「チラ裏」は、きちんとまとまった記事ではなく、断片的なメモです。誤字脱字・間違いがあるかもしれません。
2019-05-24 aoTuV 信者なのに 訳あって qaac
を試すことに…。iTunes をインストールしないでエンコーダーだけ使う方法について、「[Avisynth] qaacの導入」という日本語の記事が直線的で分かりやすかった(icudt49.dll
がバージョンアップしている)。別の場所ではバッチファイルも配布されているが…。
なぜ AAC より Vorbis を好むか。
客観的理由。統計の数値上では、低レートでは AAC が Vorbis よりわずかに良いとされる。しかし、実際に試すとすぐ分かるが、そこそこのレートがあれば、どちらも ABX できない(=人間の耳にとっては、事実上どちらでも同じ)。だったら権利関係ゴチャゴチャより、自由でオープンな方が気分がいい。ダウンロード・解凍するだけですぐ使える oggenc
が…。数学的な意味での高品質が欲しければ WV の非可逆があるし、「完全」な音質が欲しければ WV の可逆や FLAC など。だから、高レートの AAC には「それでなければ」という必然性がない。低レートなら確かに AAC は選択肢の一つだが、どのみち映像のレートがざっと1000を超えるオーダーなのに、音声のレートを10や20削って(そして音をひずませて)何がしたいのか。不合理。
主観的理由。MKV/MP4 の前の OGM の時代からいろいろ試してきたので、Vorbis には愛着がある。「MP3音声のAVI」の時代に「Vorbis音声のOGM」を布教したこともあるし、MKV が誕生したときの公式サンプルも Vorbis 音声で作った。加えて、aoTuV には「日本の技術」という面もある。
AAC が「嫌い」なわけではなく、PsyTEL 時代に始まって Nero も Apple も使ってはいるが、肥大化した今の iTunes をインストールするのはさすがに気が重い。インストールするなら LAN ケーブルを抜いてからだな…。それか VM 上にインストールするか…。とまじで考えてたので、上記「豆知識」はありがたかった。
肯定的な面として、qaac
には、エンコーダー・ディレイを(ほぼ)打ち消してくれる(らしい)オプションがある(lame -t
のアグレッシブ・バージョンみたいな)。ディレイについては入力時点でサンプル単位で削るのが最善かもしれないが、動画の音ズレ問題を考えてくれてる、というだけでもうれしい。上記のように「通常の用途では実質同じ」なので、Vorbis から AAC に乗り換える気はないけど、逆に AAC派の人が Vorbis に乗り換える必要もないかと。
2019-05-26 qaac
の音ズレ対策 MP4動画の音声として使う場合、デフォルトでは、実測で約2112サンプルの音ズレが発生(48000 Hz)。--no-delay スイッチは、これを回避してくれる。このオプションの効果は、音声のエンコード前にWAV冒頭を 2112 サンプル削るのと同じ(MP3 で 1105 サンプル削るハックと似ている)。ただし、--no-delay でも冒頭削りでも、テスト・サンプルでは音声全体が 896 サンプル長くなった(動画では全く実害ないが、どうしても sample-accurate にしたければ、エンコード前に増加分だけ末尾のサンプルを削ればいい)。
テスト設定は qaac --tvbr 91 で入力は16ビットWAV。
知らずにデフォ設定で AAC エンコして、ディレイを発生させてしまってる人もいるだろうが、それほど実害ないのでご安心を…。2112 サンプルは44 msで、確かに 24 fps の映像と1フレームずれるし、MP3 で起きる 1105サンプルの音ズレより(相対的には)被害が大きい。けれど、人間の音声タイミング認識はそこまで厳密ではなく、普通に娯楽で楽しむ動画では、ほとんど分からない程度の差。「スピーカーと耳の距離が3~4メートルあるだけで、光速・音速の差のせいで、どうせ10 msオーダーの音ズレが起きる」ことを思い出そう!
とはいえ、もちろん A/V がずれない方がいい。特に lame
のデフォ設定(-t
なし)は、動画用ではお勧めできない。qaac
の場合、調子に乗って --no-smart-padding スイッチも付けると --no-delay の効果がなくなるようだ。「音声だけ」を考えるなら --gapless-mode 1 も一定の効果を持つが「動画の音声」としては、効果がプレーヤー依存になり、かえって逆方向に音ズレする可能性もありそう。普通の設定プラス --no-delay が簡便で効果的かと。冒頭に無音がなく、いきなり爆音から始まる動画の場合は、別の手を考える必要がある。
注: AAC音声/MP4動画をお勧めしてるわけではない。筆者は Vorbis/MKV派。
1フレーム差の実害が小さいというのは「映像/音声のズレ」の話。「映像/字幕のズレ」が1フレームあるのは、絶対に許されない(はっきり視認でき、はっきり汚い)。では「音声/字幕」のズレは? 音が 50 ms(0.05秒)遅れた場合、カラオケでは「字幕の色変化が(歌に対して相対的に)少し早くなる」のが視認できるが、カラオケ字幕は早めに変わってちょうどいいくらいなので、エンドユーザー視点では案外どうでもいい違いだったりする。V/S のズレは厳しいが、A/V、A/S のズレは比較的許容度が高い(字幕が出るタイミングは、むしろ声が始まるタイミングより早めなのが正しい)。
2020-08-17 aoTuV Vorbis 更新
Windows用のバイナリーが本日 RareWares で公開されました。
https://www.rarewares.org/ogg-oggenc.php [プライバシー懸念: G.anal. のみ。JS無効で回避可]
aoTuV部分は b6.03 のままで、libvorbis が 1.3.6 から 1.3.7 に。修正されたのは、普通ではあり得ない状況(極端に低いレート、実用上意味のない異常な引数など)におけるメモリー関係の不具合など。技術的には不具合修正ですが、通常のエンコードにおける音質などには、全く無関係。
実は libvorbis 1.3.7 は2020年7月にリリースされ、RareWares のバイナリーもすぐ公開されたのですが、--version 文字列が間違ってました…本日のビルドで、その点が修正されました。既に 1.3.7-aoTuV を導入された方は、せっかくなので、正しいバージョンが表示される新ビルドをご検討ください。1.3.6 のままでも、普通の使用では何も実害ないです。出たとたんの新バージョンに飛び付くのは、むしろ潜在的リスクが…
拡張子 .ogg の Vorbis は、パテントフリーで自由に使え、MP3 に比べると圧倒的に高音質。Wikipedia, Wiktionary などの音声ファイルのデフォなので、意識せず使ってる方も多いでしょう。aoTuV…通称「蒼粒」…は、エンコーダーの間では、その Vorbis の事実標準。日本語圏で生まれた素晴らしいソフトウェア。公式サイトは…
https://ao-yumi.github.io/aotuv_web/index.html
…クリーンな(プライバシー懸念の低い)日本語のページです。
AAC で圧縮した方が計算上得になる場合もありますが(3.5メガが3.3メガになる、みたいな)、そもそもそんなギリギリでなく、余裕を見て 20 kbpsくらいプラスしておけば…。っていうか、非可逆圧縮しないで、全部ロスレスで保持しておくのが、一番安全だけどね!
2019-06-19 MP4: foobar2000のタギングの問題点と解決法 foobar2000 や Mp3tag (以下fb2k)を使ってMP4ファイル(オーディオまたは動画)にタグを付けるのは簡単便利だが、これらのツールは同じタグを2カ所に書き込む(恐らく互換性のために、あえて)。5000 KBのMP4ファイルに300 KBのカバーアート(画像)を付けたとすると、5300 ではなく5600 KBになってしまう! そればかりか、mp4box を信じるなら、このタギング方式は ISO 非互換。iTunes 標準の moov.udta.meta はいいのだが、moov.udta.tags の方は「一部のプレーヤーが勝手に使っている独自拡張」らしい。
このような fb2k タイプのMP4ファイルをクリーンにする方法を発見した。上記の例でいうと、音質(画質)には影響なく、標準のタグもカバーアートも保ったままで、ファイルを300 KB小さくできる!
原理としては、不要な moov.udta.tags 全体をバイナリーで除去、除去されるバイト数を x として、moov と moov.udta のサイズフィールドの値(32ビット)をそれぞれ x だけ小さくする(書き換え1)。全トラックについて、stco ボックスの全エントリーも x だけ小さくする必要がある(書き換え2)。手動でやるとすれば、バイナリーエディターで tags
の4文字を探す。その前の4バイトが x。とりあえず tags
の4文字を free
と上書きし、書き換え1(4バイトが2カ所だけなので手動でも実行可能)の後、fb2k の「ファイルサイズを最小化するツール」を使うと、free ボックスの除去&書き換え2をやってくれる。全部まとめて自動でやるツールを試作したが、まだ公開できる段階ではない。Apple の定義にないカスタムタグについては、別途考える必要がある。
2020-11-25 テクスチャーのあるカラオケ
カラオケ字幕の文字のフェイスにテクスチャーをはりつける手法も記事化したい。一応、昔 VSFilterMod なるものもあったが…。テクスチャーが動的な場合、例えば文字の中で火が燃えているような(文字の輪郭内で別の動画がオーバーレイされている)カラオケ。AVS使いにとっては原理は簡単でも、エンコと字幕は別分野なので、AVSとASSを組み合わせる手法には、意外と未開拓な部分がある。ASSレベルのカラオケは、ほぼ完全に、悪趣味なまでに開拓されてしまったが、もしかするとユーザーは自動化に毒されてしまい、その枠の中でしか考えられないという副作用もあるのでは?
