1 : 13 ぼくの名前は冥王星

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神から見た「主の祈り」

2004年10月 4日
記事ID d41004

わたし: 「天にましますわれらの父よ」

神: はい?

わたし: じゃましないでください。お祈りしてるんだから…

神: おまえがおれを呼んだんだろ。

わたし: あなたを呼んだ? 呼んでませんよ。お祈りしてるんです。「天にましますわれらの父よ」

神: ほーら、また。

わたし: またって何が?

神: おれを呼んだろ、「天にましますわれらの父よ」って。はいはい、どうしたの?

わたし: どうしてのと言われても…。ただ、その、いつものお祈り…いつも主の祈りを唱えるんです。なんていうかすっきりして、つとめを果たした気分になるんで。

神: へえ。どうぞ続けて。

わたし: 「み名をあがめさせたまえ」

神: ちょっと待った。それどういう意味?

わたし: 「それ」って?

神: 「み名をあがめさせたまえ」

わたし: それは…その…。えー、意味なんて知りませんよ。わたしに分かるわけないでしょう。主の祈りの一部というか…。ちなみに、どういう意味なんですか。

神: 「スゲェイカス神の王国のため ガンバ!」って意味さ。

わたし: あー! なーるほどね。「あがめさせ」ってそういう意味なんだ? 「み国を来たらせたまえ。み心が天に行われるがごとく、地にも行わせたまえ」

神: それ本気で言ってるの?

わたし: もちろんですよ。

神: それを実現させるために何かやってるの?

わたし: 別に何もやってないけど…。ただ、あなたが天国でやってるように、地上の万物をちゃんとコントロールしてくれたらいいなぁと。

神: おれがおまえをコントロールするわけか。

わたし: それは…わたし、教会に行きますし。

神: そんなこと頼んだ覚えはないぞ、おれは。 そんなことよりさあ、おまえ短気だろ。まじ問題あるぞ。 金遣いもあれだな。自分のことにしか使わないし。 その上、おまえが読んでる本…。くだらないテレビ番組も見るし…。

わたし: そんな、いじめないでくださいよー。わたしの生活はごく平均的ですよ。

神: おまえ、おれの意思が実行されますようにって祈ってたんじゃなかったの? そうなってほしいなら、祈っている本人から実践しなきゃだめだろ。

わたし: まあ、それはそうでしょうけど…。確かにわたしには心のわだかまりとか、あると思いますよ。言われてみれば、ほかにもいろいろ問題あるかも。

神: あるぞ。

わたし: こんなこと、今まであまり考えたことなかったけど、変えたいとは思ってるんです。何ていうかその…軽やかに生きたいな、と…。

神: 結構。話がかみあってきたよ。協力しようじゃないか…。おまえとおれとで。輝かしい勝利だ。おめでとう。

わたし: ねえ、神様、もう終わりにしたいんですけど。いつもこんな時間かけることじゃないんです。「日々の糧を今日も与えたまえ」

神: おまえ糧を減らした方がいいぞ。太りすぎだろ。なあ。無茶なダイエットもダメだぞ。

わたし: ちょっと、ちょっと、待ってくださいよー。何なんです、いったい。わたしはただお祈りをしていただけなのに、突然割り込んできて、ああだこうだとわたしの欠点を並べたてて。

神: 祈りっていうのは、危険なものなんだ。何かが変わるかもしれないんだから。おれがおまえに分からせようとしているのは、その点なんだけどね…。祈りを続けろや。どんな祈りが続くのやら興味津々だ。

わたし:

神: …ほら、続けろよ。

わたし: 怖くなってきました。

神: 怖い? 何が?

わたし: 何て言われるか予想がつくんで…。

神: 予想が当たるか試してみ。

わたし: 「われらがわれらに罪をなす者を許すがごとく、われらの罪をも許したまえ」

神: おまえあいつを許したの?

わたし: ほらね。そうくると思った…。 絶対あいつのことを言われるって思ったもん。 でも神様、あいつ、わたしのことでうそをついて、家族の変なうわさを広めたんですよ。貸した金は全然返さないし。この恨みは絶対晴らさなきゃ。

神: だけどおまえの祈り…祈りは?

わたし: それはそれ、これはこれ。

神: ふーん、まあ少なくともその点は正直だな。だけど、心の中で憎しみがうずまいているのは楽しくないだろ?

わたし: ええ、でもあいつに仕返しすればスッとしますよ。ああっ、いい考えが浮かんだ。見てらっしゃい。うちの近所に越してきたことを後悔させてやるんだから。

神: うんにゃ、そんなことしても気は晴れないぞ。むしろますます気分が悪くなるだけだ。復讐なんて楽しいものじゃない。 おまえ、あんまり幸せじゃないだろう、なあ。おれはそれを変えられるんだぜ。

わたし: 変えられる? どうやって?

神: あいつを許すんだ。そしたらおれはおまえを許す。そうなれば憎しみも罪もあいつの問題で、おまえは関係なくなる。おまえは気持ちの整理がつくんだ。

わたし: でも神様、あいつ、絶対許せません。

神: じゃあ、おれもおまえを許せねえ。

わたし: ああ、そうか。 そうなるんだよね…。 わたしだって、あいつに仕返ししたい以上に、神のもとで正しくありたいわけで…

わたし: *タメイキ* じゃあ…仕方ない…許すかな…。でも、あいつにまっとうな生きる道を分からせてやってくださいよね、神様。 考えてみると、あいつも悲惨だよね。ああいうことが平気でできる人は、どこかおかしいんだよ…。どうにかして、何とか、あいつにまっとうな道を分からせてやってくださいね。

神: よく言った! 気分はどう?

わたし: うーん…。うん、悪くないかも。悪くないな。なんかいい気分です。しばらくぶりに、今晩はいい気分で眠れそう。よく眠れるようになって、体調も良くなるかも。

神: まだ祈りは終わってないだろう。続けたら?

わたし: あ、はい…。「われらを試みにあわせず、悪より救い出したまえ」

神: うん、うん。そうしてやろう。おまえも自分から飛び込むなよな。そういう状況に。

わたし: というと?

神: やらなければならないことあるのが分かっていながら、テレビをつけるな。 いっしょにすごす友達も考えた方がいいかもしれないな。 くだらない話 しかできない相手なら…。 それとな…。周りの人と同じでなければいけない、ってことは全然ないからな。 おれを非常口にするのもやめてくれ。

わたし: 非常口? 何のこと?

神: 分かってるくせに。今まで何度やったよ、同じことを。やばい状況になる。まずいことになる。あわてておれを呼び出すんだ。「神様、助けてください。もうこんなことは二度としませんから…」そんな取引をおれに持ちかけたの覚えてるだろ、なあ。

わたし: はい。とても恥ずかしいと思っています、神様。本当に。

神: どの取引を覚えてるんだ?

