9 : 13 「矛盾」を無理矢理弁護

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「矛盾」を弁護するへりくつ集

2004年12月24日
記事ID d41224

詭弁きべんをろうして、「盾と矛を売る楚の人」を何とか弁護する。

初めに

矛盾むじゅん」というのは「言っていることがおかしい。一方では○○と言っているのに、同時に○○ではない、と言っている」という意味ですが、 この「矛盾」という言葉は、ご存じのかたも多いと思いますが、「ほこ」と 「たて」が出てくる古い話が語源だそうです (今でいう中国の古い話。漢文の授業とかで習うかも…)。

「矛」は「矛先ほこさき」という言葉からも分かるでしょうが、突き刺す武器です。ヤリです。 「盾つきやがって」とかいうフレーズにも登場する「盾」は、攻撃の防御に使う板みたいなやつ。

どういう話かというと、という国の商人が
「さあ、買った買った、何でも突き通す鋭い矛だよ!」
「さあ、買った買った、何を使っても貫けない堅い盾だよ!」
などと大げさな宣伝をしているところに、うるさい客が来て、
「あなたの矛であなたの盾を突くと、どうなるのですか」
楚の人は答えられなかった。そして、このエピソードから今でいう「矛盾」という言葉が生まれた…ということなのですが、 以下は詭弁きべんをろうして(相手を煙に巻くような変な理屈をこねて)この楚の人を何とか弁護できないか、 ということを考えたものです。

もちろん、楚の人が言っていることは文字通り矛盾しているので、正攻法では弁護のしようがなく、 以下はすべてへりくつのようなものです。そのへりくつを楽しもう、というのがテーマです。 形式論理学、物理学、哲学、ジョーク、文学、など、さまざまなアプローチから、へりくつをこねます。

へりくつ集

質問「あなたの矛であなたの盾を突くとどうなるのですか」

現時点での最善の答え「お買いあげになれば分かります」→要するに売るための宣伝文句なのだから、何はともあれ売ってしまえばこちらの勝ち。 楚の人は決して「答えられない」ということはない。口べただっただけ。この故事の意味は、 商売人は口達者であるべしという教訓である。

「さあ、買った買った、何でも突き通す鋭い矛だよ!」
「さあ、買った買った、何を使っても貫けない堅い盾だよ!」
「あなたの矛であなたの盾を突くと、どうなるのですか」
「いいところに気がついた! すごいことになるんだよ、それ! そこが売り物なんだ、兄ちゃん。さあ、今すぐ買って試してみよう! セットで買えばなおお得!」

高階論理

これは、あらゆる矛を止める「超盾」である。こちらは、あらゆる盾を貫く「超矛」である。 あなたは「超矛」で「超盾」を突くとどうなるかと尋ねているが、論理の階層が間違っている。 命題は、2階の「超盾」と1階の「矛」の関係、および、 2階の「超矛」と1階の「盾」の関係について述べたものであり、「超盾」と「超矛」の関係については定義されていない。 → 楚の人の答え「未定義です」

確率的

この矛でこの盾を突けば、2分の1の確率で通り抜ける。しかし、突いてみるまで、実際に通り抜けると断定することはできない。 したがって「この盾を貫く」と断定できるような矛は存在しない、という主張は嘘ではない。実際に確率2分の1で失敗する。 同様に「この矛で貫けない」と断定できるような盾は存在しない、という主張は嘘ではない。実際に確率2分の1で成功する。 → 楚の人の答え「確率2分の1で貫通し、確率2分の1でしません」

計算量の理論

「この矛で貫けないものはない」と言ったが、有限時間でとは言っていない。 「この盾で防御できないものはない」と言ったが、防御が有限時間で完了するとは言っていない。 この矛でこの盾を突いた場合、結果が確定するまでの計算量は有限時間とは限らない。 結果が確定するまで「貫けなかった」とは言えないし、「防御できなかった」とも言えない。 楚の人は答えることができなかったのではなく、計算が終了していないに過ぎない。 計算に時間がかかっているからといって「答えられなかった」と断定することはできない。 解決不能であることが証明されたわけではなく、あくまで計算量が大きいだけだ。 → 楚の人の答え「ご質問の答えについては、現在、計算中です」

よく分からない理屈

この矛でこの盾を突いた場合には「トンネル効果」が生じる。 すなわち、この盾はこの矛を完全に防御し、少しも傷つかないが、矛先は「トンネル効果」により向こう側に達する。 → 楚の人の答え「トンネル効果が発生します」

対消滅

その場合は対消滅します。盾は矛をこっぱみじんにしますので、完全に矛の攻撃を撃破したと言えます。 もっとも、そのコストとして、盾はこっぱみじんになりますから、矛の攻撃が失敗だったとは言えません。 → 楚の人の答え「対消滅します」

マイクロソフト風

この矛でこの盾を突いた場合、正しく処理が完了しない可能性があります。この動作は、当社の盾と矛の仕様となっております。この問題についての詳細は、有料サポートにお問い合わせください。 → 楚の人の答え「お買いあげいただけば分かります」

マイクロソフト風 2

商人「例外が発生します。『"0x004000C1"の矛が"0x000E3860"の盾を参照しました。盾が"read"になることはできませんでした。矛を終了するには矛先をクリックしてください 矛をデバッグするには矛の柄をクリックしてください』」

客「はぁっ? ……何ですかそれは」

商人「例外です」

客「意味が分からないんですが」

商人「そりゃあ例外ですから、規則の例外ですよ」

客「そんな無責任な。困ります」

商人「困りますと言われて例外が発生しなくなるくらいなら、とっくに発生しなくなっていますが、なんといっても、そこはそれ、例外ですから。 こればかりは仕方ありませんねー」