2020-11-30追記: フォントのグリフそのものを自作するというオプションもあり、(ベクトル)画像、フォント作成、字幕テキスト、動画処理などが絡み合う。
2021-02-21 【動画作成】注意報 Vorbis/Opus音声はリスキー 直してほしいVLCのバグ
VLC の3年前(2018年)のバグ #20927 が依然未解決なので、一般公開する動画の音声に Vorbis/Opus を使わない方がいい。
これはとても残念なこと。特許で縛られている AAC より、フリーの Vorbis/Opus を使いたい。Opus には音質的メリットもあるし、Vorbis はある意味において「日本の誇り」でもある(aoTuV)。…けれど、冒頭の数秒が鳴らないのは、実用上、問題がでか過ぎる。
音声が Opus でも再現すること、現行バージョンの 3.0.x でも再現することを複数の環境で確認したため、催促のコメントを追加しておいた。どうなることやら…
OGM時代(いつの話だ…笑)から Vorbis 音声の動画を布教してきた私たちが、ここにきて AAC を推奨しなければならないのは悲しいが、鳴らないのでは話にならない…。早期解決を祈るのみ。
2021-02-22 Vorbis注意報・補足説明 Vorbis/Opus自体に問題なし
動画を一般公開する場合、Vorbis/Opus音声はリスキーであることをお伝えしました(2021-02-21のメモ)。悪いのは Vorbis ではなく VLC です。誤解のないよう、もう一度説明します。
VLC media player という特定のプレーヤーに、再生の不具合(再生側の問題)があります。Vorbis 自体(作成側・データ側)の問題ではありません。
上記のプレーヤーを使わない限り、自分用として、あるいは仲間内で、Vorbis音声やOpus音声の動画を作るのは、全く問題ありません。
一般公開する動画の場合、ダウンロードした人がどのプレーヤーを使うか分からず、もしVLCユーザーがその動画を再生しようとすると、不具合が起きる可能性が高いです。「本当は冒頭部分にも音声があるのに、映像だけが再生され音が鳴らない状態が約1秒、続く」という不具合。もともと冒頭の数秒が無音なら実害ないですが、一般的には大問題。
だから、不特定の人が再生する可能性がある動画に関しては、VLCの不具合が解決するまでの間、Vorbis/Opus を避けた方がいい。そのうちバグが修正され、ほぼ全ユーザーが修正済みバージョンに乗り換えた状態になれば、再び Vorbis 等を安心して使えますし、今現在でも「公開用ではなく、自分用に作る動画」には、安心して Vorbis 音声を使ってください。
別の角度から言うと、VLCユーザーは、他のプレーヤーへの乗り換えをご検討ください(少なくとも、この重大バグの原因が分かり、問題が解決するまでの間)。
2021-03-29 【動画作成】VLCのVorbisバグ(続報)
VLCのバグの話。#20927 に対応してもらえないため、#25607 を新規作成。
VLC 3.0以降では、Linux でも Windows でも、Vorbis版の音の出だしが欠ける。VLC以外のプレーヤーでは問題なし。
→ 2021-12-13追記 このバグは現在のバージョン v3.0.16 に存在するが、2021年11月10日ごろの Nightly で改善された。近日 v3.0.17 がリリースされるとすれば、そこで直っている可能性がある。
→ 2021-12-14追記 v3.0.17 では、次の問題が少なくとも部分的に修正される予定。#25129 Reading an MKV/MKA file with Opus skips the beginning と #25607 Regression: MKV with Vorbis/Opus plays silence for first seconds。しかし MKV Demuxer には依然、次の問題があり、完全解決は v4.0 以降になる模様。#26263 MKV demux does not set clock properly before sending data。 VLC が Vorbis 音声の Matroska をまともに再生できたのは、2017年11月の v2.2.8 が最後だった。2018年2月の v3.0 以降、現在ほぼ4年間(約20バージョン)にわたるバグとなっている。この長年のバグのため、VLCユーザーを考慮して、Matroska では Vorbis/Opus 音声が使いにくい状態が続いていてる(冒頭にたまたま数秒の無音がある音声なら、見掛け上、バグの影響を受けないが)。
→ 2021-03-14追記 #26263 も3週間前に close され、volbis/opus 系バグは基本的に解決した模様。だが、何らかの理由で 3.0.17 のリリースは遅れている。3.0.13~3.0.16は毎月のように更新されたのに、前バージョンから既に9カ月近く経過。v3.0以降のバグあり状態は、既に4年間を超えてしまった。
→ 2022-04-23追記 2022年3月ごろ3.0.17がリリースされ、4年ぶりにこのバグは解決された。けれど誰もがすぐ最新版にバージョンアップするわけではないので、VLCユーザーの存在を考えると、一般公開用のMKVファイルについては、当面 Vorbis/Opus 音声を避けた方が無難かもしれない。
2021-05-29 動画注意報: madVRの色スケールがTV(16-235)になってしまう
現象 Windows 用の MPC-HC や MPC-BE において、ビデオレンダラーとして madVR を選び、PCスケール(0-255)で出力させる設定をしている場合、全画面表示では望む色レベルが得られるものの、ウィンドウ表示にすると、スケールがTV(16-235)になってしまうことがある。真っ白が薄灰色になり、真っ黒が真っ暗にならず、赤やピンク系が微妙にずれた色調になる(少し濃く・暗く見える)。
説明 この問題は、ハードウェアアクセラレータ(GPU)が有効になっていて、DXVA Native が使われる場合に、GPU回りの相性によって発生するらしい。「字幕のレンダリングに XySubFilter を使う場合に起きる」という報告もある。上流において、何らかの方法で明示的にTV→PCの伸張を行っている場合には、原則として発生しないようである。
サンプル画像
madVR Full-screened と右下の EVR-CP Windowed は、RGB各成分・誤差±1程度の同じPCスケールで表示されています(この色調を得たい)。右上の madVR Windowed は、微妙にですが、目で見てはっきり分かるくらい色が違う。赤っぽいおだんごの部分で比較すると、他と比べて、G成分が 0x10 = 16階調も暗過ぎる。
回避方法 幾つかの選択肢がある。
テスト方法 設定上、madVR では出力が PC levels (0-255) になっていること、EVR-CP では Output range が 0-255 になっていることを最初に確認。x264あたりの適当な動画を再生して、一時停止。できれば真っ黒 RGB(0,0,0) のピクセルがあるフレームがいい(カラーバーでもいい)。ウィンドウ表示と全画面表示のそれぞれで、フレームをPNG形式でキャプチャー。同じことを madVR と EVR-CP の2種類のレンダラーについて実行(レンダラーを変えたら動画を開き直す)。キャプチャー画像のどれも色が同じなら、問題は発生していない。もし上述の現象が起きている場合、madVR のウィンドウ表示のみ、他と色が微妙に変わり、(0,0,0) になるはずの真っ黒ピクセルは (16,16,16) くらいになる。
参考情報 madVR 開発者からのコメントは次の通り。「個人的意見ですが、copy-back に変更して済ませてはどうでしょうか。いずれにせよ DXVA Native は厄介で扱いにくい代物。GPU次第で違う結果になり、もしかすると GPUドライバーの(バージョンの)違いで、結果が変わってしまう可能性さえあります。だから Intel GPU で起きることは、多分、私自身が Nvidia や AMD の GPU で起きることとは恐らく違うのです」。madVR側で対応する気はなさそう…。手元では Nvidia の GPU で、現象を再現させることができた。
2022-03-14 動画作成ニュース FLAC更新・VLCバグ修正・Mkvmerge弱点発覚
先月末(2022年2月)、2年半ぶりに、可逆音声圧縮の FLAC が更新されている(公式 / RareWares)。
RareWares を Tor Browser で開けない場合、metager.de で検索して ANONYM ÖFFNEN をクリックすればOK。
昨日(3月13日)、MKVToolNix 66.0 リリース。
一方、VLC の Vorbis/Opus バグの存在は、4年を超えてしまった。Vorbis 音声の Matroska で冒頭の音が欠けるという致命的な問題なのに…。バグ対応自体は、昨年末~先月末に終わっているものの、何らかの理由で、修正済みバージョン v3.0.17 のリリースが遅れている。Nightly では解決している。
修正版 VLC が普及するまで、Vorbis ファンでも、動画音声は AAC が穏当だろう。特に qaac --no-delay はエンコーダー・ディレイをオーディオ側で打ち消してくれる優れ物。ffmpeg などでやると、「エンコーダー・ディレイの補正のためにビデオ側のタイムスタンプを遅らせる」というハックがあるらしく(?)、最初のフレームのタイムスタンプが 0 にならずビデオのタイミングがオフセットされるため、AV同期は良くても、SV(字幕・ビデオ)同期に問題が生じる可能性がある。ffmepg のバグとして報告することも検討している(「仕様」と言われそうだが)。
検証過程の副産物として、mkvmerge には(ntsc つまり 24000/1001 などの)有理数 fps の丸め誤差に弱点があることが判明。この問題は mkvmerge にタイムスタンプを計算させないことにより容易に回避可能。問題が生じてもデフォルト設定では 1 ms 未満のずれなので、実用上ほとんど心配ない(エッジケースでは字幕が1フレームずれる可能性がある)。ffmpeg の問題は20倍のオーダーであり、カラオケ字幕のフレーム同期が乱れることがある。詳細・修正法などについては、そのうち書くが、細かいことにこだわる動画作成者は、MKVを作ったら、
mkvextract "muxed.mkv" timestamps_v2 0:timestamps.txt
をやって、タイムスタンプがおかしくないかチェックしてほしい。
征海未亜/美亜(いくみ・みあ)先生ご逝去。あら~・・・・ア・ラ・モードだね(何)。首藤と同じく、クモ膜下出血が亡くなったらしい。締め切りに追われたり、仕事に没頭し過ぎたり、無理したんだろうな…。イタリアでも、今日の挨拶は「征海先生が…」だった。
2003年、Matroska が最初にリリースされたとき、アニメのエンコでの利用例の公式サンプルはミュウミュウでした。MKVToolNix の作者 Mosu が「私たちの…ミュウミュウ」と言ってる例:
2005-05-05 [...] mkvextract: bug fix: SSA/ASS text was missing in the output if the "Format=" line contained newlines at the end of the CodecPrivate data (e.g. our old Mew Mew sample file).