わたし: ええと、夫が留守で、子どもたちとわたしだけが家にいた晩のこと…。 ものすごい暴風雨で、屋根が吹き飛ばされるかと思いました。 「神様、お守りください。これからは定期的に寄付をしますから!」って祈ったのを覚えています。

神: おれはおまえを守っただろう。それなのにおまえは約束を守らなかったなあ?

わたし: すいません、神様。本当に悪いと思ってます。今までずっと、毎日主の祈りを唱えれば何をしても大丈夫だって思ってたんです。こんなことが起こるなんて思ってもみませんでした…。

神: 続けて。祈りを最後まで。

わたし: あ、はい…。「国と力と栄えとは、永遠になんじのものなればなり。アーメン」

神: なあ、おまえどうしたら、おれに栄えがあるか分かるか。どうしたらおれが本当にハッピーになると思うね?

わたし: 分かりません。教えてください。神様に喜ばれるにはどうすればいいか…。 そうしたら人生もすっきりするし、正しい道を歩めたら素晴らしいでしょうから…。

神: それが答えだ。

わたし: 答え…?

神: そう。おまえのような人間が、神のもとで正しくあろうとすること。それが、おれの栄えさ。おまえとおれの間では、そうなるだろうな。おまえの昔の罪も明るみに出て清算されたんだからさ。これから力を合わせれば、思いも寄らないことだって、できるかもしれないじゃん。

わたし: 神様、あなたと力を合わせたとき、わたしに何ができるか試させてください。

神: ああ、いいぜ。

この文章について

クライド・リー・ヘリング(Clyde Lee Herring)著『If God Talked Out Loud...』(1977年)に基づく。 半分ジョークのようなユーモラスな設定で、「いくら毎日神に祈っても、いくら心を込めて祈っても、それだけでは意味がない」ことを指摘している。 オリジナルはキリスト教の文脈だが、宗教という枠組みに限定されない興味深い問題を提起している。

ウェブ上では、If God Should Speak という題名で紹介されていることも多い。 細部が微妙に違ういろいろなバージョンがあるが、「Ann に恨みを持つ主婦」を主人公とするものと、「Bill に恨みを持つ若い男性」を主人公とするものの二つが代表的なようだ。 ここで紹介しているのは Ann バージョン。 Bill バージョンも参考にしつつ、原文の本質をなるべく忠実に伝えることを目指している。

この記事は、通常と違う面白い視点を提供することを狙いとするものであり、狭い意味での宗教を擁護したり揶揄したりする意図はない。

画像の出典

アンの小箱」の素材です。「アンの小箱」の利用規定に従ってください。

更新履歴

  1. 2004年10月4日: 初版公開。題名は単に『「主の祈り」』だった。 Bill バージョンの一種(恨みの相手は Joe)だった。
  2. 2006年6月5日: 『「立派」「神聖」「すごい」って意味さ』をしゃれで『「スゲェイカス神の王国のため ガンバ!」って意味さ』に変更。
  3. 2013年9月19日: 第2版公開Ann バージョンに変更してアイコンを追加。 ニュアンスがうまく表現されていなかった部分を改善し(『それでどうしようっていうわけよ。』→『それを実現させるために何かやってるの?』など)、細部を調整。 『神から見た「主の祈り」』に改題。
  4. 2013年9月24日: 『そんなこと言ってんじゃないよ、おれは』→『そんなこと頼んだ覚えはないぞ、おれは』。
  5. 2013年10月2日: 細部の調整。

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ぼくの名前は冥王星

2013年 9月30日
記事ID e30930

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(赤い服を着た女の子の姿の妖精。かわいらしいが、少しさびしそうにも見える。…赤い妖精は、話し始める。)


長いこと「土天海どってんかい」家の一員として やってきた。

なのに、突然「おまえは、もうわが家の一員ではない」と言いわたされて しまった。物心ついたときから、ずっと惑星として育てられてきたのに…。ぼく、なんにも悪いことしてないのに…。

いいもん、いいもん! これからは小惑星になって、ジュノーちゃんやベスタちゃんと遊ぶから!

と思っていたら、「おまえは小惑星でもないんだよ」と言われてしまった。そんなー。ぼくは一体なんなの。惑星でもないし小惑星でもないなんて。ぼくのアイデンティティーは粉々さ。


もくじ


地球と冥王星の共通点は「大きな月」

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ハッブル望遠鏡で見た冥王星とカロン。カロンの直径は冥王星の半分。
冥王星(左)は赤っぽい星。これは、窒素とメタンに紫外線などが当たってできる有機物の色だと考えられている。右上がカロン
Source: HubbleSite

(この物語で、冥王星は、女の子の姿の妖精として描かれる。赤い服を着た元気そうな妖精だ。)(カロンは、ピンクの妖精。きゃしゃで、はかなげだ。)

妹のカロンは、「月」とか「衛星」とか呼ばれてるけど、直径がぼくの52%くらいある。この大きさだと、惑星と月というより、二重惑星だよね。国際天文学連合も、「冥王星とカロンは、どちらも準惑星かもしれない」って言ってるんだ。まあ、あいつらの言うことは、いいかげんで、あてにならないけどね…。

ぼくたちが住んでるところは、カイパーベルトといって、氷や岩のかたまりがゴロゴロしてるところだ。惑星に なりそこねた連中だから、みんな ふてくされて行動が荒れている。逆回転したり、傾いてまわったり、ひしゃげた軌道をまわったり…。まあ、その点については、ぼくも大きなことは言えないけどね…。

どこから何が飛んでくるか分からない危険な場所だから、カロンとぼくは互いを守りあって生きている。隕石いんせきがぶつかったら痛いだろ? 星が壊れちゃうよ。だから、ぼくたちは力を合わせて間に共通重心を作って、隕石をそっちに引き寄せるんだ。

ぼくに向かってきた隕石は、カロンが ひっぱってそらす。カロンに向かってきた隕石は、ぼくが ひっぱってそらす。隕石は、ぼくたちの間の重力のくぼみにトラップされて、あさっての方角にスイングバイさ!

全部は よけきれないけど、カイパーベルトで今のぼくがあるのは、カロンとの位置関係がラッキーだったからなんだ。

知ってる? 地球も似た運を持ってるんだ。地球と冥王星は特別に大きな月を持っている仲間同士なんだよ。

一番でかい衛星はガニメデだろ、って? そりゃあガニメデは地球の月より一回りも二回りも大きいけど、あの怪物みたいな木星に比べたら、小粒だろ? 土星のタイタンだってそうさ。本星との直径の比率でいうと、地球の月は27% — カイパーベルトより内側の惑星・衛星の中じゃ、一番だ。しかも、2位以下(6%未満)を大きく引き離している。

そしてこれは、ただの無意味な統計じゃない。地球上に今の生命があるのは、この異常に大きい月のおかげなんだ。

なぜかって?