楚の人の答え「例外が発生します」

一喝

えーいっ、修行が足らぬ! どちらが勝つかなどと心がぐらついているおぬしには、この最強矛と最強盾は使いこなせぬぞ!  どちらが強いか調べて、強い方に味方しようとでも言うのかっ! たわけ! 勝つ・負けるなどというそんな低次元の思いにとらわれている限り、 真の戦士の道は見えぬ! 勝つのは武器ではない。 われが手にすればこの矛はの気合いで岩をも貫く。 われが手にすればこの盾は裂帛れっぱくの気合いでどんな攻撃もはねのける。 矛でも盾でもない。「勝つのはそれを手にするわれ」。勝つのは常にわれ。それ以外に何もなし。おまえは既に負けている。 → 楚の人の答え「考えるな、感じるんだ」

キャンセル

「あなたの矛であなたの盾を突いたらどうなるのですか」 「当社の矛と盾には敵味方識別装置が付属しているため、当社の矛による攻撃は矛側でキャンセルされます。 これは攻撃失敗ではなく、攻撃の中止ですから、この現象をもって貫く能力がなかったと言うことはできません。 もちろん、実際に貫けたわけではありませんから、この盾を貫けるものがないという事実には変わりありません」 → 楚の人の答え「IFFによるキャンセルが発生します」

レトリック

「わが盾の堅きこと、よく通すものなき」と言ったが、これは数学的な非存在証明ではなく、 自然科学の命題である。 すなわち、宇宙のあらゆる時間を通じての森羅万象について検証されたものではなく、 この盾に対する貫通能力を持ったものの存在が《知られていない》という意味である。 その時点において、この命題は正しかった。実際、この盾はその時点まで一度も破られたことはない。 もし貫通され、破壊されたとしたら、商品としてここに存在していないが、現に存在している。 ところで、その直後に「わが矛の利なること、物において通さざるはなき」と言ったが、この矛が貫通しないものはない、という意味である。 後者の事実の発見により、前者は否定されたが、 このようなことは科学史上、普通に起こりうることであり、 歴史的に、前者の言明の時点においては、前者は正しい理論として受け入れられていた。 あなたは、二つの主張が同時になされたという誤った仮定に基づいて反論しているが、 実際には、二つの主張は完全に同時になされたものではなく、発言の時代背景を考慮しなければならない。 → 楚の人の答え「貫きます。ただし盾についての主張もその時点では間違っていませんでした」

文学

あゝ悠々ゆうゆうたるかな天壌てんじょう遼々りょうりょうたるかな古今ここん。 我が言葉こそ、強大な破壊主義的国家が自らを無限の正義と称しつつ、罪なき民を破壊主義者と糾弾して無差別殺戮さつりくをするこの世界の不条理を表すメタファ。詩の詩。怒りの怒り。わたしはしがない武器商人としてこの世界の矛盾を痛感しつつ、なおかつこの矛盾に立脚して武器を商うみずからにアンビバレンツな意識を感じずにはいられない。だからこそ、わたしの言葉は矛盾していなければならない。 人間の英知の結集が、人間を滅ぼす武器を生む。矛盾でなくて何であろう。 矛盾、それがわたしのめい。わたしは矛盾して生き、矛盾して死ぬ。 これがわたしの真実、わたしの生き様。乞う、読者諸兄よ、(りょう)とせられよ。→ 楚の人の答え「矛と盾のコトコト煮、おいしゅうございました」

政治家

えー、この件につきましては、それは、今、 わたくしどもといたしましては、法律上、いうことになればですね、 矛と盾が活動している地域は非戦闘地域なんです。 両者が同一武器商人の主権に属する、楚という同じ一つの国家内の味方同士の関係ということにかんがみますれば、 これらが反目し、相互に攻撃し合う軍事的クーデター、内乱という事態は民主主義の根幹にかかわる、 憲政の常道に反する非倫理的なものでありまして、 政権に不満があれば選挙された国民の代表を通じて、話し合いで平和的に解決していくというのがわが国の国是(こくぜ)でありますから、 何でも貫ける矛を持っているじゃないか、じゃ、それで突いてみればいいと簡単に言われますが、 そのような行為は憲法上、許されていないわけです。 従いまして、そのような、あー、許されていない、不可能な、ですね、ご想定の質問に答弁を申し上げることは、差し控えさせていただきたいという、 基本的には、このような認識を持ちまして、 ()()に冠を正さず、 という心構えで綱紀(こうき)の粛正を図っていくことにやぶさかでありませんので、 国民のみなさまのご理解・ご協力をたまわりたい所存であります。 → 楚の人の答え「さっそく調査し善処する」

知的財産屋さん

当社の矛と盾は、彫刻の著作物であり、著作権法、意匠法、および特許法によって保護されています。 また、この矛は、技術的保護手段によってプロテクトされたメディアに対しては使用できません。 この盾は技術的保護手段によってプロテクトされています。 したがって、この矛でこの盾を突く行為は、個人の楽しみのためであっても、ライセンス上、禁止されています。 → 楚の人の答え「違法行為の幇助となるためお答えできません」