https://forum.doom9.org/showthread.php?p=680697#post680697
コメント(2022-03-16 17:00 UTC) アラビア語圏でも、征海先生が亡くなった話(2022-03-14参照)してます。
https://nitter.net/Ahmedm94m/status/1503284461437341697
2019-04-17 光念白射 ウィキペディア(2016年2月~)では「光熱白射」※。「日刊リウイチ」(裏日本工業新聞)の記事(2002年8月15日)では「光念白射」。「5ちゃんねる」の2003年6月の書き込み(#309)でも「光念白射」。原作にないので公式設定未詳。
アニメの初回放送(2002年7月)のとき、このせりふを聞き取れず、音声うpして助けを求めた(「俺ニュース」が情報募集の件、広報してくれた)。いろんな人が聴いてくれて、その日のうちに「光念白射(こうねんはくしゃ)と言ってるみたいです」って情報が寄せられた。ありがとう、あのときのみんな…。
くだんのアニメは、ぶっちゃけ面白くなかった(笑)。原作派からも、めちゃ不評だったっぽい。それでも仲間内で、遊びのネタにしてた。のんきな時代。
※ 中国語圏でも「光热白射」だが、単に日本語ウィキペを訳したっぽい。韓国語圏では一応 광념백사 (光念白射)。英語吹き替えは White light beam, activate! (白光ビーム発射!)=「念」か「熱」かは判断不能。
2019-05-17 イタリアでの「ジーグ」人気 1980年代のイタリアで「鋼鉄ジーグ」は人気が高かった。ローマ近郊にはジーグの壁画まである(画像中の SOLO の文字は壁画の作者名)。
イタリア版のOPは、日本語版と同じメロディーにイタリア語の歌詞を付けたもので、水木一郎本人がイタリア語版の一部を歌ったこともあって、たまげた。今でも合体シーンを見ると涙が出る。…と、イタリアのマニアが熱く語ってくれた。
何でこんな話になったかというと、昔の歌は熱かったらしい(日本ブレイク工業からの連想)ということと、イタリアのアニソンは同じ歌手(クリスティーナ・ダベナ)ばかりで食傷気味かな、ということから…。さすがに初期のロボットアニメは、D'Avena ではなく男性がテーマソングを歌ったらしい。イタリアのマニア視点だと、D'Avena はそんなに悪くはないけれど、あまり好かれてもいない。「自分の歌」ではなく Alessandra Valeri Manera(アニオタから見ると悪の権化)の作詞で「道具として使われているだけ」とのこと。イタリアに限らないが、作品がオリジナルのままではなく、いろいろ編集されているところから、制作側への反感が生じている。
Mediaset 社では、チャンネル5(Canale 5)でアニメを放送するとき、かなりの編集(修正・検閲)を加えた。ノーカット・オリジナルが見たいファンにとって、これはうれしくないことだった。そして Manera は、この編集の責任者とされることがある。個人的価値観から恣意的に改変したのか、修正せざるを得ない事情があったのかは不明。
イタリアで空モモが初放送されたときは Il magico mondo di Gigì というタイトルで、これは Mediaset によるものではなく、別のOP/EDが付いている(フランス版モモに基づくらしい)。Mediaset は後にこの作品の放送権を取得、Benvenuta Gigì として再放送。主題歌はクリスティーナのものに差し替えられた。Mediaset はさらに、Tanto tempo fa… Gigì と題して、海モモを放送した(歌はクリスティーナ)。すなわち「モモ」を「ジジ」に変えた犯人は Mediaset ではない。各国どの局も、多かれ少なかれ、日本のアニメを編集して放送していたらしい。Mediaset のしたことは、必ずしも特別なことではなかった。
クリスティーナ自身が嫌われているわけでもない。上記のような批判をする人でも、パステルユーミ(Sandy dai mille colori)の主題歌は好きだったという。
ブレイク工業の Da Da Da は「ジーグ」の「ダンダダ・ダダン…」に触発されたものだったのだろうか。「おれは涙を流さない ダダッダー」(グレートマジンガー)に近い感じもするが、昔のロボット物はよく分からない。だけど、旧作の中には「大昔のお子様向けなんて…」と侮れないものもある。例えば、ファースト・ガンダム(シリーズ第1作。シリーズ全体という意味ではない)=時々ある深いテーマやリアリズムに驚く(視聴者の子どもを子ども扱いしていない)。ガッチャマン=「死体がゴロリと転がっている」のでびびる(昔の表現の自由さに)。イタリア人が涙を流すジーグも、機会があったら見てみたい。
2019-05-18 「ジーグ」OPイタリア版・逆翻訳 イタリア版(リスト中段: Corri ragazzo...)では、オリジナル(リスト上段)と同じメロディーに独自の歌詞が付けられている。お遊びとして、それを日本語に逆翻訳(リスト下段)。
(注) 太いかっこ【】の部分は、オリジナル日本版では「バンバン」などの掛け声だが、イタリア版では普通に歌詞がある。不等号<>の部分の合いの手は、イタリア版では歌詞がない。イタリア版のOPは2番まであるが、ここでは1番の概要を紹介した。歌しか知らない(作品自体を見てない)ので、内容的にニュアンスがおかしい部分があるかも。
(直訳版)
走れ、少年/青年よ、下方へ/向こうへ。
飛べ、青の稲妻/閃光(複数)の間を。
走れ、人類全員の助けとして。
走れ、そして行け。地上を。
飛べ、そして行け。星々の間を。
ジーグになることができる君よ!
ジーグが行く/ジーグよ行け。心と鋼鉄。
ジーグが行く/ジーグよ行け。心と鋼鉄。
心…少年/青年の ← 彼は/それは
恐れることなく、常に戦うだろう。
もし地面から立ち上がるなら
…我々を攻撃しようとする力が。
我々は皆、君と共にいる(君を応援する)。
なぜなら君は…君がジーグだから!
2019-05-19 イタリア版「ジーグ」OPトリビア 日本版オリジナルと同じ曲 + 別の歌詞だが、伴奏も少し違う。イントロ・間奏の「ダンダダ・ダダン…」のコーラスがなくなった代わり、ミニモーグ(小型シンセサイザー=画像)のリフが挿入され、楽器が1個増えてる。日本版と同じリズミカルな伴奏の上に「ウィーーン、テュロルロ」とシンセの単音が絡む(ミニモーグは同時に2音を出せないらしい)。
2019-05-20 ロベルト・フォグ 「原始少年リュウ」「鋼鉄ジーグ」の2作品で、日本版OPのメロディーが、そのままイタリアでも使われたという。どちらもオリジナルの歌手は水木一郎、イタリア版の歌手は Roberto Fogu(愛称 Fogus)。フォグは、1990年代に若くして亡くなった。
http://www.sigletv.net/special_fogus_index.php
ダベナの時代には、イタリア版専用OP(曲も歌詞も新作)が普通になった。「イタリア独自のOPを作る=もともとの日本版OPが見られない」ことの是非は、個人的な好みの問題だろう。
ポケモン・アニメに描かれた「おにぎり」が、吹き替えでは同じ絵のまま「ドーナツ」や「サンドイッチ」になったり、あるいは食べ物の絵が描き変えられたり…。そういう「文化レベルでの翻訳」みたいなことは、たとえ善意の工夫でも、ファンの間では人気が悪いらしい。とはいえ、OPを日本語のままにしないでイタリア語に置き換えたいのなら、新しい歌詞に合うようにメロディーも新しく作った方がいいような気がする(一般論として)。
そのイタリアのファンは「ジーグに関しては、イタリア版OPの方が好き」という。「それを見て育ったので懐かしいから」そして「イタリア語の歌詞は良くできているし、意味のないバンバン・バンバンを繰り返す日本語版より内容が濃いから」だと。この最後の点については、必ずしも同意しかねるが(笑)。
2019-05-21 イタリア版「ジーグ」OPトリビア(その2) 「ふたすじの青い稲妻の間を飛び抜けて」というのは、鮮烈で格好いいイメージだし、荒々しい闘志を感じさせるが、言葉の意味だけ考えるとやや唐突。なぜここで稲妻の色を描写するのか。青は(詩的表現の範囲とはいえ)稲妻の色として、それほど自然な描写でもない。…この疑問は、言葉の響きを考えると氷解する。1行目の laggiù と語調を合わせて lampi di blu としたのだろう。
日本版は「敵民族を全滅だ!」とジェノサイド宣言。イタリア版は「人類全員を守れ!」と逆方向から表現。いくら「敵」でも全滅させていいかというと…敵側にだって民間人もいるかもしれないし、略奪婚で拉致された人もいるかもしれないし…。ファースト・ガンダムで連邦側民間人に親切なジオン兵とか、セラムンの「なるちゃん」とネフライトの関係とか…ああいうパターンに心動かされる。イデオンとか、もののけとか…どっちが正義・どっちが悪と割り切れないのが、リアリズムじゃね? 悪いやつらだから全滅させちまえ、ってのは、やっぱ平板で嫌だな。「全滅だ!」は言葉のあやで、そこまで端的に言い切る力強さも魅力的だが、深みの点ではイタリア版に一本取られたかも…。
「すまない…チョコレートパフェ…食べられそうもない」
2019-05-22 イタリア版「ジーグ」OPトリビア(その3) 日本版の歌は、歌手(水木)の声、男声バックコーラス、児童合唱の3要素から成る。「バンバン」などの掛け声について、水木自身も歌う部分はイタリア版でも歌詞があり、それ以外(バックコーラスのみ)はイタリア版では歌詞がない。一貫してそうなってるようだ。
邪魔大王国は、作中では「じゃまたいおうこく」だが、水木の歌では「じゃまだいおうこく」、歌詞テロップは「じゃまたいおうごく」と3通りに不統一。悪の本拠地が「邪魔だい」なら「ドツクゾーン」並みに「まんま」。異次元技術を持つ古代超文明を滅ぼしていいのだろうか…。こいつらが日本を支配すれば、むしろ諸問題が解決するのでは(笑)。現実的にも、古代文明の方が先住民族で、こっちが侵略者…
OPのルビ「おうごく」。イタリア版DVD字幕 Regno Jamatai。
2019-05-29 イタリア版「ジーグ」OPトリビア(その4) 既述のように日本と同じメロディーだが(歌詞はイタリア語)、歌のテンポが約4%速い。日本のアニメは基本 24 fps(正確には 24000/1001 fps、テレビ放送等では約 30 fps に変換されている)。イタリアの規格では 25 fps なので、1秒間につき1フレーム多く、その割合で全てが「早送り」される。コンテンツの長さが (24000/1001) / 25 = 約 95.9% の時間に圧縮。
実測によると「おれ」の「お」が出る瞬間から「全滅だ」の「だ」が出る瞬間まで、日本版は約9.9秒。対して、「Corri」の「Cor」が出る瞬間から「dell'umanità」の「tà」が出る瞬間まで、イタリア版は約9.3~9.4秒。94~95%に圧縮されてる。多分昔のアナログ録音なので、アナログ的誤差(テープの伸び縮み?)もあるし、歌手の違いによる節回しの差も考慮すると、実測値94~95%は理論値95.9%と、よく一致しているといえるかと。
イタリア版DVDの別トラックに収録されている日本語音声も、ほぼ同じ割合でテンポが少し速いようだ。ビデオが 25 fps なので、そうするしかないのだろう。同一フレームの反復が多い旧作アニメでは、24フレームにつき1フレームを水増しすることは難しくないはずだが、映像側を水増しするのではなく、音声側をスピード・アップして同期を保ってる。とはいえ、日本版は10秒に240フレームなのに、こっちは10秒につき250フレーム必要なので、時間稼ぎの「水増し」フレーム(意味のない静止画など)が挿入されてるパターンもあるっぽい。
2019-05-30 イタリア版「ジーグ」OPトリビア(その5) というわけで、イタリア版を聴いてから続けてOSTを聴くと、調律がずれるというか、四半音~半音くらい下に移調した感じ(イタリア側のピッチが高過ぎ)。違いは伴奏・テンポ(ピッチ)・歌詞だけでなく、アニメOPとしてみると、イタリア版には「バイクの走行音・ジャンプや攻撃や爆発や合体の効果音」が入ってない。音声データ(歌と効果音)が1チャンネルだけで、映像+効果音+イタリア版の歌というリミックスが不可能だったのだろう。イタリアのマニアには悪いけど、合体の瞬間に「ガシャーン!」と音がしないのは、気の抜けたソーダ。ミニローグの電子音追加で、少しでも何とかしたかったのだろうが、とてもオリジナルには及ばない。
歌詞に関しては「おれが…」→「コッリ・ラ…」、「全滅だ!」→「デルマニタ!」と音の感じやアクセントの位置まで合わせてある。芸が細かい。
それでふと気付いたけど、ハイジの「教えて~おじい~さん」と瓶詰妖精の「教えてせんせ~いさん」は相互に交換可能だね(無関係)。
肝心の物語、とりあえず最初の数話を見た。初めの方は普通っぽいが、だんだん面白くなるのかな? 50話くらいある昔のアニメなんで、気長に…。不気味な地下の洞窟みたいなところに悪の女王(大ボス)がいて、幹部数名を従えて、毎回「今週の怪物」を送り込む、おなじみのパターン。しかも女王の前には、世間をモニターできる水晶玉みたいなもんが…。今にも部下が「ヒミカ様!」でなく「クイン・ベリル様!」って言いそう(笑)。
2019-05-31 イタリア版「ジーグ」OPトリビア(その6) 「その6」といっても、チラ裏はログを残してないので話がつながらないが、ここまでのあらすじ → 「イタリアのマニアの影響でジーグを見始めた」「イタリア版は25 fpsなので、24 fpsのオリジナルより動画の再生速度が速い」 ← 聴き比べると音のピッチも高い。もちろんオリジナルの日本語音声で見てるが、このバージョン、日本語音声もピッチが高いっぽい。
フォグ版の歌詞は、ちょっと格好いい。「心と鋼鉄」という簡潔なフレーズに「サイボーグの自意識・実存」という深遠なテーマが暗示されてる? 水木のオリジナルは有名だけど、水木自身がフォグ版(イタリア語の歌詞)の最初の部分を歌った録音もある!(超レア?)
