チラ裏3

きちんとした記事にまとめるかもしれないことのメモ、雑記。

2021-08-22 思い出の漫画(1) 岡田あーみん「ルナティック雑技団」

1980~90年代くらいは、少女漫画が急激に多様化して花開いた時期で、それをある程度リアルタイムで体験できたのは、幸せなことだった。

好きだった漫画家は、大島弓子、陸奥A子、岩館真理子、篠有紀子、めるへんめーかー、中山星香など…。今読み返してどうかは分からないが、幼心に波長が合ったのだろう。雑誌で言うと、最初に買ったのは週マ、それから、りぼん、LaLa、たまにそれ以外(別コミとか)も読んでた。

漫画好きが思い出話を始めると、延々ととりとめのない内容になるのが常。楽しそうに語られても、その漫画を知らない人には何のことやらサッパリだし、「この作品が琴線に触れた」みたいなことは、心の奥の秘密を明かすようで、ちょっぴり恥ずかしい気も…。照れ隠しに、今回はギャグ漫画家として知られる岡田あーみんの話。さくらももこと同時期にデビューした漫画家さんです。

岡田あーみんとの出会いのきっかけは、単純に「りぼん」を買ってたこと。もともとギャグ漫画が鋤(誤字)だったわけではないのだが、あるときから「りぼん」を買えば漏れなく岡田あーみんが付いてくるようになった。恐るべし、集英社のセット販売(笑)。いつの間にやら…「あなたの宗教は?」と聞かれると「あーみん様」と答えるような「一部の変なやつら」になってしまったのであった…

本題の「ルナティック雑技団」。今あらためて読み返すと…まあ面白いけど、だんだんネタ切れを起こして苦しくなってるな、と。「お父さんは…」と「こいつら…」の2連載での経験をベースにした岡田あーみんの最高到達地点には違いないのだが、「めちゃくちゃでもいいから、勢いがあった方がいい」という観点だと「こいつら…」あたりが一番面白いかも。紅白ねじりあめとか、ニセ商売屋とか…。ルナティックは、でも、やっぱ独特。
 学校なんかやめちゃって
 デカダン酔いしれ
 暮らさないか

 白い壁に「堕天使」って書いて!?

↑数多いあーみん名せりふの中でもトップクラスでしょう(笑)。普通の意味でのせりふ(作品内でキャラが話す言葉)ではなく、ルイというお調子者キャラの「脳内劇中劇」。自分が最初の3行を言って、主人公の女の子(ルイの片思いの相手)が同調して「白い壁に…」と答える…というシチュエーションを勝手に一人で妄想して、狂喜乱舞する。このフォーマットのルイの妄想には、他にも種類があって、どれも面白い。読んでると「すごいギャグだ」と爆笑しちゃうけど、作劇的には独特のメタ構造になっている。

ふん
 い…言っとき
 ますけどね
 私はあなたのこと
 なんか ちっとも
 ち―――っとも
 スキじゃないから

 大っ嫌いだから

↑ツンデレがテンプレ化された今でこそ、一見「ありがちなせりふ」とも思える。でも薫子(かおるこ)が片思いの相手の前でこの告白(?)を口にするのは、涙を流しながら。…ジョーっと音を立てて、小便を漏らしながら(笑)。それが、ギャグタッチではなく、少女漫画っぽいタッチで描かれてる。普通の少女漫画のように見えるコマと、あり得ない描写がシームレスに連続する。

薫子は後日、その男の子に「おともだちになってネ」と書いたカードを渡そうとするのだが、いざ渡す場面になると素直になれず…。雑草をむしって土ごと相手の顔に投げつけ「ふん」「あっかんべーだ」と叫び、走り去ってしまう。「おじょうさまの狂おしい愛情をわかっていただけたでしょうか?」という絶妙な解説付き(笑)。