哲学

矛が実在すると人が認識するとき対象として措定せらる矛なるものは物自体ではなくその現れに過ぎない、 取りも直さず、矛の実存はアプリオリに定まるものではなく人間が「物を突くもの」と考えることによってその物自体が後験的に一つの現れを具象化するに過ぎない、 と悟了するのは心の作用であり、人間と独立な《野生の思考》であると考えることは不可能であることは明証的である。しかるに、 盾のカドを突き刺し地面にくぼみを作ることもできるのだから、人間が盾とか矛とか呼んでいるものは、アポステリオリの、経験に基づく、 真の先験的判断ではない、普遍妥当性に欠ける、迷妄である。盾はまた矛であり、矛はまた盾である。盾はまた杯であり、矛はまた逆さに持てば孫の手である。 このように物自体とその現れの関係は一定しないのであるから、これらを対象として一定の仕方で措定するという行為によっては、 普遍妥当性のある帰結をたとえ弁証法的にでも帰納し得ると仮定することは許されない、 取りも直さず矛は盾を突く「べき」であり盾は矛を防ぐ「べき」である、この盾はあらゆる攻撃を防がざるべからざる、 この矛はあらゆる物を貫通せざるべからざる、という広義の倫理的要請に他ならず、 道徳律の本性として、そこに科学的な「である」の帰謬法が成立しうべきであると思惟すること自体が、実存に対する背信である。 → 楚の人の答え「貫く『べき』だが貫く『のである』とは言えない。それが哲学というものだ」

宗教

シャーリプトラよ。 この世界で移り変わる現象というものには、実体がない。 現象とは空なのだ。 貫くということはなく、貫かないということはない。防ぎ止めるということはなく、防ぎ止めないということはない。 すべてが空であると知った修道者は、商人の誇大広告に惑わされることもなく、惑わされないこともない。 それを批判することもなく、批判しないこともない。 執着を離れ、心を離れた修道者は、永遠の安らぎに入る。 → 楚の人の答え「ただの誇大広告ですが何か?」

宗教2

まことに、まことに、あなたがたに告げます。 矛を持った敵が怒りながら近づいて来たとき、盾を構えてはいけない。 盾で身を守ろうとすれば、敵はますます怒りを募らせ、あなたを激しく攻め立てるだろう。 矛を突きつけ金を出せと脅す相手には、金だけでなく持っているものすべてを与えなさい。あなたは何も失わないからである。 矛を突きつけ謝れと要求する相手には、心から謝罪しなさい。あなたは何も失わないからである。 武器を振りかざし「そんなきれいごとが通用するか」とあざ笑う相手をさげすんではいけない。あなたには失うものなど何もない。 「これは自衛のための戦いだ。やらなければこっちがやられる」などと言い訳をするな。 かえって「それほど激しい憎悪を買うからには、わたしにも非があるのだろう」とかえりみなさい。 殺し合ってはいけない。二人が死ぬより一人が死ぬ方が良いからである。 憎しみが憎しみを生み、殺しに殺しで報いるなら、蛮行は永遠になくならない。 どちらかが譲歩しなければならないのなら、あなたが譲りなさい。あなたは何も失わない。 子孫が永遠の殺し合いをするくらいなら、平和を祈りながらあなたひとりが貫かれる方がましである。 実に天の王国は、あなたのためにある。 狭い門から入りなさい。 → 楚の人の答え「立ち去れ、サタン。『神を試してはならない』と書いてある」

宗教3

アリフ、ラーム、ミーム。 真のたたかいは争いではなく克服。なのに不信者どもは言っている。「矛が勝つか盾が勝つかのいずれかで、どちらかが間違っていて、どちらかが正しい。我々が正しいのだ、やつらが間違っているのだ」と。 言ってやるがよい。 「いや、いや、神様は人知を超えたもの。両方とも勝つことは可能だし、両方とも勝たぬ限り、両方とも滅んでしまうのだぞ」と。 そのときになって悔やんでも、もはや手遅れ。 目を開いて見るがよい。お前たちが肥満で悩んでいる同じとき、こちらでは大量の人々が飢えて死んでいくではないか。考えるのをやめて安楽を追求しているが、自分たちが住む世界を壊してしまったらどこに安楽があるというのか。「最後の審判などおとぎ話。神の裁きなどあるわけがない」と言っているが、なぜ気付こうとしない。今まさにこの瞬間、お前たちは試されているのだぞと。 → 楚の人の答え「矛と盾は例え話。 共栄か滅亡か。 生態系は一つ。地球は一つ。おーガッチャマン」

法律

確かに主張には不整合が見られ、 虚偽の効能をうたった詐欺的商法に該当する可能性を直ちには否定できないが、 非破壊的試験では、このことを証明できない。 すなわち、盾の効能が事実であれば矛は損壊する可能性があり、 矛の効能が事実であれば盾は損壊する可能性がある。 「或る人」が実際に購入したならまだしも、所有権を持たず、自己の支配下にあるわけでもない商品について、 たとえ詐欺的商法の疑いがあるとしても、かかる破壊的行動を強要し、あるいは破壊的実験によってのみ初めて確答できるような質問への回答を強要することは、正当な法手続とは認められない。 なお「信州一」「最高級」「元気百倍」「千枚通し」「万能鍋」といった宣伝文句等は、厳密には証明されず、あるいは証明されない蓋然性がある場合においても、一種の強調表現として公正な商慣習の範囲内と認められるべきものであろう。 けだし、路上で販売する商人がこの程度の誇張的宣伝を行ったとしても、 それをとがめることは社会通念になじまないからである。 すなわち、商人は自然言語を用いて商売を行うのであるから、商品について、 冗談を述べたりごくわずかでも厳密に証明できないことを言ってはならないとまで解釈することは合理的でないのであって、わずかな言葉尻をとらえて買い手が売り手を糾弾できると考えることは、取引の安全の観点からも、売り手と買い手の関係のバランスからも、不適切である。取引においては、売り手(その者をして販売を行わせる者も含む。以下同じ。)において不正があってはならないことは格別、 社会通念上、買い手にも一定の注意が要求される。 一体売り手の言動が詐欺的であると認定されるには、 (1) 騙そうとする悪意があり、かつ、 (2) 現実に騙そうとしている — すなわち(イ)通常人の注意をもって看破できない、ないし、(ロ)その特定の顧客の特性に鑑みてその顧客が欺かれる可能性があると推定できる合理的な根拠が存在している — 必要があると解するのが相当である。 商品に関する売り手の言葉は、たとえ厳密には事実でない可能性があっても、右要件を満たさない限り、原則として許容範囲であると評価できる。