イタリア人は「バンバンバンバン」とかの掛け声をあまり評価してないが、OP全体としてみると、映像側の爆発音・合体の効果音などを引き立たせるために「歌詞の一部を打楽器的伴奏として、わざと後景にしている」。これは単純に見えて巧妙。
2019-06-02 銅鐸(どうたく)は「さなぎ」じゃないぞ!? リアルの考古学では「銅鐸」って何のためのアイテムだったのか、結論が出てないらしい。イタリア版では「ブロンズの鐘」。イタリアのちびっ子たちは「そんな鐘、どこの教会にもあるじゃん。金や銀ならともかく、何でそんなありふれた物を奪い合って争ってるんだろ?」と疑問に思いつつ、それでもジーグ格好いいと思って、夢中になって見てたという。
一部の翻訳(イタリア版ではない)では、銅鐸がなぜか「さなぎ」と訳されてる。めちゃくちゃな誤訳だが、好意的に解釈すれば「(主人公の体の中で or 土の中で)眠っているアイテム」を詩的に「さなぎ」としたのかもしれない…。そういえばイニDの北米版では「板金」が変な翻訳になってたが「銅鐸」は「板金」よりさらに分かりにくそう。翻訳者泣かせ…
OP冒頭から、ノーヘルでバイク飛ばせる70年代はいいね…。90年代の少女漫画系OPでは「自転車二人乗り(後ろが立ち乗り)」ってだけで「子どもがまねしたら困る!」と修正を迫られた例があった。プラスに考えれば、20年間で、それだけアニメの地位(影響力)が高まったということかも?
← バイク・ノーヘル二人乗り(1970年代)=無問題
← 自転車二人乗り(1990年代・アニメ)=撤回・差し替え処置。場所のモデルは多摩川の関戸橋・当時の上流側、歩道部分?
← 自転車二人乗り(1990年代・漫画)=同じ乗り方。無問題。読み返すと、漫画版は意外とバイクもノーヘル。
← アニメ版(2006年)
← 「二人乗りが駄目なら、三人で乗ればいいんです。はい!」
← いや、むしろ四人で…
← 五人はさすがにどうかと
2019-06-09 バイク運転手のヘルメット着用 ジーグ18話まで来たら、ヘルメットの描写が…。
実はこれ、雨のシーン。雨の中で水に濡れる髪を描くのが面倒なので、便宜上ヘルメットを着用させた?
← 雨でなければ女の子もノーヘル
「自分はただの機械なのか?」みたいなことで苦悩する主人公・宙(ひろし)には、ほんのり、最初の攻殻のようなフレーバーがある(宙パパもマシン内の仮想存在)。綾波は「自分がエヴァに乗るのは、絆だから」みたいなことを言っていたが、こっちの主人公も「自分がジーグになって闘うのは、それが唯一の絆だから」っぽいことを言う。
画期的といわれるファースト・ガンダムも、突然生まれたわけではなく「準備されていたんだな」と。ガンダムは「人間と人間の戦争を描いた」わけだが、ジーグもある意味そう。悪のボスのヒミカは「自分たちは普通に平和に暮らしていたのに、突然、侵略されて滅ぼされた被害者だ」という事実関係を明言する。敵=とにかく悪い、という幼稚な構図ではなく、敵側の怪物なのに人間側に同情するキャラも登場。ジオンほどではないにせよ、敵側にも少し奥行きがある。
アムロは戦闘を放棄して脱走するが、こっちの主人公もモチベーションを失い出撃しない場面があった。ヒーローが鬱になるのは、ガンダムの発明じゃないらしい。
2019-07-03 これは何のアニメでしょう?
「これ何のアニメか分かる?」オランダ人から唐突に尋ねられた。小さなパラボラアンテナのようなものが付いた電子機器だが、漫画チック。第一印象は「ポケモン?」何だか分からなかった。
2枚目。「これは?」依然「ポケモンかも…」1980年代末か90年代と予想。見覚えがあるような気もしたが、分からなかった。
3枚目。「ポケモンじゃないな。3枚とも同じ作品なの?」「うん」「2枚目と3枚目だけなら葦プロ魔法少女っぽい雰囲気だけど、1枚目のメカは男の子向けの作品っぽいし、何なんだろうね。自分では答えを知ってるの? あ、もしかして1枚目は、ジートが持ってた妖精探知機じゃない?」「分かってみると簡単でしょ(笑)」純粋な疑問じゃなく、遊びのクイズだったのか!
画像は、あと2枚用意されてた。4枚目は街側から見上げた「海の見える丘」、5枚目はフラワーハウスの屋根。難しいヒントから、だんだん易しいヒントへ。「画像から作品名を推理し合うスレ」みたいなのがあって、今朝にかけて、徹夜でこの問題を作成したらしい。本多知恵子さん、安らかなれ。
2019-07-16 アニソン「しゃーぷっ」「ぴたテン」「フルメタル」「姫ちゃん」
「あしたねって、みんなと」(耳をすまして)の歌詞・雰囲気は、ぴたテンEDの「あしたまた会えるよね」を連想させる。ぴたテンEDは、湖太郎くん(少年キャラ)が女の子の声で「それは秘密、誰にも秘密、小さな魔法」と歌う不思議な世界だった(妄想…)。ぴたテンは、漫画版・アニメ版、別バージョンの世界を楽しめるのもいい。一番好きな作品ってほどじゃなけど、キャラとしては紫亜ちゃん萌え(声=ゆかな)。で、ゆかなって、自分の中では、フルメタルパニック(以下FMP)のテッサでもあるんだよね。
FMPは自分からは見ないタイプの仮想戦記?だけど(基本的にロボット系は趣味じゃない)、当時、サークルつながりで原作まで読んだ。冗談で「ファンダブ(吹き替え)やろうよ、あんたテッサね!」みたいなノリで。今思うと、ゆかな好きなので、うれしいかな? んで、それから何年もたってから、突然、電撃的にひらめいたのよ。FMPのOPの「二人で逃げ場所探して 走った天気雨の中」って、姫ちゃんのリボンED2の「突然夕立に追われて 逃げ込んだ鉄橋の下」に似てるって(内容のシチュが)。それだけなら「ただの偶然」だけど、FMPのEDは「君に会えて、うれしかった…今は別々の空、見上げて」みたいな感じ、姫ちゃんのOPは「元気な君が好き…今は遠くで見てるよ」OP/ED両方の内容が、すげー似てる気が! それにFMPって仙川(京王線)っぽいけど、姫ちゃんは国立で、川は多摩川で、だから「逃げ込んだ鉄橋の下」に意味があるとすれば、京王線の多摩川橋梁じゃない? ストーリーも世界観も全然無関係なのに、何かつながってるよ!
