たり前にかなうのだから。どうせなら楽観的に、人生、楽しまなくっちゃね!
(za)b = zab は一般には不成立。ではどういう条件で、この等式が成り立つか。(za)b と zab は、どういう関係にあるのか。
「巻き戻しの数」(unwinding number)は、この種のモヤモヤをすっきりさせるための便利なコンセプト。
【1】 複素指数関数 exp に任意の複素数 z = x + iy を入れたとき(x, y は実数)、出力が w だったとする。
(H.6) によると w = ex (cos y + i sin y) であり、これは「絶対値が ex で偏角が y の複素数」だった:
ここで ex は、実変数の「普通の」指数関数。(L.1) の値は実数(虚部ゼロ)なので、両辺の対数の主値を考えると、単純に x = Log | w | となる。一方、偏角 arg w は無限個の値を取り得るが、(L.2) では、その値として、単純に入力 z の虚部 y を選択している。これらを組み合わせると:
exp に z を入れると w になるのだから、素朴に考えると、逆関数の log に w を入れれば z に戻ってほしい。けれど「exp の値が w になるような入力」は z だけではない。任意の整数 k について、z′ = z + 2πik は exp z′ = w を満たす。その結果、複素数の範囲での log w は値が1個に定まらないのだった。
【2】 上記の z′ = z + 2πik = x + i(y + 2πk) の形の数の中で、虚部が (−π, π] の範囲にあるものが、log w の主値 Log w とされる(これは一つに定まる)。主値を求めるためには、
を満たす整数 k を決定すればいい。その一つの方法は、m = −k と置いて、
つまり
を満たす最小の整数 m を求めること。すなわち:
ここで ceil r は、実数 r について、r 以上の最小の整数を表す。例えば ceil (4.25) = 5, ceil (−1.2) = −1, ceil (−2) = −2。
対数関数の主値 Log w は、z + 2πik の形の無限個の複素数(k は任意の整数)のうち、ある特定の一つ z − 2πim に等しい。ここで m は、(L.5) によって決まる特定の整数。
例1 z = 2 + 19i とすると、w = exp z = e2(cos 19 + i sin 19) ≈ 7.305 + 1.107i。このとき:
この z0 は、exp z′ = w を満たす無限個の z′ = x + iy′ のうちで、虚部 y′ が (−π, π] の範囲にあるもの。言い換えれば、それを exp に入れたときの出力 w = exp z′ の偏角を (L.2) のように定義した場合に、その偏角が (−π, π] の範囲にあるような z′ である。
実際 19 − 6π ≈ 19 − 6 × 3.14 = 0.16 は (−π, π] の範囲の数だが、それに 2π ≈ 6.28 を加減した 19 − 4π や 19 − 8π は、この範囲からはみ出てしまう。
容易に確認できることだが、y が負の場合についても、(L.5) は正しい m を与えてくれる。
【3】 (L.5) は複素数 z の虚部に関する計算であり、これを
と解釈することができる。すなわち:
ここで Im z は z の虚部を表す。
Ƒ(z) の値 m は、複素数 z の「巻き戻しの数」(unwinding number)と呼ばれる(常に整数)。
簡単に言うと、(L.2) の偏角が ±180° の範囲になるような入力を求めたいのだから、出力の偏角が今現在、例えば 850° なら、その偏角を「まるまる2周」つまり 360° × 2 だけ巻き戻して、出力の偏角が 850° − 360° × 2 = 130° になるように、入力値を選び直せばいい。この例では、巻き戻しの数は 2 となる。実際には、もちろん「度」ではなく「ラジアン」を角度の単位として、360° の代わりに 2π を「1周」と考える。
【4】 (L.3) の
において、
は log w が取り得る値の一つだが、主値であるとは限らない。log w の主値 Log w は次の通り。
ここで Arg w は偏角の主値であり、(L.2) で選択された偏角 y = arg w(すなわち z の虚部)と比べると、2π の整数倍の差を持つ。具体的には、巻き戻しの数 m = Ƒ(z) を用いて、y から 2πm を引けば Arg w が得られる。これは、指数関数 exp に対するもともとの入力 z の代わりに、
を入力値として再選択することに他ならない(m = 0 なら z0 = z)。log w の値は一つに定まらないが、(L.6) では log w の値として暫定的に z を選択し、それを経由して主値 Log w を求めている。