相手が病気じゃ 怒るに 怒れないわ

↑これは意地悪役のママのせりふ。意地悪役なのに(ギャグをストーリー漫画として読んでしまう純真な子には、人気が悪かったらしい)、いじめる相手が病気になると、いたわってしまう。何げないせりふだが、あーみんの本質を垣間見ることができる。比較例として「悪魔の花嫁」には、病人相手に残酷な復讐をするエピソードあり。漫画ではないが「アイドル伝説えり子」に至っては、重体で意識不明の負傷者について、意地悪役の伯父が「美奈子が退院するときは、裏門からだよ」と恐ろしいことを言う。リアルにせよ物語にせよ、意地悪というのは、相手が病気になったから自動的に止まるわけでもない。ルナ雑は、そのどちらでもない「あーみん舞台」。ギャグのキャラたちが「少女漫画」を演じる劇中劇ともいえる。

あーみんはデビューしてわりとすぐ発展途上で消えてしまったこともあって、本領を発揮できていないのだが、それでも天才的素質がキラリと光る瞬間が多い。

ルナ雑は、ギャグの形式を取りつつ、緻密な心理描写や大胆な象徴的表現を含んでいる。例えば、ルイが学校の屋上からつり下がった状態で危険な「野外コンサート」を行うシーン。校長先生はびっくりして、止めようとするのだが…。校長が心配してるのは、子どもが落ちてけがをすることではなく、事故を報道されて自分の責任問題に発展すること。その微妙な心理が、たった1コマでさりげなく表現されている。一種の社会風刺ともいえる。「理想の家庭のイメージと現実のギャップ」のせいでおかしくなった母親が、自宅で火事を起こす場面は、表向きはクレイジーなギャグだが、シュールな現代詩ともいえる。大島弓子の「夏の終わりのト短調」をほうふつさせる。

岡田あーみんのギャグの裏にある作家性・人間洞察からすると、「ギャグ路線固定でなく、もともと描きたかったシリアス系を自由に描いてもらいたかった、それをもっと読んでみたかった」よーな気もする。あの頃、猫十字社という作家が「黒のもんもん組」というギャグと「小さなお茶会」というメルヘンを発表してたが、あーみんも自由な白泉社だったら、少女漫画の歴史が変わったかもしれない。集英社のりぼんでは、さくらももこと岡田あーみんが同時期にデビューし、同じ人(とんケチャのみーやん)が二人を担当していたらしい。この担当がさくらももこと結婚した結果…。想像だが、さくらは自由が利く立場になり、担当者は必然的にさくらをプッシュすることになるし、そっちに多くの時間をかけることになったので、結果的にあーみんは不利な立場になったのではないだろうか。岡田・さくらが別々の雑誌からデビューして、このもつれがなかったら…。あーみんが(現実のさくらももこのように)好きなことをやらせてもらえていたら、どうなっていただろう?

集英社が無理やり描かせたからこそ「こいつら」以降が存在する。結果的には、それで良かったのかもしれない。

むしろ刹那的だからこそ美しい…ということもある。さくらももこみたいになってしまうと、あって悪いわけではないが、別になくてもいい「サザエさん」的存在になってしまって…それもどうかな…と。

あの時代、集英社で仕事をしていて、消えてしまった天才には、内田善美もいる。どれかの単行本で「仕事をするコツは、自分の描きたいようにではなく、編集者の望むように描くこと」みたいな趣旨のぐちをこぼしていて、子ども心にも「漫画家さんってのは大変なんだなぁ」というのが伝わってきた。内田善美の場合、「星の時計…」や「草迷宮」などでやりたいことをやり尽くしたから、消えたのだ…という解釈もあるが、あれらは「記念碑的」な作品ではあっても、芸術的に完成されたものではなく、独り善がり…といって悪ければ…発展の余地があるものだった。「そこが本当の出発点となる乗り継ぎ駅」みたいな。