ちなみに「エスパー魔美」の舞台も、同じ地域(京王線・聖蹟桜ヶ丘あたり)だとか。
2019-09-08 光の国から ぼくらのために 来たぞ 我等のウルトラマン この有名な歌詞について、代名詞が不統一じゃん、という指摘がある。
不統一なのは事実だが「間違い」とは言い切れない。むしろ…
「わが国の憲法は、ぼくたちの生活の基礎となる重要なものです」←内容はさておき、この例文は子どもが書いたものとして、それほど不自然ではない。同様に「われらの」ウルトラマンという表現は、公的・共有資産的ニュアンスを持ち、「ぼくらのために」という表現は「その大きな存在が、身近な生活空間で起きている事件を解決するために」来てくれたというニュアンスを持つ。
そう解釈すると「ぼくらのために来てくれた」→「われら人類の味方ウルトラマン」は、効果的なズームアウトのレトリックを持つ。身近な子どもたちを写していたカメラが、どんどん上昇方向に引いていって街が映り、日本列島が映り、地球が映り、広大な宇宙空間が映るような…(ビバップの真ん中辺のラストのあれ的エフェクト)。
↑ギャラ゙クティカのシーズン末にあった同様のシーン。「会話する二人」からものすごい勢いでカメラ(視点)が引いて、最後は銀河系を外から見る。ここから今度はズームインして地球が映る。
…むしろ「ぼくら」「われら」をどちらかに統一したら、平板・冗漫になって、歌詞のパワーが半減するのは明らかだろう。
2019-09-25 KOI2名言集その1 10年以上前に10年くらい続いてた「みんなきてKOIKOI」。そこから、さりげなく変な文章を。もっと超絶的に変なのも多かったが(笑)。
その日の朝ですが突然私は知人に電話をしたのであった。
(日記54)
KOI2「あのさ!この前一緒に飲んだ君の友人の○さんっているじゃん。」
知人「おう!で、それがなにか?」
KOI2「確かコスプレしてたよね??」
知人「ういっす!」
KOI2「私に着れるコスプレな服は無いかねと聞いてもらえないかね?」
知人「はぁ?なんでまた?」
KOI2「今は内緒だ!ちゃんとクリーニングするから聞いてください。」
知人「いいけど?」
数分後
KOI2「はーいKOI2でーす!帰れ!」
知人「お前酔ってんだろ?」
KOI2「なぜわかった!」
知人「言動だよ!」
KOI2「うっはーー!で、どうだった?」
知人「まああるにはあるとの事だが、ウエストのサイズとか合わないかもしれないって。」
KOI2「確かに中年太りが入りはじめたし。」
知人「で、何のイベントに出るのかって聞かれたんだが何?」
KOI2「花見。」
知人「へ?」
KOI2「花見だす花見。」
知人「なんで花見にコスプレ衣装が必要なんだ?」
KOI2「着たいから。」
知人「・・・お前春の妖精が頭に住み着いてんだろ?まじで?」
KOI2「やかましい!」
知人「ちなみに本気か?」
KOI2「本気だ?無論本気。君と友人君も参加だからよろしくな。」
知人「まてよおい!」
KOI2「いいじゃん。こんな事滅多に出来んぞ。」
知人「絶対にやだ!」
なんだかんだで説得する私・・・。
KOI2「でさ、その服って何?」
知人「ガンパレとKOFのケンスウとギルティーギアのソルとスト3のヤンとクワトロとおジャ魔女どれみと・・・」
KOI2「おい待て。なんだそのおジャ魔女どれみって?確か男だったよな?友人?」
知人「彼女のじゃないのか?」
KOI2「俺らがそれ着てたら花見に行ったらパニックになるぞ。まさにおじゃ魔女カーニバルだよ!犯罪だよ!」
知人「いやまったく。」
KOI2「じゃあ私の家に来てください。」
↑ この後、ホントにコスプレ花見して大はしゃぎ。どれみが親子連れに受けまくる。アイデア自体はKOI2さんのオリジナルではなく、以前に「いろんなさくら」のコスプレで花見する集団(なるほど!)を目撃した記述あり。その「さくら」集団も、実は「爆裂カップメン」の読者だったというオチ。単純計算で、全日本人の10人に一人は読んでいるサイトだった(1000万ヒット)。
しかしファミコンを指さして「これなに?」と言われたのにはカルチャーショック!年齢的に知ってる訳あるはずナッシング。どうやら初めて遊んだゲーム機はPS2との事。なんて贅沢な時代になったのだ。試しに初代スパーマリオブラザーズをやらせてみる。
(日記47)
「絵がきたないからつまらない。」
とのお返事。どうやらゲーム内容より絵みたいである。時代か?しかしファミコンのスペックが携帯電話以下と言っても信じないだろうな・・・。とてつもないカルチャーショックであった。
そしてその後40時間ぶっつけでゲームをする。久ぶりに脳に電波が届くのではと思うほどギャルゲーをしてしまった私。これはこれでOK!だってすきなんだもーん。
(日記41)
誤字脱字が多いのはKOI2さんのスタイル。思うに、ものすごい勢いでタイプして、細かいことにこだわらない主義。上記の引用だけだと「ゲーム廃人」と誤解されかねないが、ゲーム関係の仕事してた人なので(確か「悪代官」を作ったとか)、基本、ピアニストが音楽の話をするようなものかと。カップメンの本も出してるので、ある意味、リアルに活躍してた。別の意味で壊れてるが…(笑)。もう、迷惑電話に対する余裕の応答とか、天才と紙一重というか、ばかと紙一重の天才というか、とにかくネットは広大だった。デフォでトラッキングされたりしない荒野だった。
前にも書いたけど、KOI2さんは「キーボードクラッシャー」の陰のプロデューサーでもある。おびただしい派生作品を生み、世界中で有名になった「本家・完全翻訳版」は、KOI2さんからの電波指令により誕生。当時はあまり「中心」がなく、日本でのユーチューブの一般認識は「どこか外国の知らないサイト」だったらしい。投稿した人(当時のこのサイトの読者の誰か)は、わざわざ英文で動画の説明を書いてたし、主演のドイツ人自身も翻訳した自分たちも、動画サイトにアップしたわけではなかった。ちなみに同じ頃、フランスファイブや愛国戦隊大日本も紹介したのだが、これらはそれほどブレイクしなかったっぽい。
あれはネットの比較的初期における「むひょひょ」。個人サイト間(ユーザーの大半は多かれ少なかれオタク)で普通に遊べた時代。中央サーバー・大企業に縛られない、半分実験的のような…。仮に今KOI2さんや、あのドイツ少年や、ブレイク工業の人がデビューしても、受けないかもね。当時、ファイル共有ソフトを作ったら、ソフトウェアの開発者が逮捕されたこともあった。今、大会社がもっと大規模に動画投稿サイトを運営して、事実上ほぼ何でも共有される状態にして無問題なのは、なんか訳分からんよね。法人税をいっぱい払ってくれるところがやれば法律適用はてきとーで、脱中心的にやると、法律を無理やり拡大解釈してまでつぶしにくる、みたいな…。
本気の字幕は年単位のチームワーク。1日で作った「クラッシャー」のやつは単なる遊びで「そういやあ、あったなぁ」くらいの感じだが、懐かしいといやぁ懐かしい。あの動画のせいで、ドイツ少年がリアルでいじめに遭ったことは、良い思い出ではないが…。
もちろん最近でも「いいもの」はあるんだけど、子どもの絶対数が減ってるせいか、物理的・原理的に、無邪気に熱いものがバリバリ出にくいんだと思う。「意味なんてない純粋な遊び」じゃなく「あわよくば金もうけ」「受け狙い・カメラ目線の演技」みたいな。自己評価も、中心が管理する数字(広告効果の大小)が尺度。「自分がやりたいからやる!」って言い切れてない。それって要するに、全員コマーシャルを見せられてるだけじゃん。
2019-09-27 KOI2名言集その2
変な羽の生えたリュックを背負ってる電波オッサンと通行人に思われたであろう。面白いので帰り道でタイヤキを買った。家に帰ってきてから恥かしさがこみ上げてきてノタウチ回った夏の日。
(日記95)
ハンター×ハンター以上の手抜き漫画が読めるのはみんなきてKOIKOIだけ みんなも苦情の手紙を出そう!
(日記73)
ジャンプなんぞもう読んでもいないしな。人気があろうが知らんもんは全くしらん。
(日記113)
世の中には無限と有限が存在すると思う。人の命は確実に後者ではないのでしょうか。有限だとわかっていても、いつその有限が終わるかなんて本人も、付き合っている友人もわからないものです。知人の有限が終わった時に、また有限が終わっていない友人はその分面白おかしく生きなくてはと思います。馬鹿話して酒のんで騒いで。
(日記32)
結論としてなぜメイドがいたのか全くの不明です。しかし人類には小さな目撃でもメイド麺達成には大きな一歩であった。
(日記29)
まさか無償で英語版を作っている人がいるとは!さすがアメリカ!もうガンガン作って下さい。こんなHPでよろしければ何でも使って頂いてOKです。しかしお願いがごじます。KOI2は私の名前ですのでそこは変えた方が良いかと・・・。
(日記23)
当HPに著作権はありません。
勝手に気に入った物使ってOK!
掲示板は勘弁ですが。
狂人に見られても当方は責任もちません。
(日記9)
2019-10-09 KOI2名言集その3
散歩をしている時、電柱に貼ってある紙が目に入る。「あなたは何の為に生きているのですか理解していますか。よろしかったら私と一緒にそれを探しましょう。」らしい。愚問である。人間はメシ食って寝て遊ぶ為に生きているのである。これ以外の事などメシ食って寝て遊ぶ為の補助である。
(日記13)
明日は待ちに待った日である。「機動戦士ガンダムLD-BOX後半」が出る日である。 しかし今月はあんなこんなで金が無い。無理して買うべきか、給料出るまで待つか。なに、買わないって選択枝はないのかって?愚問である!これを買わないで何を買うというのだね。なんか偉そうな自分である。しかしアレですね。もう本放送から20年ですよガンダム。あの時はまだ小学生5年であった。あれから20年も生きてるなんて奇跡である。生クラゲ食べたり残飯あさった事もあったなー。懐かしい思い出だが、この時期がなかったら今の私は無いであろう。
(日記3)
調子にのってチェーンジゲッター3!スイッチオンと叫びながら湯船に潜る。俺っていったい何歳?
(日記1)
「ナイス蚊っち発動承認!
(日記80)
了解!ナイス蚊っちセイフティーデバイスリリーブ!
うおおーーー!ラケットコネクトォ!ゴルディオンナイス蚊っちぃぃぃ!ふん!」
割と小さい声で言ったのですが・・・もう気合入りまくり!一体何歳なんだ私ってば。
2019-10-17 スイートムーン
「スイートミント」のイタリア版「ドルチェ・ルナ」。またまたクリスティーナの歌のネタ。
その1 Dolceluna che serenità (スイートムーン、何というセレニティー) ← この歌詞、セーラームーンのイメージを先取りしてるね。さてはて、モモ型の変身は「別の職業の別人物に変身」「アイドル歌手に変身」等のパターンだったが、マリーベル型は「自分自身の上位バージョンに変身」。当然、セラムンはマリベ型。中間にあるミントは、ホントその二つの中間的で、魔法少女史の中で面白い位置にあるかと。雰囲気はもろにモモっぽいんだけど(特殊技能を持つプロに変身)、外形的に「別人」に変身してるわけではないんだよね。姫ちゃんみたいに校長先生に変身したりはしない!
その2 児童合唱のバックコーラス「ドルチェルナ、ドルチェルナ」。まあ普通っていうか、当たり前のパターン。と油断していると…。曲の末尾で、児童合唱が先に出て、2個目のドルチェルナにかぶせるように、クリスティーナが2倍の遅さの同じメロディーで「ドールチェール~~~ナ~~~」と歌う。速度差(倍率)のあるカノン。さすがイタリアは音楽の国! ふわふわしたムードがいい感じ。楽譜には dolcissimo とか書いてあったりして(笑)。ドルチェルナの歌はドルチェでゴー!
その3 もしもミントがもっとヒットしていたら…。ミュウミュウのミントは弓形アイテムを使わないし、ミント(ーン)アローとも言わなかっただろうし、そもそもキャラ名がミントではなかっただろう。そしてエヴァのペンギンもペンペンではなかっただろう。ひょっとするとポケモン・アニメのイミテのキャラデザも少し違ってたかも?
2019-10-20 ポケモン・アニメのイミテ(キャラ名)とスイートミント
↑左が本物のミント。右はポケモンのイミテ。ミントのイミテーション(笑)
左が「魔法のエンジェル スイートミント」のミント(1990)。右がポケモンのイミテ(2000)。まさにパチ物、イミテーション。1990年代初めの葦の丁寧な作画に比べると、明らかにコスト削減・量産型。星形のイヤリングとペンダント(いちいち描くのが大変)が、大きな1個の星(手抜き)になってるところが切ない。顔の輪郭線も、あまり繊細な感じではない。ミントは同時期の作品(ぴえろ系)と比べると手抜きともいえるが、ほんわかした魅力がある。肩が凝らない感じ。そして、その手抜きともいえるミントと比べても、後の量産型アニメは…
キャラ名自体イミテ(国際版では Duplica=複製さん)。初登場エピソード(1997)のタイトルは「メタモンとものまねむすめ」。
↑サトシに「変身」したミント…もといイミテ。フシギダネは林原、ピカチュウはもちろん大谷。変身しそうな声優に囲まれてるぞぉ。「ピカピィ、ピカピィ」(訳=パラレル、パラレル)
この手のミント・ネタで最も有名なのは、何といっても「スイートミント vs. ミュウミュウ・ミント」のアロー問題でしょう!