うん。あれは、地球の暦で6600万年前のことだ。直径10キロはありそうな小惑星が、カイパーベルトから太陽系の内側に向かって落ちていった…。運悪く、その先に地球があったんだ。地球の月は一生懸命、小惑星をいろんな向きから ひっぱって、コースを変えようとした。それで小惑星の軌道は少しゆらいで、正面衝突は避けられたんだけど、完全には よけきれずに超音速で大気圏外からメキシコに つっこんでしまった。

放出されたエネルギーは原子爆弾の140億倍。数キロ圏の生き物は一瞬で蒸発した。衝撃波は地表を一周し、二周し、三周し、飛び散った破片の摩擦で大気は熱を帯びた。地球全体が石窯いしがまになった。そして「衝突の冬」。舞い上がった ほこりが太陽の光をさえぎって、世界は暗く、寒くなった。燃えずに残った植物たちも弱っていった。食物連鎖がズタズタになり、動物の種の半分は ほろんだよ。残っていた恐竜たちも、いなくなってしまった…。

冥王星・カロン系の共通重心は中間の宇宙空間にあるけど、地球・月系の共通重心は地球の内部にあるんだ。冥王星とカロンの質量比は8:1だけど、地球と月の質量比は100:1だからね。「重力場による自衛」という意味では、冥王星・カロン系の方が安全だ。自由落下してくる物体は、共通重心に向かうから…。

それでも、大きな月が地球のまわりを(それも地球の軌道面と微妙に傾斜して)公転しているせいで、隕石から見て、地球をピンポイントでねらうのは、ずいぶんと難しい。地球の巨大な海が、月のせいで ふくらんだり ひっこんだりするくらいだもん。地球にぶつかるつもりで進んできた隕石は、地球に接近するにつれて、月にグイグイひっぱられてしまう。月の重力は、地球にとって バリアになってるんだ。あのとき月がなかったら…。小惑星が正面衝突して、地球の生命は もっと深刻なダメージを受けていた かもしれない。

地球と月も、本当は惑星と衛星じゃなくて、二重惑星かもしれないよ。前に火星くんから聞いたけど、火星の空で地球を見上げると、いつも月がすぐそばにあって、きょうだい星にしか見えないんだって。らせんをえがくように、くっついたら離れたりしながら、ふたりでダンスを踊ってるみたいだって…。もし月にも水と生命があったら、「衛星」じゃなくて「きょうだい星」って呼んでたかもしれないね!

(赤い妖精はニコッと笑う。)

火星から見ると地球は「ない惑星」。地球から見た金星と同じで、明け方の東の空か、夕暮れの西の空に見える。ぼくも見せてもらったけど、きれいなものさ。地球は水色に輝く星。火星の空の一番星で、金星よりも明るい。月は、それに よりそう黄色っぽい一等星。タンデムで満ち欠けするんだ。でも、火星くんの月はねぇ…。ジャガイモみたいな形の岩が、低空を星と逆向きに転がってくんだ。あれは、落ち着かないよ…。

とにかく、これで君も分かっただろ? 地球と冥王星は「大きな月を持つ」という点で似た者同士なんだ。そして「大きな月」は単なる飾りじゃない。惑星を守る大切な役割を果たしてるんだ。昔の人が「お月さま」って呼んで神格化したのも、迷信とは言いきれないよね。

かしこいカロンの解説コーナー

カロン: 「6600万年前に地球に小惑星衝突」という部分は事実ですが、「月のおかげで被害が軽くて済んだ」という部分は脚色です。本当にそうだった可能性もありますが、そうでなかった可能性もあります。ですが、「今、地球に生命があるのは月のおかげ」というのは本当のことです。

地球生命にとって一番ありがたい月の働きは、日々海水を動かしてくれることでしょう。地球上に今の生命が生まれ進化したのも、月が海をかき混ぜてくれたから…。

大きな月のおかげで、平均的には、地球への小惑星衝突も確かに軽減されます。でも、衝突は「悪」とは限りません。「恐竜を全滅させた」のも、裏を返せば「哺乳ほにゅう類の時代をもたらした」ということ。

同様に、「冥王星とカロンが互いを隕石から かばいあっている」というのも、話の一面にすぎません。天体上の生命にとっては迷惑な衝突イベントも、天体自身にとっては「元素の獲得かくとく新陳代謝しんちんたいしゃの意味を持ちます。

ぼくは「準惑星」?

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ぼくが発見されたのは1930年。当時、天文学の中心はヨーロッパ。だから、米国人クライド・トンボーが新惑星を発見したのは、米国にとって誇らしい業績だった。NASAがないどころか、人類がまだ北極点を踏んでいない時代。

米国内で、ぼくを惑星でないとすることへの抵抗が根強いのも、ひとつは、そのためだろうね。でも、それだけじゃない。今の惑星の定義は、学術的な意味でも完成されたものでは ないらしい。日本学術会議も「定義はさらなる検討の余地がある」って言ってたっけ…。

「一部の天文学者が今の定義に反対するので話が混乱している」と批判する人もいるけど、科学では、多数派と違う主張をしてはいけない、なんてことは全然ない。「多数派に従わないと和が乱れて迷惑」なんていうのは、科学者の態度じゃないよ。

(赤い妖精は遠い目をする。)

「冥王星は惑星から降格された」と言う人もいるけど、そうじゃないんだ…


海王星軌道の外側の広大な領域に無数の小天体が散らばり、輪のように見える。リンク先(英語ページ)に説明画像あり。
カイパーベルトは、10万個以上の小天体が散らばるドーナツ状の領域。傾いた小円は冥王星軌道。平らな円は天王星・海王星などの軌道。これは概念図であり、実際の「輪」はここまで濃密ではない。
Source: New Horizons Web Site (NASA/JHUAPL)

観測技術の進歩とともに、海王星より外側に軌道があるカイパーベルト天体が次々と発見された。「土星に輪があるように、太陽系も巨大な輪を持っている」ことが分かったんだ。そしてぼくは「輪の一部」。「土星の衛星だと思っていたら、土星の輪でした」というのは降格かい? 衛星と輪はどちらも土星系の構成要素で、別にどっちが偉いというものでもないだろ?