本件においては、その宣伝文句のオーバーさは極端であり、 非現実なまでに極端であるが故事実と紛らわしいような欺罔的なものではなく、 通常人の注意をもってすれば科学的に証明されるような厳密な事実ではなく単なる言葉のあやであることを容易に了解できるのであるから、右範疇に属さしめるのが適当である。 結局、法律上、疑わしきは罰せずの原則が適用され、 「楚の人」は無罪の推定を受けるし、 通念上も可罰的とは言えないので、「楚の人」に対する糾弾は理由がない。 一方、法律上無実であり、倫理的にも問題がない「楚の人」を矛盾していると一方的に指摘し、 自著で公刊し、子々孫々の代まで語られる故事熟語を発生させた韓非子は、 「楚の人」の名誉を不当にかつ著しく損なっているものであり、 営業妨害、および名誉毀損のそしりを免れない。

→楚の人の答え「表現の自由です」

死の商人

諸君、わたしは戦争が好きだ。わたしは戦争が好きだ。わたしは戦争が大好きだ。矛で突くのが好きだ。矛で突かれるのが好きだ。 盾で防ぐのが好きだ。盾で防がれるのが好きだ。うんぬん…→楚の人の答え「フッフッフッ、わたしは武器商人。 …どちらが勝つかなんて、ちっぽけなことだ。愚かな人間どもがこれで殺し合いをしてくれれば、それでいいのですよ。 次の戦争のために! 次の次の戦争のために…!」

数学(公理論的)

この矛でこの盾を突くことはできない。

証明: 背理法による。突くことができたと仮定すると、公理により、矛は盾を貫かねばならず、同時に貫くことはできない。これは矛盾である。 ゆえに「突くことができる」という仮定は誤っている。これが証明したいことであった。→楚の人の答え「突くことはできません」

数学(正統的論理学)

矛盾は発生していない。

命題の少なくとも一方は偽である。すなわち少なくとも次のいずれか一方が成り立つ。

(a) 「この盾で任意の武器を防御することはできない」 言い換えれば「この盾を破壊する武器は存在する」。

(b) 「この矛では任意の防御を突破できない」。すなわち「この矛では突破できない防壁は存在する」。

直観的にも明らかだ。「偽」である命題を両方「真」であると仮定したために矛盾が発生したに過ぎず、 韓非子の仮定は誤っている。この件は「矛盾」ではなく「偽」に過ぎない。どこにもパラドックスは存在していない。 →楚の人の答え「たかだか命題の少なくとも一方が偽であることが検証されるだけです」

番外編

以下は言葉自体の「ロジック」ではなく、言葉を使う相手(人間)を目標とするもの。 比較のために例示する。

相手の人格を直接・間接に攻撃したり、プライドを刺激したり、 心理的動揺を誘ったり、関係ない話とセットにすることも、現実の論争においては有効であるかもしれない。 しかし、現実の論争で有効かどうかという実用性は、「へりくつ」の論理それ自体を楽しもうというこのメモのテーマとはまた別の話となる。 その意味で、以下は「一見似ているようだが悪い例」といえる。

ここまで書いてきた「ロジックだけ」の透明さ(美しいかどうかは主観だが、ともかくロジックの「感触」)と、 以下で例示する「議論そのものではなく、議論する人間を巻き込む」ことの濁った感じの違いを感じていただければと思う。

逆ギレ(質問する行為自体を責める)

「あなたの矛であなたの盾を突くと、どうなるのですか」
「教えてクンきたーーーーー。質問する前に検索くらいしろよ、バカ」

おげれつ(似ているようだが無関係のモデル上の議論にすり替える)

客「あなたの矛であなたの盾を突くと、どうなるのですか」
商人「もしこういう話があったらどうよ…………」

楚の国にち××とま××をひさぐアンドロギュノスがいた。その言うことには、
「わたしのち××のどん欲さときたら、どんなすごいま××でも飽き足らないのである」
「わたしのま××のすごさときたら、どんなち××でも満足しないものはないのである」
そこである人が
「あなたのち××であなたのま××を突くとどうなるのですか」

商人「もしあなたがそのアンドロギュノスだったらどうなるね。その立場になって考えてみ」
客「え…ぶっちゃけ、無理な体位だと」
商人「できたらおもしろいけど、できないんだよ。な。 それと同じで、オレの矛でオレの盾は突けないだろ、両方オレのなんだから。 右手で矛、左手で盾を持っているところを想像してみ。 常識で分かるっしょ。分かったらクソして寝ろ」

付記

あくまでネタですから、 「トンネル効果とは」「推定無罪とは」、といったまじめなつっこみは勘弁してください。

このメモを書いたきっかけは、あるウェブページを読んだことです。 そこでも、同じように「矛盾」の故事についての詭弁が紹介されていました。 何かの本の内容のようでした。 テーマに魅力を感じましたが、肝心の詭弁があまりおもしろいとは思えませんでした。 (最近の紙メディアは本当に低迷しているようです…。) そこで、同じ題で、自分好みのへりくつをいくつか書いてみました。

以下、参考までに…。

最初の「高階論理」は、 「この矛」「この盾」自身を「何でも」というクラスに属する対象と認めないもので、 集合論のパラドックス(ラッセルのパラドックス)を回避するのに用いられた古典的手法。 また、最後の「数学」は、そもそもこれはパラドックスではなく単なる偽だ、という話。 言ってしまうと身もふたもないのですが、実はこの話は矛盾じゃなくて単なる偽なんですよね、数学的には。 いろいろ言葉で遊んできたけど実はそもそも矛盾じゃなかったというオチ。