↑左=スイートミントのミントとそのアイテム「ミントアロー」。ディテールのある、結構手の込んだデザイン。たぶんですが、おもちゃとしての売り上げが重要だったのでしょう。攻撃用アイテムではなく、変身用。戦いの物語ではない。
右=ミュウミュウのミントとそのアイテム「ミントーンアロー」。こちらは敵を狙って撃つ道具。コンピューターを使った光の効果は華やかだが、アイテム自体は省力的デザイン。
が、あれは偶発的にかぶっただけでしょうから、ここでは蒸し返さず「ミント vs. セラムン」という別の切り口を考察したい。まずは「スイートミント」のこの画像を見ていただこう。
一目瞭然、今にも「ミント・ティアラ~」とか言いそうである。イタリア版が「ドルチェルナ」(=スイートムーン)と呼ばれ、その主題歌に「セレニティー」に当たる言葉が入ってるのも、セーラームーンを連想させる。イタリアでのその辺の認識については、機会があれば、いつかご紹介したい。ちなみに、上記引用画像は「ファンタジーの絵本の世界に入り込んだ」という設定の「物語内の物語」の場面。ミントは全体としては「敵と戦う殺伐とした話」ではなく、ほんわかした作品(変身後の姿は毎回変わる)。それと、このデザインはセラムンのパクリやパロディーではない。セラムン(1992~)の方がミント(1990)より後。
2019-12-01 カミーユ母の元ネタ発見? 髪形までそっくりなので、意図的オマージュか。
左=ジーグ39話「母に捧げる戦いの歌」(1976年)
右=ゼータガンダム3話「カプセルの中」(1985年)
シチュエーションはどちらも同じ(主人公の母親が人質に取られ、これ見よがしに透明カプセルに入れられて「母親の命が惜しければ…」的な脅迫材料に使われる)。
← 関係ないが「えり子」にもこんなシーンが…
発見その2。「メキニ・メキニ…」はヒミカ専用の呪文ではなく、ミマシも同じ呪文を使う(38話)。
2020-01-13 悩ましい旧作ブルーレイ
とある旧作のBDが発売予定なのですが…どうもSD収録2枚っぽい(1枚に10時間)。これって結局、DVD-BOXと同等の中身では…(もしかすると、むしろ劣化している)。
首藤氏は言った。「僕の意識としては、TVの大きさは14インチである。(中略)子供の狭い視野には、ただでさえガチャガチャと動き回るアニメなど、14インチが適当だと思っている」
SD放映前提の当時の作品は、当然、SD視聴に最適化されている。例えばミンキーモモを 1080p にしても何のメリットもなく、むしろオリジナルの意図に反する。
そういう意味では、BDだけどSDという一見不思議な仕様も、場合によっては「良い選択」。新たに買うとしたらコンパクトになるメリットもある。けれど LD-BOX や DVD-BOXを既に持っている作品の場合、同じものを2重3重に買わされるのは、引っ掛かる。もしかして「出せばファンはまた買うだろう」となめられてる??? どうせなら「超くせ」みたいな、全然何も出てない作品をメディア化すればいいのに(?)
旧作でも「BDになって見た目は良くなった」ケースはあるでしょう。けれど昔の作品はSDでちょうどいいのに、「手抜きのアップサンプリングで実質的には劣化」というケースもあるのでは…。旧作の良さは、手描きの温かみ。作り手の愛情と人間的な深み(リアルの経験)に裏打ちされたストーリーの面白さ。解像度や画質のきれいさにとらわれて(「BDは無条件でDVDより上」という詐欺的なイメージ戦略)、大切なものが軽視されているような気がする。
2020-01-01 妖精の「よう」
ゼロでもともと、こころに太陽♪
2020-01-25 アイドルって、た~いへん!
田中陽子さんという方は、1990年ごろ「パンチラで有名なアイドル歌手」だったらしい。そんな訳の分からんジャンルがあるのか…という感じですが、なんか短いスカートをはいて、歌の振り付けでわざわざ高速に回転するらしい。本人的には、それはまだ許容範囲だったという。ところがもっと露出度の高いことを要求され、それを本人が拒んで、行方をくらまして、結局すぐ引退することに…。
「アイドル」といえば「虚像が売り物」。でも「アイドルの中の人」は生身の人間なので、悩み傷つく…。早朝から深夜まで仕事させられて…。そんなことをたまたま知り、アイドル業界のブラックさを垣間見た気がした。中嶋美智代さんも、本当は嫌なことを強制されたのだろう。元をただせば、そういうものを見たがる人が世の中には結構多い…ということなんだろうけど。
2020-02-09 アイドルって、た~いへん! その2
「清純派アイドル」という言葉もあるので、いろいろな「派」があるのだろう。「パンチラ派アイドル」(?)ってのは、びっくりだが…。しかし、やはり人間には譲れない一線がある。「ポルノのようなことはしたくない!」と失踪してしまうのは、現実的にものすごい決断だったに違いない。芸能プロダクションから見れば、迷惑・無責任で「素行不良」ということになるのだろうが…。
アニメの「ようこ」がリアル田中陽子の運命を予言していた、と言う人もいる。実際、アイ・プロダクション(ようこが所属することになる弱小組織)は、第1話でアダルトビデオの出演者をスカウトしている。社長とスカウトマンが「未成年だからやばい・警察に捕まる」「脱がせる・脱がせない」的な議論を…(子ども向けアニメとしては過激だが、同じ首藤は、海モモのOVAでも、メインキャラとして娼婦を登場させている)。当時、リアル陽子は17歳だったらしい(アニメのようこは14歳?企画書では15歳とも…しかし12月12日が誕生日だとすると、放映途中で1歳変わるんだよね)。最終話では、劇中劇の設定ながら「ようこに会えたのは、ごく短い期間だった」という趣旨のせりふがある。アニメが1年未満で打ち切りになったことを指すメタ的な言葉なのだろうが、リアル陽子も1年くらいで引退した。
主人公のアイドルが失踪して関係者がパニックになる…というのは、「ようこ」ではなく前作の「えり子」で予言(?)されている。「よっきゅんコーナー」出演の参考として本人が前作の「えりりん」をある程度、見て知っていた可能性は高いので、フィクションの「えり子」の失踪が、リアル田中陽子の失踪に微妙に影響を与えた可能性も。
「ようこ」は、リアルのアイドルとタイアップしたアニメ。なのに「アイドルは金になる!」「アイドルは宣伝さ!」「そうすりゃ音痴も大根も…」なんて、スポンサー批判的な挿入歌もあった。
田中陽子さんは「デビューしたけど売れなくて、すぐ消えたどうでもいい歌手」ではなく、自分の意思で「はい、わたしは嫌です」と行方をくらました人。まれに見る「考えのはっきりした」アイドルだった。だから結局、実はとっても「ようこ的」なのかもしれない。
2020-02-10 アイドルって、た~いへん! その3 ようことベルダンディー
短期間しか活動しなかったマイナーな歌手・田中陽子をご存じない方でも、「ああっ女神さまっ」は国際的に超有名なので、知ってるでしょう! 田中陽子さんはあの有名な漫画に、チラッと登場している(案外ご本人も知らなかったりして…)。確かウルドが声帯模写の名人という設定の場面で、ベルダンディーが「よっきゅんコーナー」と言って、ウルドが田中陽子のまねをする…というような流れだった(1991年ごろ)。なぜ「えりりん」や「ミッチー」でなく「よっきゅん」なのかは誰にも分からないが、きっと藤島先生も「ようこ」が好きだったのでしょう(笑)。ちょうど制作のタイミングで「ようこ」が放映中だったのかも。考えてみると、ベルダンディーとようこって、波長も合いそう。「住む家ない二人がさまよって、ご都合主義的(?)に住む場所が見つかる」っていう最初の展開も「ようこ」と似てる。
「ああっ女神さまっ」には確か、笠原の名前も出てくる。螢一は、意外とミントの曲なんかを聴いていたのかもしれない(笑)。そして螢一くんの友達のアニオタの人は、確かファンシーララみたいなのを見ていた。連載開始が1990年前後なので、そんな感じの時代背景。人気が出過ぎて連載が長期化し「こち亀」状態になってしまったが、最初の方は新鮮だった。ベルダンディーのキャラには「やまとなでしこな日本人女性」という間違った(現実と懸け離れた)イメージを世界的に広めてしまった…という副作用もあったかもしれない(?)
ベルダンディーのキャラデザインは特徴的で印象的だが、まれに「輪っかが2個あるように見える髪形」で描かれてることもある。この点も、ちょっぴり、ようこっぽい。
2020-02-17 アイドルって、た~いへん! その4 柿本(梨元)
「えり子」の突撃芸能リポーター柿本さん(画像・上)は「ようこ」にも登場するが(画像・中)、「超くせ」にも似たキャラを発見(画像・下)。
アイドル伝説えり子・最終話
アイドル天使ようこそようこ・30話
くせになりそう♥・21話
このキャラは、リアルの「梨元勝」という人に基づいているらしい。えり子・ようこでは「柿本」とクレジットされ、同じ声優が担当している。
ようこ30と超くせ21は、展開が似てる。どちらでも大事件があって、アイドル歌手が人質に取られる(どちらの歌手も能天気)。突撃リポーターは、それを取材・報道。警察はお約束の説得。
ようこ版→「君たちは完全に包囲されている。直ちに人質を解放して、出てきなさい」「君たちのお母さんは今頃泣いているぞ」(犯人は答えの代わりに、戦車で強行突破)
超くせ版→「君たちは完全に包囲されている。人質を解放して、おとなしく出てきなさい」「国のおっかさんが泣いているぞ」(犯人は答えの代わりに、機関銃を乱射)
2020-02-21 アイドルって、た~いへん! その5 田中陽子 vs. かないみか
田中陽子はアイドル歌手としては大して活躍しなかったが、失踪アイドルという異色の存在。考えようによっては「ポケモンアニメ」にも間接的に影響している。
ヌード写真集的なものの被写体にされるのが嫌なのに、それを強制されそうになり、所属する芸能プロダクションから逃亡、一時行方不明になってしまった…という。名目上だけとはいえ首藤作品の主人公となった彼女は、くしくも首藤が繰り返しテーマにした「アイドルという存在の意味を問うこと」を自分の人生の選択として、リアルに体現していた。首藤自身は、田中陽子をあまり評価してなかったようだが…
首藤の「くせになりそう♥」のアイドル歌手・白鳥なぎさ(フィクションのキャラ。部分的に「ようこ」を継承している)も、ヌード写真を一度は承諾するが、外部からストップがかかり「そんなことをしなくても輝ける!」という結論になる。田中陽子(リアルの元アイドルで、首藤の「ようこそようこ」の名目上の主人公)は、同じ選択を(外部からのストップではなく)自分の意思で選択していた。他方、どちらの作品でも「金の力でアイドルを“作る”こと」が痛烈に批判されている。「ようこ」は芸能プロダクションとのタイアップ作品だが、アニメのシリーズ構成を担当した首藤自身は、タイアップをあまり快く思っていなかったらしい。
田中のファースト・シングルのタイトル曲「陽春(はる)のパッセージ」とカップリング曲「一人にさせない」は、それぞれアニメ「ようこそようこ」のOPとEDに使われている。上述のように、これは「営業上のタイアップ」で、アニメの内容と曲の内容はほぼ無関係。
資料によると、ED「一人にさせない」の出だしは「悲しいことが」。ところが、実際に田中陽子・本人が歌ったもの(CD音源)では「悲しいことは」と聞こえる。歌詞カードと実際の歌詞が違う? 歌詞を間違って歌ってる?