なのに地球人は、「太陽系の惑星だと思っていたら、太陽系のカイパーベルトでした」というのは「降格」だと考える。自分が住んでる場所が中心で、自分が住んでる場所が偉いと思っているんだ。「惑星」の方が偉くて、「惑星でないもの」は格下だと…。いまだに頭が自分中心天動説なんだね。

「惑星はいいことで、惑星でないのは悪いことだ」という地球人のとんちんかんな執着しゅうちゃくが、ぼくの存在をねじ曲げる。「惑星はいいものだから、冥王星を惑星でいさせてあげよう」というのは、ぼくに対するぶじょくさ…。

「惑星じゃなくなって、かわいそう」? もし、もしもだよ。君が犬の世界に住んでる猫だったとして。そして犬たちが、やっと君は犬じゃなくて猫だ、って気づいてくれたとして。そのとき「犬じゃなくなって、かわいそう」なのかなあ。「猫なのに犬扱いしてかわいそうだった」じゃないの?

それにね。昔の認識では、「惑星 = 地球型惑星 + 木星型惑星 + みそっかすの冥王星」だったけど、今では情報が増えて「地球型惑星 + 木星型惑星 + 第3ゾーン」となった。天文学者の意識の中で、ぼくは「すみっこにポツンとある暗い星」から「第3ゾーンを代表する星」になったんだ。降格どころか昇格だよね。

(赤い妖精はニコッと笑う。)

本質は「太陽系についての人類の認識が変わった」ってこと。「科学は、知識が深まるにつれて変化する」ってこと。今の定義だって、これから何度も改訂が必要かもしれない。

カロンとぼくを表す簡潔な表現は「二重惑星」だけど…。今の定義では二重惑星はどのみち認められない。「軌道一帯をひとりじめしている」のが「惑星」の条件だから、二重惑星は原理的にありえないし、カイパーベルト天体は、どんなに大きくても「惑星」にならないんだ。たとえぼくが地球と同じ大きさでも、定義上は「惑星」ではなく「準惑星」になる。今の定義ではね。

それが本質をついた定義ならそれでいいけど、どうなんだろう。

ぼくの本質が惑星なのか、そうでないのか…。それは、ぼくにも分からない。人類の知識が増えて「惑星とは何か」について理解が深まったとき、自然と答えが見つかるんだろう。

もしかすると人類は、世界観が大きく変わるのが怖いのかもしれない。今まで「世界」だと思っていたものが「世界」ではなかった、というのは恐怖なのかもしれない。惑星が9個から20個になるよりは、9個から8個になるほうがショックが小さい…。案外、そんな単純な問題も からんでるのかも しれないね。

太陽系の新大陸

カロン: 昔は「みにくいアヒルの子」だった冥王星…。発見されたのは いいものの、少々扱いに困る子でした。「なんでこんな場所に、こんな暗い子がいるんだ?」「ここはガスジャイアントの領域なのに…」「ただのゴミじゃないの」

冥王星は、木星~海王星のガスジャイアント(木星型惑星)から見れば仲間外れの存在ですが、よく調べると、付近には仲間が大勢いることが分かりました。中には、エリス(2003年撮影・2005年発見)のように冥王星とほぼ同じ大きさのものもあり、そのうちどれが「惑星」なのかが問題になりました。2006年に「惑星」の定義が明確化されたのは、そのためです。

冥王星は、海王星までの惑星と比べると暗い星ですが、カイパーベルトでは最も明るい星。比較的大きい星だし、表面にキラキラの霜や氷があるから…。だから最初にそれ1個だけが発見されて「孤立した変なやつ」と思われてしまったんですね。やがて人類の認識が改まり、「孤立した暗い星」は「カイパーベルトの輝く首都」となりました。

実際、海王星軌道より外側の準惑星(ハウメア、エリスマケマケなど)は、「冥王星型天体」とも呼ばれます。冥王星は「地球型惑星」の地球、「木星型惑星」の木星と似た地位になったわけです。「土天海」家を追い出されたのは、ちょっと かわいそうだったかもしれませんが、これは出世ですよね…。

トンボーが見たのは「新惑星」より もっと大きなもの…「太陽系の新大陸」でした。「冥王星は単なる普通の惑星」と考えたのは間違いでしたが、とても謙虚な間違いでした。新大陸をかいま見た人が「また一つ島を発見」と報告したようなものです。


注: 「冥王星型天体」という用語は、定義上「カイパーベルトの準惑星」だけでなく「カイパーベルトより外側の準惑星」も含む。


「惑星」と「準惑星」

カロン: 「惑星」と「準惑星」は、どちらも太陽のまわりを公転する球状天体。「自分の軌道付近にあるほかの天体を、はじき出すか捕獲するかして、その軌道一帯を自分専用にしている」のが「惑星」、そうでないのが「準惑星」です。カイパーベルトでは、多くの天体が同じ一帯にあって、だれも空間を独占していません。そのため、カイパーベルトの球状天体は「準惑星」になります。天体のサイズは「惑星・準惑星」の区別と直接関係ありません。

「惑星・準惑星」の概念については天文学者の中にも異論がありますが、今のところ、定義はこうなっています。球状でない不定形の小天体は、惑星でも準惑星でもありません。

冥王星軌道の千倍広い太陽系

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海王星までのガスジャイアントと違って、ぼくは地殻ちかくを持っている。その意味でも、地球と似てるんだ。しかも、大気がある。薄い大気だけどね。主成分は窒素分子 — 地球の大気と同じだ! それにメタンと一酸化炭素が少々。

そうそう、ぼくの星でも、自転軸の傾きによる季節…地球の季節と同じ意味での季節があるんだ。だけど、ここでは話を単純にして、太陽に近いか遠いかで「夏・冬」って呼んでおくね。

ぼくの軌道は細長い楕円だから、太陽に近づくときと遠ざかるときでは、太陽までの距離が全然違う。1周、つまりぼくの1年は、地球の暦で248年。1周期につき20地球年の間、太陽にとても近づいて、海王星軌道の内側にまで入りこむ。「真夏」だ。「夏」には大気の活動が活発になる。地面の氷が暖められてどんどん気化する。風が吹いたり、霜がおりたりする。でも、それをすぎると、太陽から遠ざかって温度が下がる。大気の成分も凍ってしまい、地面に戻る。長い「冬」。

海王星までの惑星は、どれもだいたい同じ平面上をまわってるけど、ぼくの軌道は少し傾いている。カイパーベルトの住民は、はみだしたり、傾いたりするのが好きなんだ。

変な軌道をまわってる連中は、何かの はずみで迷子になって、海王星軌道や もっと内側に さまよいこむ こともある。トリトン兄さんなんて、カイパーベルトの住民だったくせに、迷子になってフラフラ海王星軌道に入りこみ、最後は、ちゃっかり海王星一の衛星になっちゃったんだ。