「計算量の理論」では、 「答えることができない」ことを証明することは実際には非常に難しい、 という点をついている。 韓非子は「楚の人は答えることができなかった」と言っているが、 二三分黙り込んでしまったとしても、解決不能であることが証明されたわけではない。 五分後に答えるかもしれないし、一万年後に答えるかもしれない。 「答えることができた」は答えた瞬間に確定し、 「答えない」は答えないと宣言すれば確定するが、 「答えることができない」を証明することは難しい。 計算可能性とか、決定可能性とか、チューリングマシンの停止問題。 「答えることができなかった」という韓非子も、実はそこで論理が破綻している。 韓非子が言っていることは論理でなくて、数分たっても答えないから答えられないのだろう、という人間の経験にすぎない。

「確率的」も、計算量の理論系で、確定的か確率的かという区別で(つまり排中律をやめて「真」「たぶん真」「たぶん偽」「偽」みたいに言うことで)ごまかしている。 おもしろいけれど単なる詭弁。 結果が確定的でないと言っておいて、だから確定的にこうだと言えることはない、とごまかす。 賢い客だったら「では確定的という意味では矛も盾も不完全ですね」と言い返して、両方偽だと言うだろう。 本質的には2命題は「たぶん偽」でどちらも「完全に偽」とは言えない、というところで、ごまかしを入れて、 「偽ではない」ゆえにどちらも「真」と言っている。同じ理屈で「たぶん偽」ゆえに「真ではない」ゆえにどちらも「偽」とされてしまう。 この論法の間違いは、自分に都合がいいところだけ排中律を仮定し、そうでないと排中律を否定していることです。

「トンネル効果」「対消滅」は、逆に言っていることが単純に真実だとして、物理的にどう解釈できるかという話。

あとは見ての通り冗談です。

付録1: マイクロソフト風(ロングバージョン)

矛で盾を突くと一般保護違反が発生

現象: この矛でこの盾を突くと、一般ホコ違反が発生し、正しく処理が完了しない場合があります。 条件によって、矛が盾を貫けないことがありますが、これは正常な処理結果ではありません。 また、別の条件では、矛が盾を貫いてしまう場合がありますが、これも正常な処理結果ではありません。 当社の矛はあらゆる盾を貫き、当社の盾はあらゆる矛を防ぎ止めますが、 上記の組み合わせでは、処理結果が保証されません。

原因: この動作は、当社の盾と矛の仕様です。

解決方法: 矛で盾を突くことで問題が発生する場合、矛で盾を突くのをやめれば、問題は発生しなくなります。

詳細: この問題についての詳細は、住所・氏名・生年月日・電話番号・購入年月日・購入店を証明できる書類と、 クレジットカード番号およびアクティべーション・キーをご用意のうえ、有料サポートまでお問い合わせください。

→ 楚の人の答え「お買いあげいただけば分かります」

MicroSohito Corporation® の武器データベースは、いかなる保証もない現状ベースで提供されるものです。 Micro楚人® およびその関連会社は、市場性および特定の目的への適合性を含めて、明示的にも暗示的にも、一切の保証を致しません。

付録2: アニオタ編

Senshi Crossover

ムーン・プリズム・パワ~~~メイクアップ! 矛を使って、おしおきよ。

ミュウミュウ・ストロベリー、メタモルフォ~~~ゼ! 盾の未来に、ご奉仕するにゃん。

うさぎ「アイデアそのままパクってるようなあなたになんて、絶対負けないんだから!」

いちご「あ、あなたこそゴレンジャーに謝ったらどう!」

うさぎ「じゅもんを変えただけで同じことやらないでほしいわね! 猫耳つけて男の子に媚びちゃって、いやーらしいったらありゃしない!」

いちご「バブル時代のあなたに、あたしの立場が分かるもんですかっ! SやらRやらゴチャゴチャいっぱい作って! ガンダムする気っ?」

うさぎ「あーら。くやしかったら『あ・ら・もーど』で続編もアニメ化してみたらいかが?」

いちご「あなたたちが月も惑星も独り占めするから、こっちは『地球』しか残ってなかったんですからね! 『地球』じゃ夢がないのに! この欲ばり! わがまま! どろぼう! じゃすらっく! ぜいむしょ!」

うさぎ「何よその言いがかり! まねっこしなければ、月でも惑星でも使えるでしょ、ぼく地球や月光仮面みたいに! 失礼しちゃうわね! イーーーーだっ!」

ルナ「*タメイキ* うさぎちゃん、うさぎちゃん、みにくい争いはよしなさいよー。それにいちごちゃんも。あなたたちの敵は妖魔とキメラアニマでしょ」

マシャ「マシャもそう思う! マシャもそう思う!」

うさぎ「とにかく、この矛を使って、その盾は断固、破らせてもらうわっ」

いちご「そんなこと絶対させないんだから! 何が断固よ、このおだんご頭!」

うさぎ「うるさい! 勝負よ! ムーン・ティアラ・アクション!」

いちご「受けて立つわ! リボン・ストロベリー・チェック!」

いちご「ああっ!」

ざくろ「ミュウいちご!」

れたす「いちごさん…! 早く何とかしないとこのままでは…」

みんと「やっぱりあたくしたちじゃ、セラムンには勝てませんわ、年季が違いますもの」

いちご「もう…だ…め…」

声「わたしは守る…おまえを」

うさぎ「痛ーいっ! 何すんのよ! えーん;;」

(音楽 = 蒼の騎士のテーマ)