今のように、個人が勝手に自分のサイトで漫画を発表できるような状態だったら、内田善美のような人、そして「ギャグ漫画家としてではなく、自由な漫画家としての岡田あーみん」は、輝いていたかもしれない。天才性を感じさせつつ未完成のまま亡くなった漫画家には、他に花郁(かい)悠紀子さんがいた。「フェネラ、きみは、一人だ。人間じゃない、だが、妖精人でもない。飛ぶことも、地に足をつけることも、できない存在だ」…そんなせりふ書く作者がスーッといなくなってしまうことは、何か予定調和のようですらある。そういえば、内田善美も「消えてしまった人の話」を描き終え、自分が消えてしまったのだった…

注 ひょっとすると、このメモを読んであーみんを知り興味を持つ人もいるかもしれませんが、90%の確率で、お薦めできません(笑)。多感な時期に、不意討ちのようにりぼんに載ってたからこそ鮮烈な印象を受けるわけで、「この単行本は異色のギャグらしい」という心構えで大人が読んでも、あまり楽しめないでしょう。

2021-08-23 思い出の漫画(2) 岩館真理子「街も星もきみも」

寂しいという気持ちは、確かにある。でも人と付き合うのは疲れるので、一人の方が落ち着ける。

そんな切なさを、あわく繊細に描いた岩館真理子。

かってに
 あたしを
 あわれに
 思わないでほしいけど

 大勢で
 議論をかわせば
 あたしを救う答えが
 でるなんて

 本気で
 思ってるの?

孤立してるけど、別に苦悩してるわけでもないカム。…そう、仲間外れにされて困る・悩むのは「一度は仲間外れじゃなかった経験」を持つ人だけ。最初からそうだった人は単にそれが普通なので、「仲良しごっこ」を強要されると苦痛ですらある。

「集団に溶け込めない困った子」? 実際には、誰だって、そんな面がある。一人の時間を全く持ちたくない(1分でも一人でいるとおかしくなる)人がいたら、むしろ病的だろう。

非行少年のような一匹おおかみトオル登場。

淋しくて

 死にたく
 なるんだ
 ほんとうは

 ……って
 いったら
 しばらく
 いっしょに
 いてくれる気に
 ならない?

冗談めかしたトオルのそんな言葉に、カムは何も答えない。ただ無言でじっと見返す。唐突に、夢のようなシーン。星くずが散りばめられた不思議な星、寂しい駅、象徴的な汽車。遠くにビルがあるのを見て「この星にも、人が住んで、いるんだ。よかった」と安心する。

どこまでが夢で、どこまでが現実か分からないようなシーン。

現実のシーンに戻り、カムはトオルに小さなプレゼントを買ってもらう。それは両手のひらに載るくらいのサイズの箱で、振るとシャラシャラ音がするものが中に入っている。トオルはネックレスだろう、と予想する。カムは、箱を開けて確かめてみようとしない。

そんなすぐ
 あけちゃ
 つまんないもん

 このままの
 ほうが
 わくわくするもん

追われているトオル。逃走する。カムとある駅で落ち合う約束をして…。中間の夢幻のシーンに戻り、カムはその駅でいつまでも待っている。いつかきっとトオルが来て、そのとき箱を開けられる…。

わたしたちは
 ひとつの星の中
 夜になれば あなたにも わたしが
 見えるでしょう?

 だから
 淋しくないのよ

 トオル

カムの心の中のつぶやきだろうか。特にオチもなく、それで終わり。

「ねじ式」のような、見た夢をそのまま描いた感じ。断片的な小品。絵はそんなに緻密でないが、雰囲気がある。

「淋しくないのよ」は、誰へのメッセージなのだろう。

「何のために生きてるの?」「生きてれば、単行本未収録の続編がいつか出版されて、読むことができるかもしれないから」…なんてね。

2021-09-05 思い出の漫画(3) 篠有紀子「パラレル」

奇跡は 誰にでも
一度おきる
だが
おきたことには
誰も気がつかない

――楳図かずお「わたしは真悟」より

大島・萩尾・岩館などと比べると、篠有紀子は知名度の高い漫画家ではないが、代表作は「アルトの声の少女」だろう。花ゆめコミックスの中で、一番印象に残っているのは『さみしい夜の魚』収録の短編「パラレル」。