だけど、へたに海王星に近づくと、はじかれて逆方向に飛ばされてしまうことも多い。そうなると、ますます変な軌道に入ってしまう。「はみだしっ子」だ。

いとこのエリスがいい例さ。太陽を離れるときは、ぼくより2倍遠くまで行く。戻ってくるときは、ぼくの軌道の内側にまで入りこんでくる。それも約45度の ものすごい傾斜角で、太陽系を急上昇・急降下してるんだ…。名前もエリス(いさかい)。おともの月はディスノミア(無法)。名前からして、けんか売ってるとしか思えないよね。軌道も不安定だから、近くを通る星は「いつ ぶつかるか分からない」って、ひやひやしている。こんなのに比べれば、ぼくの軌道なんて、まんまるで平らで、おとなしいものさ。

中にはセドナちゃんのように、遠い軌道をマイペースでまわる子もいる。太陽に近づくときでも、カイパーベルトのドーナツよりずっと外側にいる。「はみだしっ子」と違って、ほかの星と関わりあいに なることも あまりない。海王星の支配も受けない。「孤高の人」だ。

(赤い妖精はニコッと笑う。)

物語の世界では、よくぼくの軌道に最前線基地を置いたり、そこで侵略者を迎撃したりするけど、それはどうかと思うよ…。だって、侵略者は、わざわざ惑星の軌道面にそって太陽系に来ないでしょう? 冥王星軌道で待っていても、敵が太陽系の「上」から来たら意味ないじゃん! それに、カイパーベルトは太陽系の「前線」じゃない。冥王星=最果て、っていうイメージがあるかもしれないけど、広大な太陽系全体からすると、ここはまだまだ中庭なんだ。太陽の光だってたっぷり届いて、まぶしいほどだしね。こんな近所を「最果て」なんて呼んだら、公転周期1万年のセドナちゃんに笑われちゃうよ!

太陽風が届く「太陽圏」の果ては、太陽からざっと100天文単位らしい(1天文単位は太陽・地球間の距離)。これは冥王星軌道(30~50天文単位)から、そう遠くない。だけど、太陽系の本当の果ては、太陽系の中心から1万~10万天文単位のオーダーにある「オールトの雲」だといわれている。

そんな遠く、ぼくも見たことがない。オールトの雲って、なんなんだろうね。うわさによると、46億年前、太陽系が誕生したとき、吹き飛ばされた破片のようなものらしい。何兆・何京という破片が四方八方に飛び散って、それが太陽系のいちば~~ん外側を漂っているらしい。カイパーベルトはドーナツ状で、海王星軌道のすぐ外側にあるけど、オールトの雲は球殻きゅうかく状で、カイパーベルトのざっと千倍遠くにある。太陽系全体をつつみこむ巨大な「卵のから」。ずいぶんと ぶ厚い殻らしい。

卵の中から見ると、少しの衝撃でパラパラ破片が落ちてくる、あぶなっかしい天井だ。何かの衝撃でオールトの雲を構成する粒が動きだすと、それが太陽系の内側に向けて落ちてきて、遠くから来るタイプの彗星になるんだって。

そんな殻でも、殻は殻だからね。案外、太陽系を守る働きがあるのもしれないよ。

というのはね…。太陽系全体も、銀河の中で動いてるんだ。太陽系の近所の恒星系はどれも一緒に銀河系をまわってるから、恒星と恒星の相対速度はわりと小さい。太陽系はベガ系に秒速20キロで近づいてるけど、これは、太陽に対する地球の公転速度(秒速30キロ)より遅いくらいだ。それでも、太陽系外から来る物体は、太陽系に対して とんでもない相対速度を持っている可能性がある…。

オールトの雲はそんな異物に対する「緩衝かんしょう装置」の役割を果たしているのかもしれない。危険な相対運動を玉突き的に、系内の彗星の運動に変換・分散・吸収しているのかもしれない。地球の大気が地球を隕石いんせきから守ってるように、オールトの雲は太陽系全体を外敵から守ってるのかもしれない。だとすると、オールトの雲こそ、太陽系を守る本当の最前線ってことになる。そこから降ってくる彗星は、身をていして太陽系を守った英雄のしかばね…。そんなことだって、あるかもしれない。

海王星軌道は、太陽系の中心からざっと30天文単位。カイパーベルトのドーナツは30~50天文単位。「はみだしっ子」や「孤高の人」が見つかっているのは、おおざっぱに2000天文単位まで。そしてオールトの雲は、1万~10万天文単位。とすると、すきまがあるよね…2000と1万の間に。あやしいすきまだ。

このすきまには、何があるんだろう。「孤高の人」がまばらに散らばっているだけで、あとは何もない、さびしい空間なのかなぁ。それとも、太陽系の深海魚みたいな なぞの大天体が、公転周期100万年で ゆうゆうと まわってるのかなぁ。からっぽか、何かあるのか…。君のカンでは、どう?

(赤い妖精は遠い目をする。)

答えは、まだ だれにも分からない。自分たちの住む星系といっても、まだまだ分からないこと だらけなんだ。「太陽圏」のふちは、どうなっているのか。カイパーベルトの向こうには何があるのか。星系の果てにあるというオールトの雲だって、半分伝説のようなもので、だれも見た人はいない。

太陽系だけでも分からないことが いっぱいあるのに、その太陽系は、天の川銀河の中の一星系にすぎないんだから、気が遠くなってしまうよね。銀河には何千億もの恒星があるのに、そのうちたった1個の「太陽系」の地図も完成していないんだから…。そして、この気が遠くなってしまう天の川銀河全体も、たくさんたくさんある銀河の中のたった1個にすぎないのだから…。

だからね。冥王星は最果てじゃない。入り口なんだ。


コーヒーブレイク

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カロン: 冗談コーナーです。

冥王星: め、冥界の王だぞ。冗談はやめて、うやまいたまえ!

カロン: ちょっと息抜きにゅ。

さよなら、第9惑星冥王星

(もくぎょの音)ポク ポク ポク ポク

南無妙法蓮華経 水金地火木土天海 チーン♪

冥王星: ガーーン! ぼくがいない! ぼく死んじゃったんだ。えーん、もう生きる望みもなくなった! もともと冥土だけど~

冥王星たん・カロンたん

冥王星: あっても なくても どうでもいい冥王星…

カロン: そんなことないにゅ。お兄ちゃんがいなかったら、わたしはカイパーベルトで迷子になるにゅ。

冥王星: そ、そうかな? ぼくって、すごい?

カロン: でも、わたしがいなかったら、お兄ちゃんが迷子になるにゅ。

冥王星: ぎゃふん!