「歌詞カード、テロップ、実際の歌詞が違う」というのは、当時、同じアニメ会社の別作品でも起きた。今と比べると、おおらかな時代だった。
2020-03-03 「ぶきっちょ・がきんちょ・ヒヤヒヤドキッチョ」などの「ちょ」の法則性
漫画・アニメにおける「変なチョ」には30年以上の歴史がある。
「げんき きかんき ワンパクムーチョ」「ちびっちょ からだで ヒレキック」「茶目っけ ちょこまか ブルンコムーチョ」 ハゼドン(1972)
「アッチョンブリケ」「シーウーノ アラマンチュ」 ブラックジャック(1973)
「クルクル バビンチョ パペッピポ」「ヒヤヒヤ ドキッチョのモーグタン」 まんがはじめて物語(1978)
「はっちゃけナスビ パックンチョ」 おねがいマイメロディ すっきり♪(2007)
末尾の「ちょ」には「頂戴」の影響もあるだろう。「してちょ(うだい)」「見てちょ(うだい)」のように動詞の連用形には「てちょ」を付けられるので、それを拡大解釈・乱用して「もう寝るちょ」「びっくりちょ」「どきっちょ」などが生じ得る。でも…ここには、隠れた別の法則性もあるようだ。
「かっちょいい」の「ちょ」は、k の異化かもしれない(※異化=一つの単語の中に同じ「音」が2個あるとき、その一方が違う「音」に変化すること)。kakkōii > kakkoii の語中の kk が、語頭の k によって異化されて ch に変わった、と解釈可能。なぜ「こ」の異化の結果が「ちょ」なのか。これは逆に「超かっこいい」の「ちょ」に引かれて「超かっちょいい」に同化したのかもしれない。
こじつけかもしれないが、「がきんちょ」の ch も *gakikko の kk の異化、「ぎっちょ」の ch も (hidari)kiki の2個目の k の異化かもしれない。異化という点にこだわらず「変なチョの前には k やその有声音 g が現れやすい」という仮説を検討してみよう。
そうなってる例=かっちょいい・ぎっちょ・ぶきっちょ・がきんちょ・がちょーん
いずれも「ちょ」の直前の音節にカ・キ・ギがあり、やはり何かパターンがありそうだ!
アニメの「ドキッチョ」「パックンチョ」も、人為的に作られた造語なのに、同様のパターンに従っている。
反例は「ふとっちょ」。futotteru からの変化と仮定すると、これは t の異化に当たる。「て」→「ちょ」の別の例は「変てこ→へなちょこ」。理屈はともかく「変なチョ」の前にはカ行音・ガ行音が現れる確率が高いこと、そして場合によっては異化が関係している可能性が示唆される。
ここで考えている「変なチョ」というのは「もともとあるチョ」(例=マッチョのチョ)や「チョウが短くなったチョ」(例=イインチョのチョ)ではない。「ムーチョのチョ」は「もともとあるチョ」だが「ムーチョ」と韻を踏んで「ちびっちょ」が現れるところが、首藤節の先駆けのようで面白い。蛇足だが、マイメロの「パックンチョ」については「バックンチョ」説もある。ここではサントラ表記に準拠した。
2020-03-07 アイドルって、た~いへん! その6 水たまりの太陽
田中陽子の2ndシングルのタイトル曲「夕陽のクレッシェンド」(資料によると1990年7月リリース)も同じアニメの挿入歌として使われたが、田中本人ではなく、かないみかが歌っているケースが多い。「ようこ」では、第15話「翼に夢を乗せて」で、かないが歌ったのが最初。カップリング曲「水たまりの太陽」には、4種類のバージョンがある。アニメでの初出は34話「わたしのジュリエットPART1」。画像のように、いかにも「水たまりの太陽」のアニメ・ミュージック・ビデオといった作りだが、曲名がクレジットされるわけではない。約1分10秒にわたって、ストーリーとほぼ無関係に唐突に挿入される。
↑ 静止画で見ると水の形状がシュールだが、動画で見るとそれほど不自然ではない
水たまりの前に立っているのはサキ(林原)
田中本人の歌ではなく、流れるのは林原めぐみが歌うバージョン。林原というと、ふてぶてしい役が多い気がするけど、この作品では、ちょっと弱気なサキという役を演じた。首藤作品は「夢がどうこう」とお説教くさく言う傾向があり、あまり感心しないのだが、「わたしのジュリエット」2部作では「説明せず、無言のうちに見せる」という王道の戦略が使われる。リアルの若手俳優がストーリーの原型を作っていて、脚本家が頭で考えたのとは一味違うリアリティーがあった。演劇における「代役担当」という設定。非常時の代役(補欠)なので実際にはまず出番はないが、いざというときのピンチヒッターなので練習は必須。「表舞台で活躍できないと分かっていても全力で取り組む」という状況が、説得力を持つ。
本多知恵子さん(キテレツのみよちゃん=「えり子」の
2020-03-20 「超くせ」35話で背景にチラッと映る人物は「ようこ」のサキのカメオ?
↑左=「くせになりそう♥」35話より。右=似たポーズのサキ。「ようこそようこ」41話より。
2020-05-09 花梨(かりん)とタマエ
左=「ようこそようこ」の花梨&サキ、右=「ママは小学4年生」のタマエ&えり子。花梨とタマエって、ちょっと似てるでしょ?
花梨3部作の脚本を書いた影山由美は、ママ4の脚本も書いており、それはキャラデザとは無関係だが、何らかの形で間接的なつながりがあるのかもしれない。
2020-07-01 全然関係ないが、変な夢を見たのでメモ。なぜか首藤氏が登場して「花の子ルンルンは、日本に二つだけの珍しいタイプの魔法少女物ですね」みたいな訳の分からないことを言っている。それで自分は「ようこそようこも珍しい魔法少女ですよね」と言おうとしていた…。起きた直後は「そもそも、ルンルンも、ようこも魔法少女じゃないし。訳の分からん夢だな」と思った。が…今よく考えると「魔法を使わない魔法少女だなんて、珍しいですね…」って、首藤にぴったりの、深い意味のある言葉だったのかもしれない。あの世で首藤に会ったら、ようこ→ホッキョンのノリで「脚本家って、すぐ交通事故を起こしたがる人のことだったんですかぁ?」って言うぞ…とか時々くだらないことを考えているが、夢の中ではそんなことは思わなかった。
2020-10-17 ポケモンアニメの首藤剛志がウィキペディアに自分で書いたこと
むかし、むかし、…といっても、ガンダムの10年くらい未来に当たる昔…
「ポケモンの首藤」と書くと天国の首藤剛志はご不満でしょうが、世間一般的には、無印ポケモンや『ミュウツーの逆襲』が代表作でしょう。
首藤は2010年10月に亡くなっているが、なぜかその直前にウィキペディアにアカウントを作って、自作関連の項目を幾つか編集している。以下は「アイドル天使ようこそようこ」についてのもので、結果的には、遺書のようなメッセージ。
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%AB%E5%A4%A9%E4%BD%BF%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%9D%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%93&diff=prev&oldid=34253811
現場スタッフを過酷な状況に追い込んだことは紛れもなく確かなことであり、首藤は当時の制作現場スタッフに対して、申し訳なさと限りない感謝の気持ちを2010年現在も感じていると語ることがしばしばある。また、サキが主役になった「私のジュリエット」は、不当な圧力をかけるスポンサーへの反感や反抗から生まれたシナリオだったとの噂もあるが、これは噂の域を出ない。
(※首藤は自分自身のことを「首藤は」と書いている。)
「アイドル天使ようこそようこ」は、ファースト・ガンダムと似ている。どちらも「スポンサーをだまして」制作開始された。どちらも52話で企画されたが、おもちゃが売れないというスポンサー側の理由により打ち切られ、43話になった。どちらもスポンサー側の判断により、2番目に重要な人気キャラを引っ込めるように圧力がかかった(ガンダムのシャア、ようこのサキ)。
首藤が上記でほのめかしているのは「スポンサーからサキを引っ込めるように圧力がかかったので、反発して、あえてサキが中心の2部作を作った」ということ。もともと別の人が書き込みしていた臆測についてのコメントに当たる。同様のケースで、もともとの記述が事実に反する場合には「事実ではない」と書き足しているが、この件に関しては「噂の域を出ない」という含みのある書き方をしている。「あえて否定はしない・そう解釈されても構わない・確かにそういう思いもあったかもしれない」というところだろうか…。同じアニメの別のエピソードで、F1レーサーが「頑張らないとね。スポンサーさん、そろそろイラついてるかもしれないし」と言うシーンがあるが、これも首藤が悪ふざけして書き足したせりふに思える。何しろレーサーがそれを言う相手は豊(ゆたか)。ユタカはこの番組のスポンサーだったおもちゃ会社である。
首藤は血の気の多い人で、目立ちたがり屋だったが、同時に(矛盾するようだが)気弱でデリケートでもあった。本当はサキに「サキューン」というニックネームを付けてもっと活躍させたかったのだが、さすがにスポンサーから引っ込めろといわれているキャラに、それをするのは遠慮したらしい。「ようこ」ではサキを最後まで守ったものの、ポケモンアニメでは、偉い人の独断で、一時、タケシ(首藤剛志と同名の…性格的にも分身のような…主要キャラ)を消されてしまった。
なぜ首藤本人が、突然ウィキペディアに書き込みをしたのだろうか。最初の編集によると: 仕事の関係で「アイドル天使ようこそようこ」を、ウィキペヂアを検索しましたが、関係スタッフとして、その記載には首をひねらざるを得ない部分が多くあります。記載された方に悪気はあるとは思いませんが、関係スタッフに近い方が、聞いたことに憶測を交えて書いてしまわれたように思います。しかし、違う部分は違いますので、訂正したいとは思いますが、その方法がよく理解できません。少なくとも、「スイート・ミント」のスの字も意識していませんでした。