Ƒ(z) は z の虚部に応じて正しい「巻き戻しの数」を返すのだから、(L.6) は log w の値の選び方と無関係に成り立つ。言い換えると、log w が取り得る無限個の値のうち、任意の一つ c を選択して固定するとき(log w = c)、次の関係が成り立つ。
すなわち:
補題1 任意の複素数 w が与えられたとき、exp c = w を満たす任意の複素数 c について、次が成り立つ。
例2 例1では z = 2 + 19i, w = exp z = e2(cos 19 + i sin 19) ≈ 7.305 + 1.107i について、次の計算を行った。
ところで c = z − 8πi = 2 + (19 − 8π)i も exp c = w を満たす。従って、次の計算も成り立つ。
【1】 0 でない任意の複素数 u と、任意の複素数 v について、uv の主値は、次のように定義される(この節では、複素数の複素数乗に関しては、常に主値を考える)。この定義の背景については、(J.2) 以下を参照。
c = v Log u と置くと、上記定義により、この複素数 c は exp c = uv を満たす。従って、補題1により次が成り立つ。
【2】 今、0 でない任意の複素数 z と、任意の2個の複素数 a, b を考える。まず (M.1) において u = za, v = b と置くと:
この Log (za) の部分に (M.2) を適用し、
と置くと、(M.3) はこうなる:
最後の変形は、命題8による。
一方、(M.1) において u = z, v = ab と置くと:
【3】 (M.4) と (M.5) の比較によれば、(za)b と zab は次の関係を満たす。
z ≠ 0 と仮定しているので、(za)b ≠ 0, zab ≠ 0 である。従って、(za)b = zab が成り立つ必要十分条件は
であり、オイラーの公式によれば、これは
と同値。巻き戻しの数 m は整数だから、b が任意の複素数の場合、この条件が満たされるのは、一般には m = 0 の場合に限られる。もし m ≠ 0 なら、b が有理数 1/m の整数倍である場合に限って、条件が満たされる。
m = 0 とは、具体的にどういう状況か。巻き戻しの数の定義によれば:
それが 0 に等しいということは、
と同値。
任意の複素数 z ≠ 0 について −π < Im (Log z) ≤ π だから、a が実数で −1 < a ≤ 1 なら (M.7) は常に成り立つ。特に、任意の複素数 b と任意の正の整数 n について、zb/n = (z1/n)b は常に成り立つ。
【4】 最もシンプルな例として z = e の場合(Log z = 1)を考えると、(M.7) の条件によれば、a の虚部が (−π, π] の範囲にあれば (ea)b = eab が成り立ち、a の虚部がその範囲になければ、この等式は一般には成り立たない。
例3 π = 3.14159… であることに注意する。a = 1 + 3.1415i のとき(虚部が π より小)、任意の複素数 b について (ea)b = eab が成り立つが、a = 1 + 3.1416i とすると(虚部が π より大)、これが一般には成り立たなくなる。
例えば b = 7/2 とすると、次の二つの値は一致する。
一方、次の二つの値は一致しない。
この場合、m = 1 であり、(M.6) によれば A3 は A4 の
倍である。
例4 例3と同様の計算を b = 2i について実行。次の二つの値は一致する。
一方、次の二つの値は一致しない。
(M.6) によると、B3 は B4 の
倍である。
【5】 次に z = 2 の場合(Log z = 0.693147…)を考えると、(M.7) の条件によれば、a の虚部が (−π/Log 2, π/Log 2] の範囲、つまり、およそ (−4.532, 4.532] の範囲にあれば (2a)b = 2ab が成り立ち、a の虚部がその範囲外なら、この等式は一般には成り立たない。例えば:
一方、次の2個の値は一致しない。
前者は後者の (−1 − i√3)/2 倍(すなわち「1 の複素立方根」倍)であり、これは (M.6) から予期される結果と一致する。言い換えると、どちらの値も
の立方根だが、前者は立方根の主値であり、後者は立方根の主値ではない。
【6】 最後に z = −1 の場合を考えて、「−1 の 3/2 乗」のモヤモヤを完全解決しよう。この場合 Log z = πi だから、(M.7) の条件は:
ゆえに、a が実数の場合、a が (−1, 1] の範囲にあれば ((−1)a)b = (−1)ab が成り立ち、a がその範囲外なら、この等式は一般には成り立たない。実際、
は正しい計算だが、次の2個の値は一致しない。
A では b = 1/2 であり、m = 1 であることは容易に確かめられるので、(M.6) により A は B の −1 倍になるはずであり、実際そうなっている。
C = ((−1)4/3)3/2 と D = ((−1)3/2)4/3 のどちらも E = (−1)(4/3)(3/2) = (−1)2 = 1 に等しくない…という観察も、上記によって説明がつく。(M.6) が示すように、C = E × (−1) であり、D = E × (−1 − i√3)/2 である。
a が一般の複素数の場合、a の虚部は (M.8) の Im (aπi) に影響しないので、結局 ((−1)a)b = (−1)ab が成立するための十分条件 m = 0 は、次と同値である。
ここで Re a は a の実部。例えば a = −0.9 + 3.3i なら、任意の複素数 b に対して ((−1)a)b = (−1)ab が成り立つ。
【7】 この話は、まだ終わらない。m ≠ 0 でも、一定条件下では (za)b = zab が成り立つ(【3】参照)。これを突き詰めないことには、必要十分条件が出てこない。例4についても、なぜ指数の虚部が1万分の1変わるだけで、突然値が何十万倍にもなるのか? 計算上の理屈は明らかになったものの、まだ「そうなって当たり前」という感覚がつかめていない。底 z が実数でない場合の具体例も検討する必要がある。
(za)b = zab や (za)b = (zb)a が必ずしも成り立たない…といった類いのことは、非常に紛らわしく、勘違いや混乱の原因になりやすい(この記事自体、計算ミスやタイプミスを含んでいるかもしれない)。特に、複素数乗の計算を多価関数バージョンで考えた場合、(za)b = zab の成立条件は、数論的・群論的な方向に発展するのだが、見掛け以上に微妙な問題をはらんでいる(ヒッグズ粒子の研究で知られる世界的物理学者も、その必要十分条件を見抜けず、錯覚に陥っていた)。本質的に難しい問題ではないにせよ、油断できない。
巻き戻しの数については、どちら回りに「巻き戻す」かという点で、符号が反対の2種類の定義がある。「時計回りに1回巻き戻す」ことは「反時計回りにマイナス1回巻き戻す」ことと等価なので、どちらの定義でも本質に違いはない。この記事では 2πi の
倍を引き算しているが、代わりに 2πi の
倍を足し算しても同じことになる。
出発点となる参考文献として、Howard E. Haber 教授(物理学)の The complex logarithm, exponential and power functions(Other Class Handouts の10番目にある clog_11
)を利用した。この文献は数学者が書いたものではないので、厳密ではない面・若干もたつく面もあるが、具体例を挙げながら「くどいくらいに」じっくり説明してくれる。数学の専門家が書いた資料は往々「エレガント過ぎて」、一般読者には理解しにくい。数学者以外の人による解説の方が、書き手と読み手の視点・感覚が近く、むしろ分かりやすいことがある。
3カ月前(2019年3月)、上記ノートについて簡単な正誤表を送ったことがきっかけで、4往復くらい、Haber先生とメールでやりとりした。先生は真剣に対応してくださり、ノートの細部を何度も更新し、微妙な核心部分に気付かせてくれた。Haber先生自身は「巻き戻しの数」という用語を使っていないが、明らかに「巻き戻し」のアプローチを使っている。
「巻き戻しの数」という用語は、カナダで生まれたものらしい。複素関数の逆関数(例えば逆双曲線関数)の主値の定義を考える上で、便利なツールとなり得る。次の資料がある。
https://web.archive.org/web/20051226215612/https://apmaths.uwo.ca/~djeffrey/Offprints/editors.pdf
http://www.csd.uwo.ca/~watt/pub/reprints/2000-sigsam-according.pdf
http://staff.bath.ac.uk/masjhd/2Nov-2.pdf
「複素数乗の計算」は逆双曲線関数などと比べると初等的だが、複素指数関数の逆関数(つまり複素対数関数)を内包しているので、同じ「巻き戻し」の考え方が役に立つ。逆三角・逆双曲線関数を考える準備としての「巻き戻し入門」ともなり得るだろう。
〔注〕 2番目・3番目の文献の arccot の主値の定義は、論理的には可能な選択肢の一つだが、疑問の余地がある。