いちご「蒼の騎士!」

ぷりん「蒼の騎士が助けに来てくれたのだ!」

別の声「そうは行くかな。わたしのニセモノさん」

(音楽 = タキシード仮面が出るときのヤツ)

うさぎ「タキシード仮面!」

「これが銀水晶のちから!」

「これがミュウアクアのちから!」

心の盾を破らねば、矛は矛のまま死んでゆく。 世界は盾、我らは矛だ。 世界の矛盾を破壊せよ。 矛盾を革命するちからを! …かしら、かしら、ご存じかしら? この矛でこの盾を突くとどうなるか?  分からないまま終わる、そんなのは嫌だ。ああ、教えてせんせいさん。

説明しよう。矛と盾にはそれぞれラムダ・ドライバが装備されており、これはオペレータの精神力の戦いとなるのである。

矛はミノフスキー粒子によりECMサブストラクチャーを展開して盾の防衛システムを攪乱、エネルギー充填120%により第一次・第二次防衛ラインを突破するが、 フェナリナーサのATフィールドは物理攻撃では突破できない。貴様の盾は化け物か。あえて言おう、カスであると。 盾? 立つんだ、ジョー!

いくら機械文明が進歩しても、一番大切なのは心なのだ……と、鉄郎は思うのだった………(汽笛)

→ 楚の人の答え「物理的にはどちらが勝つとも言えません。ガーベラの花言葉は『神秘』なのです」

花の魔法使い

ユーリ「大変! このままじゃ矛盾が発生してしまうわ」

ケン「マリーベル、何とかならないの?」

マリーベル「大丈夫! マリーベルにおまかせよ!」

マリーベル「マリーベルの花魔法!」

タンバリン「花魔法!」

マリーベル「マリリンベルルン、リンリンリン! 心の鏡よ、出ておいで!」

ホッグさん「くそっ。おれの人生をはばむこの盾めっ。負けるもんか。この矛を受けてみろ!」

マリーベル「勇者さま。よく見て。ここは花の世界よ」

ホッグさん「えっ。……あっ、あの盾は! ……おれだ」

ユーリ「そうか! 分かったわ」

ケン「えっ。何が分かったの、お姉ちゃん?」

ユーリ「魔王の正体は、ホッグさんの心のなかの、わだかまりだったのよ」

マリーベル「負けたくないという気持ちが強すぎて、 その気持ちがかえって壁になってしまっていたんだわ…」

ホッグさん「そうか。おれの人生をじゃましていると思っていた盾、それはおれ自身の心だったんだ」

ホッグさん「突く必要なんてない。戦う必要なんてない。矛も盾も、どちらもおれ自身だったんだ」

(武器を捨てたホッグさんの前に黄金の種が現れる)

マリーベル「勇者さま…おめでとう!」

ホッグさん「ありがとう、正義と真実と…その他もろもろの、長い名前のマリーベル!」

→ 楚の人の答え「わたしが答えに詰まるような意地悪な質問をして、あなたは何を得るのでしょうか。 心の鏡をのぞいてみてください。 あなた自身の心の中で解決するべき問題です」

更新履歴

  1. 2004年12月24日: 初版。
  2. 2006年5月12日: 「法律」を微調整。
  3. 2008年9月1日: 「政治家」を追加。
  4. 2009年5月7日: 表記の修正。「ラムダドライバー」→「ラムダ・ドライバ」
  5. 2011年10月3日: 細部。「世界の盾を破壊せよ。世界を革命するために!」→「世界の矛盾を破壊せよ。矛盾を革命するちからを!」
  6. 2011年11月5日: 細部。「わたしは矛盾して生き、矛盾して死ぬ。これがわたしの真実、わたしの生き様」→「死、それがわたしの生命。生きることによりわたしは死に、死ぬことによりわたしは生きる」(2014年4月20日に元に戻した)
  7. 2011年11月19日: 「宗教3」を追加。
  8. 2014年4月20日: 「知的財産屋 2」、「哲学」、「番外編・吉野家」を削除。2011年11月5日の変更を元に戻した。
  9. 2015年3月22日: 「哲学」を復活させた。

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「詭弁のガイドライン」 詭弁に対する詭弁

2007年 7月21日
記事ID d70721

詭弁のガイドラインは、「イヌは哺乳類ではない」という強弁を例に、詭弁を使う者を排除するための指針(という体裁の一種のネタ)だ。 以下では、そこに挙げられた例について、単に「悪い議論」「詭弁」として排除するのではなく、言い返すことを考える。 8と9以外は、相手にできる余地がある。 12は形式的には相手にできるが、議論をループさせるなら相手にしないほうが良いだろう。

1.事実に対して仮定を持ち出す: 「犬は子供を産むが、もし卵を生む犬がいたらどうだろうか?」

→ 仮定に対しては仮定法で返す: 「仮にイヌが卵生だとすれば、比較的珍しいタイプの哺乳類ということになるでしょう」

2.ごくまれな反例をとりあげる: 「だが、尻尾が2本ある犬が生まれることもある」

→ 「3本あるイヌも生まれるかもしれませんね。それが何か?」(これはガイドラインの方が間違っていて、反例でないので反論する必要もない)

3.自分に有利な将来像を予想する: 「何年か後、犬に羽が生えないという保証は誰にもできない」

→ 相手に不利な将来像で返す: 「しかし羽が生えるという保証は誰にもできない」

→ 将来と現在を鑑別する: 「将来のイヌがどうであるかは、現時点でのイヌの分類学的位置づけに影響しません。 進化によって分類が変わることは大いにありえます」

4.主観で決め付ける: 「犬自身が哺乳類であることを望むわけがない」

→ 主観で返す: 「イヌが哺乳類でないことを望むわけがない。 哺乳できなければ子犬を産んだあと母犬は困る。そんなことを望むわけがない」

→ 湯川博士のファンか試す: 「あなたはイヌでないのに、どうしてイヌの気持ちが分かるのですか」

→ 主観には客観で返す: 「なるほど飼育などの場合、イヌの身になって考えるのも大切なことかもしれませんね。 ただ、分類学は、分類対象の主観的意識とは無関係の、客観的学問なのです。例えば、あなたはヒトであることにうんざりしているかもしれませんが、 そうだとしても、残念ながら、あなたは分類学的にはヒトという生物です」