追記

関連するジョーク記事「さよなら第9惑星・冥王星 カイパーベルト終着駅」「第9惑星・追悼演説」を公開しました(2019年3月24日)。


冥王星幻想

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カロンとぼく

カロンは、ぼくの妹。妹がいるのは、上空1万8千キロ。1万8千キロは、ぼくの直径の8倍…

カロンは、ぼくほど丈夫じゃない。かわいそうに、ときどき息が苦しくなってしまう。空気が足りないんだ。カロンの重力は弱すぎて、あまり空気をつなぎとめておけない。

ぼくの大気はあわいけど、「夏」には希薄な大気圏が上空1万キロを越えて広がる。ぼくは手を伸ばして、カロンに空気をわけてあげる。サラサラ、サラサラ、指先から宇宙空間へ大気の分子が流れていく。シャー、空気をお飲み。ぼくからお飲み。大部分は、逃げてしまう。外気圏がいきけんから宇宙に散ってしまう。でも、一部はどうにかカロンに届く。

カロンは一生懸命、小さな手を伸ばして窒素の分子をつかまえて、それを凍らせてシャーベットを作る。シャーベットから少しずつ気体が昇華しょうかして、それがカロンの使う空気になるんだ。

カロンの空気はすぐ逃げてしまうけど、その一部はぼくの重力ですくい取ることができる。カロンから戻ってきた空気は、水のにおいがする。カロンのにおいだ。

「メタンもお取り。あたたまるから」

「わたし、氷のかたまりだから、凍りついてないと消えちゃうの…」

★ ☆

ぼくの重力もそれほど強くない。大気の上層からは、気体が宇宙空間に「蒸発」していく。地面の氷が少しずつ気体になって、失われた大気をおぎなってくれるけど…ぼくは少しずつ質量を失ってしまう。質量は力。引力の みなもと。力が抜けていく。

失うばかりじゃ、やってけない。だから、ときどき狩りをする。しっぽも生えてない「彗星のひな」に くらいつき…ぼくの体の一部にしてしまうんだ。直径2000キロを超える巨大なクモの巣。のんびり待てばいい。不運な彗星が向こうから飛びこんでくるのを。

ときには衝撃で、ぼくの一部がくだけることもある。それはそれでいい。くだけた破片は四方八方に飛び散って、キラキラ輝く星くずがカロンにも流れ着くから。シャー、星くずをお食べ…。シャーは小さいから、きゃしゃだから、もう少し大きくなったほうがいい。そうすれば、力もついて、空気をつなぎとめておけるようになる。

星くずが移動しすぎて、ぼくのほうが小さくなって しまったら? うーん、カロンとぼくのどっちが大きいかは、それほど重要じゃないんだ。系内の質量分布と関係なく、冥王星・カロン系の共通重心は、質点として等価だからね。


注: シャー(Char)=カロン(Charon)の愛称。もともとは、カロンの発見者ジェームズ・クリスティの妻シャーリーン(Charlene)のニックネーム。ここでは冥王星・カロンの分子交換を事実として描いているが、正確なことはまだ分かっていない。カロンは「溶けると消える」のか岩のコアがあるのか…それも答えが出ていない。

追記 この記事の大部分(「冥王星幻想」を含む)は、ニューホライズンズの冥王星接近通過(2015年7月)の2年前、2013年9月に、その時点での知見と空想に基づいて書かれたものです。


無限輪舞りんぶ

地球からは月の裏側が見えない。いつも同じ面が見えてるよね? 「ウサギのモチつき」が。これはね…「月は横を向いたりせず、いつも地球だけを見つめてる」ってことなんだ。月は、いつも見守っている…。

だけど地球は、よそ見する。月から見て、まわっている。

地球が自転してるのは当たり前だろ、って? 月から見てまわるかどうかは、また別の問題さ。だけど、月に対して地球がまわるせいで、地球のいろんな場所が月に ひっぱられて、海が満ちたり ひいたりする。それは生態系にとってプラスだよね…。

カロンも、地球の月と同じで、いつも同じ面をぼくに向けている。そしてぼくは、地球と違って、よそ見をしない。カロンに、いつも同じ面を向けている。ぼくたちは見つめあったまま、共通重心のまわりをまわるんだ。ぼくの空でカロンは動かない。カロンの空でぼくは動かない。

両手をつないだ状態で、一緒にクルクルまわってるふたり…とイメージすると分かりやすいかな? 外から見ると、どちらもクルクルまわってるけど、互いの視野の中で、相手はまわっていない(だって両手をつないだままだもん)。

それとも「遊園地のコーヒーカップ」に たとえた方が、分かりやすいかな? いろんなものがクルクルまわるけど、カロンとぼくは向きあって座っていて、互いにとっては、いつも目の前にいる。

カロンはぼくの月。ぼくの空で、カロンはいつも同じ場所にあって、その場で満ち欠けする。背景の星々は動くけど、カロンは動かない。太陽は沈むけど、月は沈まない。そして、ぼくはカロンの月。カロンの空で、ぼくはいつも同じ場所にあって、その場で満ち欠けする。

一周153時間の、ゆるやかな回転。

あまりに静かで、あまりに夢幻なんで、ときどき分からなくなる。止まっているあの月は幻影で、動いている星々が現実なんだろうか? それともカロンだけが現実で、動いていく背景は かげろう なんだろうか?

たぶん、ぼくは夢の世界の住民で…これは、カロンの見ている夢なんだ。それとも、カロンはぼくの夢で…これは、ぼくの見ている夢なんだろうか。そのふたつに、どんな違いがあるというのだろう…

カロンとぼくは、まわり続ける。星の中を。星の上を。星の下を。星の外を。夢を見ながらまわる月。月のまわりをまわる夢。

☆ ★

太陽系あとの記念碑

太陽の水素が燃えつきるのは、地球の暦でざっと50億年後。太陽系が生まれてから、今はざっと50億年め。持ち時間100億年、半分経過ってとこだ。地球の生物界は、すでに何十億年も存続している実績があるんだもの。太陽の寿命を超えて生き続けても、ふしぎはないよね?

地球のフィクションでは やたらと地球が侵略されそうになるけど、ちょっと自意識過剰じゃないかなあ。侵略するなら、寿命が半分終わった中年の星系より、燃料がたっぷり残っている若い星系をターゲットにするよ。病原菌の心配のない無菌星系…生命が生まれる前の星系に一番乗り。その星系本来の生命は生まれる前につみとる。ほろぼすどころか、最初から生まれさせない。侵略より残酷だけど、どこからも苦情は出ない…。それが正しい恒星植民じゃないかな。

地球の生物界も、そういう道を歩むかもしれない。太陽は大切な思い出だけど、生命はそこから巣立つんだ。恒星の海を越えて「次の」若い星系へ…。いつか太陽系の跡に「人類発祥はっしょうの地」のが建つかもしれない。

「史跡・ソル。初代ソル系生命体の恒星系。星の種族は、ここで生まれた」

そんな碑をどこに建てたらいいだろう?