首藤は「ようこ」について、誰にもまねのできない作品というプライドを持っていた。ところが当時のウィキペディアには「『魔法のエンジェルスイートミント』とも、かなりの共通点がある番組」と書かれていたため、それがお気に召さなかったらしい…。確かに「ようこ」と「ミント」は無関係ではないが、どうせなら「スイートミント」ではなく「マリーベル」と比較するのが筋だろう。ともかく、首藤が死の直前、自作に関連して本音のようなことをウィキペディアに書き込みしていた…というのは、興味深い。
2020-10-19 首藤剛志さんのこと(続き)
「ようこそようこ」は、一般視聴者にとっては無名に近い作品だろう。一方、漫画の「ああっ女神さまっ」は国際的に有名…。この「女神さま」に、無名のはずの「ようこ」のネタが入っている。一般視聴者にとってはどうでもいい作品でも、漫画家などのクリエーターの間では、結構注目されていたのかもしれない(ポケモンゲームを作った人たちにもファンが多かったとか)。
下記の場面(単行本5巻から引用)で、ベルダンディが言っている「よっきゅん」が「ようこ」のニックネームで、ウルドが乗せられて言う「よっきゅんコーナー」は、「ようこそようこ」が放送されていたとき番組の終わりにあったおまけコーナー。
一般に「ヨッキュン」「よっきゅん」と表記されるが(LD-BOX、CD-R、ウィキペディアなどでも、そう表記されている)、アニメの企画上、公式には「ヨ♥キュン」だった(玩具などには、この表記が使われている)。ローマ字で書いた場合、Yokkyun でなくて Yokyun…つまり k が一つ…という違いが生じる。下記は「ヨ♥キュン」ロゴの基本デザインで、確かに k が1個。
首藤は、スポンサーから打ち切りを言い渡されたとき、悲しみのあまり(?)ミンキーモモ(空)を物語の中で殺してしまったことで知られる。このことは、いろいろに解釈されているが…モモのマニアの中には「人々に夢を与えるため、キリストが死刑になったように、モモはあえて死ななければならなかった」などと言う人までいる…首藤にとって、空モモの打ち切り事件が衝撃的・トラウマ的だったことは間違いない。ちなみに、モモを交通事故で死なせたのは、おもちゃ屋の(玩具を輸送する)トラック。打ち切りを決めた玩具メーカー(スポンサー)への恨みは、大きかったのだろう。
2022-06-30 岸辺露伴と「千と千尋」 泣きながらおむすび
#アニメ #ジブリ
物語を楽しむとき、宇宙空間で爆発音がするような変なことが多少あっても、「これはお話だから…」と気にしない(不信の停止)。
けれど、時として、ちょっとしたことで不信の停止が破れ、物語の世界に没入できなくなることもある…。作品全体としての良さが全滅するわけではないのだが、一瞬、現実に引き戻されてしまう。
岸辺露伴は、リアリティーをとことん追求する漫画家…というメタ設定になっている(「メタ」というのは、現実の漫画家が、自分自身を作品内に登場させた形になっているため)。「リアリティー感覚を磨くためには、好奇心旺盛に、何でも体験することが大切」として、クモ(虫)を食べることもある。誇張的だが、効果的で印象に残る場面だ。
一方、「岸辺露伴は動かない」では、たった5日間の絶食で登場人物が餓死してしまう。これはリアリティーがない。作者には「数日間、食事をしなかった経験」がないのだろう。
遭難などで、食べ物がない環境に閉じ込められた人が衰弱死するのは、「食べ物がないから」ではなく「飲み水がないから」。水分を補給できるのなら、食べ物がなくても30日くらいは生き延びるらしい。
「千と千尋」では、主人公が泣きながらパクパクおむすびを食べるシーンがある。これも脚本家・演出家に「泣きながら物を食べようとするとどうなるか」という経験がなかったのだろう。
「素数を順番に言って、気分を落ち着かせる」という設定のプッチ神父が、400近くで383を抜かしてしまうのも、素数マニアから見ると、うーん…
361 = 192 を素数と勘違いするパターンはあり得るとしても、383 を合成数と勘違いすることは起こりにくい。間違って 383 をふるうためには、383 に真の約数があると勘違いする必要がある…。「390は13の30倍、そこから『13』を引いた377は13の29倍」という暗算に関連して、偶発的な混乱から「390は13の倍数、そこから『7』を引いた383は合成数」と錯覚したのかもしれない。
もちろんこれらは、どーでもいーような細部で、ストーリー全体に影響するわけではない(笑)。とはいえ「細部のリアリティーにこだわる漫画家」という設定だと、読む方も、何となく細部が気になってしまう。
2022-08-10 「アイスクリームの唄」かないみかクレジットの件 林原と交互に歌ってる!
#アニメ #ようこ #かない #林原 #首藤 #葦プロ
『ようこそようこ』のDVD-BOXの特典CDのトラック9~17は「かないみか」とクレジットされているが、クレジットされていないものの、実は林原めぐみが歌ってる部分がある…と思われる。
「アイスクリーム」は、最初の1行をかないが歌い、それから2行ずつ林原とかないが交互に歌ってるようだ。
最近までこのことに気付かないでいた。おまけの特典CDなんて別に真剣に聴くもんでもないし、「かないみか」とクレジットされてれば、かないみかが歌ってると考えるのは無理もない。実際に最初の行も最後の行も、かないが歌ってるんだし。…とはいうものの、結構ショックだった。「かないみか」と「こおろぎさとみ」でもだいたい分かる自信があったつもりが、実は「かないみか」と林原の区別が付いてなかったと…w
原因は三つ。歌だと誰が誰だか分かりにくい。かないみかが初期の柔らかい声で、いわゆる「かないみかの声」ではない。そして、ふてぶてしい印象のある林原が、やけにかわいい声を出している。この三つの結果、かないみかと林原の区別が曖昧になる…という不思議現象が発生。あとまぁ「林原も歌ってんのに、クレジットがかないだけ」ってのも混乱の原因には違いないが、これはそもそも公式には「歌」ではなく、サントラに勝手に歌詞を付けたものなので、「誰が歌う歌か」「題名は何か」といった公式記録が曖昧なのはやむを得ない。LD-BOX のCDに比べて音が大きくて微妙なニュアンスが聞き取りにくいっていうのもある。
https://yosei.fi/image/2022/10_ice_cream_sample.ogg (約10秒、280 KiB): 「そうね…」が林原、「とても甘く…」がかない。「贈り物~ォ~」と伸ばすところの、ちょっと投げやりっぽいところは林原っぽい。かないは、わぴこ的な意味での「かないっぽさ」がほとんどない。
2023-04-28 風の谷のパガニーニ
#アニメ #ジブリ
パガニーニの変奏曲*はすごく有名で、耳にすればほとんどの人は「この曲、聞いたことある!」と思うだろう。速いテンポで、大ざっぱにこんな感じのメロディー。
ラッ・・ラ ラ↑ドシラ|↑ミッ・↓ミ ミ#ソ#ファミ|
ラッ・・ラ ラ↑ドシラ|↑ミ・・・ ↓ミ・・・|
このメロディー、一部の音符を抜かして、わずかに音の長さと順序を変え、速度を落とすと…
ラ・・・ ↑ド・シラ|シ・↑ミ・ ↓ミ・・・|
ラ・・・ ↑ド・シラ|#ソ・・・ ・・・・|
これまた有名な、ナウシカの挿入音楽に!
ジブリのやつは、↑ミ ↓ミが正確にオクターブでなく、意図的に軽く音を外して、半音~四半音くらい微妙にずれている。それによって、厳密にコントロールされていない「無邪気な子どもの歌」の雰囲気を醸し出し、あどけなく純真な印象になっている。
パガニーニは、いい意味でも悪い意味でも「クレイジー」な天才だったようだ。一見シンプルなメロディーだけど、バリエーションのたびに、各種の超絶技巧を組み込んでいる。特にピチカート・バージョンの変奏がすごい(まるでハープのようなスピードで、バイオリンの弦を指ではじく)。目立ちたがり屋だったのかもしれないw まあ基本、そーゆー性格でなきゃバイオリン・ソロはできないだろう。シベリウスもバイオリンの腕前は確かだったらしいけど、内気な性格で人前で演奏するのが苦手だったため、進路を変えてコンチェルトを作る立場になっとか…
四半音(微分音)を利用している他の例として、攻殻機動隊のどれかのスピンオフで「疑惑・不審」みたいな場面で、四半音ずらして2個の音を連打する劇伴が使われていた記憶がある。「調律が微妙に狂っている=何かがおかしい=ふに落ちない・怪しい」というムードを暗示していたのかもしれない。でも、続編作りまくりで、内容的には…。ナウシカの「オクターブが微妙に外れている子どもの歌」は、すごく心に残る。何だかナウシカを見返したくなってきた。w
ちなみにアニメ版は、原作の一部しか扱っていない。アニメ・ファンの方は、機会があれば漫画版も読んでみると驚きがあるかと…
ナウシカ劇場版には、ちょっと複雑なものも感じる。1984年だと思うが、たまたま綿の国星・劇場版と同じ年に公開されてしまった。そのため、一般のアニメファンは「ナウシカ、ナウシカ」で「綿の国星」を無視したのではないか。大島弓子ファンとしては、微妙な気分(アニメ化にあまり賛成でもないので、むしろあまり注目されないで良かったのかも…)。ナウシカは環境問題・戦争のような社会的コメンタリーだろうが、綿国は「大人でも子どもでもない少女という中途半端な存在、その戸惑い」を「人間でも猫でもない少女」という詩的なメタファーを使って繊細に描いている作品。「どちらでもない」という曖昧さ、漫画の描線のフワッとした感覚は、アニメのきっちりした線とは相容れない面もあるが、原作の柔らかさを保つため、アニメのチームは相当の努力をしている。ナウシカ同様、このアニメ版も原作に比べるとごく一部だが…。映画はステレオだったのに、DVD収録のときモノラルにされてしまったのも残念だ。
いずれにしても、初期のジブリは、インパクトがあった。
* Niccolò Paganini: Caprice for Solo Violin, Op. 1 No. 24
https://invidious.esmailelbob.xyz/watch?v=UcL0IsklM3M&local=true