5.資料を示さず持論が支持されていると思わせる: 「世界では、犬は哺乳類ではないという見方が一般的だ」

→ 妄想は否定せず自己崩壊へ導く: 「では、イヌは何類という見方が一般的なのでしょうか。魚類ですか」

6.一見、関係がありそうで関係のない話を始める: 「ところで、カモノハシは卵を産むのを知っているか?」

→ 話をそらす相手には名誉ある敗北を促す: 「よくご存じですね。じゃあ、イヌが哺乳類であることは決着もついたことだし、カモノハシの話に移りましょうか?」

X=aかX=bかの議論で後者の立場の相手は、形勢が不利になると思わずY=bという関係ない話を始めることがある。 このとき「X=aは結論が出たようなので、Yの話に移りましょうか」と言えば、 相手は承知して間接的に負けを認めるか、話をそらすことをあきらめX=b説に戻るしかなくなる。 Yの話を持ち出した相手を立てるようにすれば、たぶん負けを認めてくれるだろう。

7.陰謀であると力説する: 「それは、犬を哺乳類と認めると都合の良いアメリカが画策した陰謀だ」

→ 妄想は否定せず自己崩壊へ導く: 「イヌを哺乳類と認めることが、アメリカにとってどのような国益をもたらすのでしょうか」

→ 陰謀論には陰謀論で返す: 「だまされないでください。それはアメリカの陰謀だと思わせておきたいフランスの陰謀なんです!」

→ ギャグで返す: 「日本はアメリカの走狗(そうく)ですから」

→ 混ぜっ返す: 「アメリカではエピネフリンというくせに、受容体はadrenoceptorですものね」

8.知能障害を起こす: 「何、犬ごときにマジになってやんの、バーカバーカ」

→ 透明あぼーんする: 「ねえ、>>4 の湯川博士うんぬんってどういう意味?」

9.自分の見解を述べずに人格批判をする: 「犬が哺乳類なんて言う奴は、社会に出てない証拠。現実をみてみろよ」

→ スルーして上の人と会話する: 「湯川>知魚楽 色紙で検索しる」

10.ありえない解決策を図る: 「犬が卵を産めるようになれば良いって事でしょ」

→ あえりえない仮定からどんなありえない結論が出るか示す: 「それだけじゃだめ。おっぱいもなくならないと。哺乳してたら哺乳類っぽすぎる。 だけどイヌ科はネコ(もく)。 その下位に位置するイヌが哺乳類でないとすると、子猫がミルクを飲めなくなる。 おなかがすいてにゃーにゃー鳴いてる子猫にミルクを飲ませないなんて、ひどい話だよね。 そんなことを考えるやつは人間じゃないよ」

注: 勝ち急ぐなら「解剖学的に無理なことを押し付けるのは動物虐待だ。 あなたの考えは動物虐待なのですよ、それが分からないのですか!」と詰め寄ることもできる。 しかし感情に訴える「公理の密輸」は見苦しいし、ありえない前提の仮定的議論でむきになっても仕方ない。 ユーモラスにつきあった方が良いだろう。

11.レッテル貼りをする: 「犬が哺乳類だなんて過去の概念にしがみつく右翼はイタイね」

→ 妄想は否定せず自己崩壊へ導く: 「それが過去の概念とすると現在の概念ではイヌは何なのでしょうか。昆虫ですか」

12.決着した話を経緯を無視して蒸し返す: 「ところで、犬がどうやったら哺乳類の条件をみたすんだ?」

→ 追い出す: 「板違い。ここは詭弁のガイドラインだ。動物がどうこうの話なら動物板で聞いてくれ」

13.勝利宣言をする: 「犬が哺乳類だという論はすでに何年も前に論破されてる事なのだが」

→ 応援する: 「あなたにはそれを信じる自由があります。あなたのその自由は守られねばならない」

14.細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる: 「犬って言っても大型犬から小型犬までいる。もっと勉強しろよ」

→ 誰を無知扱いしたか後悔させる: 「大型犬などというあいまいな用語でなく学名でおっしゃってください」

→ 知ったかぶりは限界まで追い詰める: 「ではさっそく勉強させていただきたいのですが、大型犬と小型犬はどのように区別されますか」

→ 混ぜっ返す: 「そんな狭い認識でどうするのですか。イヌ科にはキツネやタヌキも含まれるのですよ」

15.新しい概念が全て正しいのだとミスリードする: 「犬が哺乳類ではないと認めない限り生物学に進歩はない」

→ 真面目にさとす: 「分類が(属名くらい)変わることは、ままありますが、それは生物学の問題というより分類学の問題でしょう」

→ 妄想は否定せず自己崩壊へ導く: 「イヌを哺乳類でないと認めた場合、生物学にどのような進歩が起こりますか」

16.全てか無かで途中を認めないか、あえて無視する: 「全ての犬が哺乳類としての条件を満たしているか検査するのは不可能だ(だから、哺乳類ではない)」

→ 「NOT ∀」はとりあえず「∃」で返し相手に後退を余儀なくさせる: 「少なくとも1匹のイヌは哺乳類である、と認めたわけですね」

→ 不可知論の手筋に従う: 「本当に検査が不可能かどうか断言するのは不可能だ(だから、反証にならない)」

→ 決定可能性の手筋に従う: 「あなたは『イヌは哺乳類である』という命題の真偽が決定できない、と言っているにすぎない。 仮にそうだとすれば、『イヌは哺乳類でない』という命題の真偽も決定できない」