地球は、末期のふくらんだ太陽に飲みこまれてしまう可能性がある。

そもそも地球の生命は、地球にはぐくまれたものじゃない。「太陽圏」で育まれたんだ。碑を建てる時代には「地球人」という意識は共有されない。人々は「太陽人」。火星生まれも多いだろう…。

今の地球人だって「アフリカ人」という意識を共有していない。アフリカでヒトが生まれて100万年も たってないけど、地球に広がった地球人にとって、そんな昔話はどうでもいい…。それと同じで、太陽系に広がった太陽人にとって、惑星単位の細かい位置は本質じゃないんだ。恒星移民は、「原産惑星・母なる地球」ではなく、「原産星系・母なる太陽」って意識を持つ。

地球までが太陽に飲みこまれるとすると、碑を建てる場所があるのは、火星くん、ぼく、あとは…エリスくらいだ。ほかの惑星は地面がない。

もしぼくが長い時間、安定して存在できるのなら、「冥王」と呼ばれるこの星は「死後の太陽」を静かに見守る碑にふさわしい場所だ。一兆年。千兆年。それすらも一瞬と思えるほどの、気の狂いそうな長い時間。地球の大きさまで縮んでしまった太陽のしかばね、死の永遠を見守りつづけてもいい。

でも、火星くんやぼくが そんなに長もちするかは疑問だ。万物は流転るてんする。それが宇宙のおきてなんだ。不安定なカイパーベルトでは、なおさらだ。岩や氷の かたまりの ぼくたちに、白色矮星はくしょくわいせいを見守るなんて、できっこない。

***

ぼくたちは太陽と運命をともにするけど、生命はそこから旅立っていく。少なくとも、その可能性を秘めている。知恵を持った人類は、星よりも永遠的なんだ。

どんな知恵か、って?

うん。恒星間をわたる技術も必要だけど、それ以前に、意識の変化もあるんじゃないかなぁ。

自分だけ助かればいいと思うと、助からない。さしあたっては、生態系抜きに、人類単独では存在できないもんね。生態系のフェアな管理者になること。自分で自分の繁栄はんえいをきびしく制限すること…。それは生物の本能に反することだから、最初は難しい。意識の中でそれが当たり前になったとき、人は「星以上の何か」になるのかもしれない。「母なる地球」に甘える子から、「わが子・地球」を見守る親へと。そしてそのとき、星への扉は おのずと ひらかれるんだ。


資料集

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データの出典・参考文献。 一部、本文では触れていない事柄も含む。

冥王星とカロン
画像
国際天文学連合 (IAU)
物理的データ・軌道要素
冥王星の大気圏

下記のモデル(2012~2013年)では、上空10,000 km以上まで大気圏があり、外気圏の下界の高度が最大16,000 kmと設定されている。冥王星の地表からカロンの地表まで18,000 km。冥王星とカロンの間で分子交換があっても、おかしくない。「ニューホライズンズ」は冥王星に約10,000 kmまで近づく予定。「夏」の盛りは過ぎているが、多くのことが明らかになるだろう。

大気は、地表の氷(主に固体窒素)からの昇華で供給される。重力の弱い冥王星が厚い大気圏(濃くはないが)を持ちうるのは低温だから。脱出速度も小さいが、大気分子の熱運動も小さく脱出速度に及ばない。

冥王星の辞書に「月の出」はない?

冥王星の空で、カロンは「静止軌道」にある。そのため、冥王星には「月見半球」と「月なし半球」がある。月見半球の住民にとって、カロンはいつも空にある。満ち欠けはするが動かない。月なし半球では、いくら待っても月が出ない。

冥王星・カロン系の衛星

冥王星・カロン系は小さな月をいくつも持っている。2013年9月現在、4個の「プチ月」が発見されている。

画像: 冥王星・カロンとプチ月たち(英語ページ)

そのほか
ニューホライズンズ

冥王星・カイパーベルト天体探査機「ニューホライズンズ」は、2015年7月に冥王星に接近した後、ほかのカイパーベルト天体1~2個に接近する予定(2013年9月現在の情報)。

星間の遺灰

Alan Stern 博士(探査機チームの主任)によるアルミニウム容器の銘文: ここに封入されているのは、冥王星と太陽系「第3ゾーン」の発見者、米国人クライド・W・トンボーの遺灰である。アデルとムーロンの息子、パトリシアの妻、アネットとアルデンの父、天文学者、教師、しゃれの名人、そして友: Clyde W. Tombaugh (1906-1997)。

遺灰は冥王星にまかれるわけではなく、予定では探査機とともに太陽系のかなたへ。1グラムでも軽くしたいはずの探査機にこれを搭載…というのが、いろいろな意味で冥王星らしい。

遺灰容器と銘文(英語ページ) Credit: Johns Hopkins University Applied Physics Laboratory

教科書ゼロ

「この歴史的ミッションによって、私たちは教科書を書き換えているのではありません。ゼロから書いているのです」 ―― ニューホライズンズの冥王星接近について。プロジェクトの科学者 Hal Weaver 博士の言葉(2015年4月14日: NASA's New Horizons Nears Historic Encounter with Pluto)。

この項、2015年5月17日に追加。

火星の空
地球にとっての月の存在の意味
中生代を終わらせた小惑星衝突

長い地球史では、大規模大量絶滅イベントが何度も起きている。その中では、中生代末のものは比較的規模が小さい(数え方にもよるが第5位)。恐竜が滅んだのはもともと滅びかけていたから。小惑星に全責任があるわけではない。


用語について

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“太陽系外縁天体”

海王星軌道より外側の天体(trans-Neptunian object: TNO)は、日本語では“太陽系外縁天体”と呼ばれる。記事本文では、この用語を避けた。TNO の軌道は、太陽系重心から2000天文単位以上に及ぶ。仮説上のオールトの雲は1万~10万天文単位のオーダー。これだけ広いのに、たった30天文単位にある海王星軌道から先を「外縁」と呼ぶのはおかしい。カイパーベルトは海王星軌道の外縁ではあるが、そこはまだ太陽系の中核だ。TNOが存在する領域はもっとずっと広い。