→ 帰納的に定義する: 「おっしゃることも一理あります。 では検査した結果、哺乳類であるイヌと認められたものだけをイヌと定義しましょう。 定義によって、将来の検査によって哺乳類でないイヌが見つかることはなく、すべてのイヌは哺乳類です」

17.勝手に極論化して、結論の正当性に疑問を呈する: 「確かに犬は哺乳類と言えるかもしれない、しかしだからといって、哺乳類としての条件を全て持っているというのは早計に過ぎないか」

→ ギャグで返す: 「確かに一発なら誤射かもしれないね」

→ 真面目にさとす: 「哺乳類といえるとすれば、哺乳類の条件をすべて満たしている。 哺乳類の条件を一つでも欠いているなら哺乳類といえない。それらは対偶だから同値です」

18.自分で話をずらしておいて、「話をずらすな」と相手を批難する: 「現在問題なのは犬の広義の非哺乳類性であり、哺乳類であるかどうかは問題ではない。話をそらすな」

→ 話をそらす相手には名誉ある敗北を促す: 「ご指摘のように非哺乳類性という概念を拡張して考えるのは有意義かもしれませんね。 数学の非素数における強い擬素数と弱い擬素数のようなものでしょうか。 おっしゃるように、イヌが哺乳類であるかについてはYesと結論が出ており、当たり前過ぎて、問題ではありませんし、 それはそれで決着がついたところで、『広義の非哺乳類性』へと話を転じましょうか」

魚の楽しみ

2007年7月22日

「犬自身が哺乳類であることを望むわけがない」「あなたはイヌでないのに、どうしてイヌの気持ちが分かるのですか」

このネタを一応説明しておく。

もともとは、
A: 「魚が楽しそうに泳いでいる」
B: 「あなたは魚でないのに、どうして魚の楽しさが分かるのですか」
A: 「あなたはわたしでないのに、どうしてわたしに魚の楽しさが分からないと分かるのですか」
B: 「わたしはあなたでないから、あなたのことは分かりません。あなたは魚でないから、魚のことは分かりません。どうです?」
A: 「ちょっと待ってください。あなたはわたしでないのに、わたしには魚の楽しさが分かるわけがない、という明確なビジョンを持っているのでしょう。 同様に、わたしも魚ではないけれど、魚の楽しさについて明確なビジョンを持っているのです」
というような小話で、湯川先生は自分はAの立場に近いと述べた。

湯川の中間子理論というのは、くだいて説明すると、

…オタク(核子)というのは人間関係が苦手で(電荷は+かゼロなので電磁気的には)群れないはずだ。 ところが、あそこ(原子核)にはオタクが密集している。 これは、おかしい。 オタクを引き寄せ合い、くっつける何かが存在しているに違いない。 その何かを「同人誌」と名づけよう。 オタクによってやりとりされるのだから、同人誌はオタクが手で持てるくらいの大きさだろう。 体のでかいオタクがくっつくのだから、電子のような微小なものではないはずだ。 つまりオタク自身よりは小さいが電子よりかなりでかい質量に違いない。 オタクはあそこでそんな中間的な大きさの「同人誌」を交換し合って楽しんでいるんだ。 この「同人誌」は電磁気的な反発を上書きしてしまうような強い力(核力)を媒介している、と考えなければならない。…

Bの立場は「あなたは陽子でも中性子でもないのに、 それら核子の楽しみなど分かるはずがない。ましてやそこでやりとりされている何かだとか、 その力の強さだとか、妄想にもほどがある。もっと実証的に考えてくれ」だろう。

それに対するAは「わたしに原子内部のことなど分かるわけがない、という明確なビジョンをあなたは持っている。 そのように、わたしは、原子の内部について、明確なビジョンを持っている」で、 湯川が自分をAの立場と言ったのは、ごくストレートな発想だろう。 湯川がなぜ色紙に「知魚楽」と書いたのか、本当のところは分からないが、 あるいは、かつて自分の理論について「ばかを言うな」「何の証拠がある」「見てきたようなことを言うな」といろんな人から非難されたのかもしれない。

ところで「オタクが群れているなら、秋葉原のようなものかもしれないではないか。 ゲームとか買いに来て群れているのかもしれない。湯川の理論は恣意的だ」という反論もあるかもしれない。

しかし原子核が秋葉原だとすると、オタク(核子)が入ったり出たりしているはずで、すべての原子は(原子量が増えたり減ったり、 つまり例えば酸素が急に窒素になったり)不安定になってしまう。 寿命が尽きるまでは安定していて出入りの少ない閉鎖的な即売会場のように考えるほうが近いだろう。

実際、やがて湯川の予想した「同人誌」が実在することが発見され、湯川はノーベル賞を受賞した。

秋葉原のような場も考えられる。 「何かをほしくて」引き寄せられ、到達するとその何かを受け取り、受け取ると性質が変わってその場から斥力を受ける、というモデルだ。 現実のオタには「早く自分の部屋に帰って引きこもりたい」という力と「あれがほしい」という力が働いており、 後者が前者を上回るレベルに達すると部屋から出て、目的が達せられると再び前者の力が支配的になって、部屋に帰るのだろう。 つまり「ほしいソフトを所有していないオタ」と「そのソフトを入手した後のオタ」は同じオタでも「店」と「家」の間で違う運動をする。

「あなたはオタでもないのに、何でオタの楽しみが分かるのですか」 「…ぇ…」

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