冥王星型天体

「冥王星型天体」は、「カイパーベルト(KBO)の準惑星」ではなく、「海王星より外側(TNO)の準惑星」。これも上記と平行的な問題を持つ。将来、非常に遠方の準惑星が見つかったとき、それが天体として(あるいは太陽系の構造上)冥王星と同じ型と見なせる保証はない。極端な話、ある準惑星が「太陽系外の天体が太陽系に紛れ込んだもの」だったとしよう。「系外」出身の全然性質が違う準惑星でも、今の定義では「冥王星型」になってしまう。

すなわち、「地球型惑星」、「木星型惑星」と違い、「冥王星型天体」は太陽系物理学的な型ではない。

例えば、93番以上の元素を「超ウラン元素」と呼ぶのは問題ないが、それを「プルトニウム型元素」と決め付けるのは非科学的だろう。どんなタイプの元素があるのかは、発見・観測によって実証される。ところが、日本語の天文学では「未発見天体も含めて海王星より遠い準惑星は冥王星型」と定義してしまった。「冥王星に敬意を表する」と称して作られた緩い概念。内容を確かめず、やたらと広い範囲の対象を「冥王星型」と呼ぶのはむしろ冥王星に失礼で、敬意を表することにならない。

対応する英語の plutoid も同様の問題を持つ。国際天文学連合 小惑星センターの Plot of the Outer Solar System では、軌道共鳴の「冥王星族」(Plutinos)の同義語として Plutoids という言葉を使っている。厳密に言えば誤用だが、本来の意味での「冥王星型天体」は、有用性の低い概念だ。

本文では、冥王星を「カイパーベルトの首都」にたとえている。「冥王星型天体」の形式的定義からすれば、冥王星は「カイパーベルトとその外側全体の首都」に当たるが、カイパーベルトの外側のことは、まだよく分かっていない。冥王星を代表とする第3ゾーンの向こうには、恐らくほかの天体を代表とする第4ゾーン、第5ゾーン…があるだろう。

カイパーベルトの向こう側

Kuiper belt objectKBO: カイパーベルト天体)は、海王星軌道より外側の天体(TNO)の一部に当たり、Edgeworth–Kuiper belt objectEKBO または EKO: エッジワース・カイパーベルト天体)とも呼ばれる。冥王星も(多少特殊な点もあるが)カイパーベルトの住民だ。

カイパーベルト周辺には、不安定な軌道を持つ scattered disk objectSDO: 散乱円盤天体)が散らばり、本文中では「はみだしっ子」として紹介されている。一般に、「カイパーベルト本体の天体が海王星に近づきすぎて はじかれたもの」だとされる。この種の天体は、はじき出された結果、海王星軌道の内側への移住者となる場合もある。

カイパーベルトの外側を通る軌道領域には、海王星の摂動を受けない detached objectDO: 解離天体)と呼ばれる天体が複数あると考えられ、本文中では「孤高の人」として紹介されている。Extended scattered disk objectESDO: 拡張散乱円盤天体)とも呼ばれるが、カイパーベルト側から「散らされた」とは限らない。「昔からそこにいた」のかもしれないし、オールトの雲方向から「落ちてきた」のかもしれない。

現状(あるいは本質的に)、KBO / SDO / DO の区別は相対的なもので、クリアカットな定義は存在しない。

将来、もっと遠方の TNO が見つかって、「オールトの雲の最も内側の部分」とのギャップが埋まる可能性がある。そうなると、これら遠方の天体は、カイパーベルトとオールトの雲の間の「谷間」の住民ということになる。中には「内側のオールトの雲」出身の Oort cloud objectOCO: オールトクラウド天体)もあるだろうし、カイパーベルトから外側に大きく飛び出た天体もあるだろう。しかし、話はそんなに単純ではないかもしれない。この「谷間」には、固有の天体が潜んでいる可能性もある。カイパーベルトから飛ばされたのでも、オールトの雲から落ちてきたのでもない、谷間固有の天体が…。

セドナ(軌道長半径540天文単位)は、遠日点距離が約1000天文単位、近日点距離が76天文単位で、完全にカイパーベルト本体の外側にある。2013年9月29日現在、セドナより遠くまで行く TNOs は6個発見されている。そのうち最も遠方を通る軌道を持つのは、2013年1月に発見された2013 BL76で、遠日点距離が約2400天文単位に及ぶ。しかし、これら6天体はセドナ以上に離心率が大きく、いずれも海王星軌道の内側または近傍を通過する軌道を持つ。近日点距離でセドナを上回るTNO は、まだ発見されていない。(資料: List Of Centaurs and Scattered-Disk Objects


著作権・注意事項

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妖精アイコンは「アンの小箱」の素材です。「アンの小箱」の利用規定に従ってください。アルミニウム容器の画像は、ジョンズ・ホプキンズ大学応用物理研究所のニュースリリースからの引用です。それ以外の画像は、パブリックドメインのものです。

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本文の一部はフィクションであり、科学的に正確とは限りません。

作成メモ・更新履歴

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「ぼくの名前は冥王星」は、「宇宙人は地球人からのメッセージに興味を持つか」(2013年8月18日)から派生した。「宇宙人は~」で取り上げた「パイオニア」の金属板。そこには太陽系略図が描かれ、略図には冥王星が含まれる。打ち上げ当時としてはこれは当然だが、それに気づいたとき、ある種の衝撃を感じた。そこからこの記事が生まれた。題名は「僕の名前は目蒲線」のもじり。少しネタも入っているが、全体としては、まじめな、広い意味での科学読み物を意図している。

  1. 2013年8月26日: 作成開始。
  2. 2013年8月29日: 妖精アイコン追加。「イントロ + 地球と冥王星の共通点 + 冥王星軌道の千倍広い太陽系 + 冗談コーナーなど」という構成だった。
  3. 2013年9月14日: 「無限輪舞」前半。
  4. 2013年9月15日: 「ぼくは準惑星?」を追加。
  5. 2013年9月16日: 「カロンとぼく」を追加。「太陽系跡の記念碑」前半。
  6. 2013年9月17日: 「火星くんとぼく」を追加。「輪舞」後半。
  7. 2013年9月22日: 「記念碑」後半。
  8. 2013年9月23日: 「火星くんとぼく」を削除。
  9. 2013年9月30日: 初版(v1)公開。
  10. 2013年10月1日: 第2版(v2): 「カイパーベルトの向こう側」などを微調整。
  11. 2015年4月22日: v3: 表現の細部の調整(約5カ所)。
  12. 2015年5月17日: v4: 「教科書ゼロ」を追加。
  13. 2015年7月26日: v5: 「物理的データ・軌道要素」に追記。
  14. 2019年3月24日: v6: 関連記事「さよなら第9惑星・冥王星 カイパーベルト終着駅」「第9惑星・追悼演説」を公開したので、リンク設定。「カロンとぼく」に追記(脚注)。

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