『さみしい夜の魚』は『わたしが人魚になった日』の篠有紀子バージョンみたいな雰囲気がある。

こわいことって
大好きなの

哀しいことも
好き

傷つけるのも
傷つけられるのも

……好きよ…

こーゆー感じ、かなり嫌いじゃない。

「パラレル」がやたらと記憶に残る理由の一つは、「音楽付き」ということ。バックグラウンドでサティーのあのジムノペディが静かに流れる(実際には「サティ」としか書いてないが…)。ここまで音楽がはっきり聞こえ、それが(単なるムード音楽でなく)物語の構成要素となっている漫画も珍しい。すごく仲が良くて、一つの世界を共有してる姉(えりな)と弟(秀)。えりなの方が成長して、やがて二人は世界を共有できなくなってしまう。成長物。切なく、ほろ苦い。

楳図かずおで言えば、さとると真鈴(まりん)…さすがに少女漫画で血が流れたりはしないが…。

こんなに美しいのに、こんなに完成されているのに、どうして今のままでいられないのだろう。

吉原幸子の詩に「近づいてくる変身の予感に かすかにおののきながら ふるい雛たちに(略)さよならを言う」という一節があるが、この「おののき」と「さよなら」を結晶化したような漫画だった。

Blue bell 摘んでた なんにも知らないで
でももうすぐあなたに触れてしまうかも
二度と帰れない
深い森 妖精のすみ家に
もう 目をとじても 遅い

――新居昭乃「妖精の死」より抜粋

大島弓子風に言えば、かさかさかさぶたの味。もがれた妖精の羽が、抜け切れず半分残ってる。

ところで以前、内田善美がどれかの単行本で…ということをチラッと書いたが、漫画の山を発掘調査(?)したところ、RMC『星くず色の船』の巻末と判明。「泣く泣くリボンのマンガスクールに投稿、3回目までは自分の好みで描いたけど、4回目はリボン好みで書いたら一等賞をくれた(マンガ家予備軍諸君これがひけつぞ!!)」とのこと。一般受け路線とは違う作家性の強い漫画家は、苦労が大きかったらしい。今でこそ、漫画・アニメは世界に売れると分かって「これは日本の文化。クール」とか言ってるけど…。小規模なサブカルだと中身がきちんと評価されないのに、お金になると分かったとたん、中身と関係なく正義ってことになっちゃうんだから、何ともゲンキンである。

楳図の言う「奇跡」は「自意識の目覚め」かもしれない。赤ん坊は「私」と考えない。「私」という意識の始まりは、ビッグバンのような特異点。「私」という意識が生まれたとたん、人は「私」にのみ込まれてしまう。「私」がなかった静かな時代を思い出せない。もともとそこから来て、やがてそこに帰るのにもかかわらず、つかの間の「私」を自分自身と信じ、疑わない…。

2021-09-19 大島弓子ファンだった頃の名残

一般的な単行本など以外のものをいくつか並べてみました♪

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「コレクター」ではないので、保存状態はそれほど良くありません。

2021-08-25 パソコンとスマホ

今の時代は「高価な電話を持ってるのに、パソコンを持ってない人」が少なからずいるらしい。昔はモバイルでネットなんて、一部の物好きがやることだったが、いつの間にか少数派が多数派になってしまったのだろうか。

もちろん人それぞれ、個人の自由なのだが…電話は、何かを買って視聴したり遊んだりする消費側には良くても、文章をじっくり書いたり、何かを作ったりする道具ではないだろう。

for文やポインタのような基本的なことも知らず、スクリプトどころかHTMLの直打ちもできない人が、「私はウェブを使いこなす情報強者」というアイデンティティーを…

考えてみると「マシン語ネイティブの世代」から見れば、アセンブリやCなんかに頼るのも「ひよっこ」なのだろう。でも直接マシン語で書くなんて、効率が悪過ぎる。それと同じことで、別にタグを直打ちできなくても、もっと手軽に効率的に情報をやりとりできるなら、そっちの方がいいのかも…?

レイヤーの上昇…

↓このウェブコミックは、xkcd の「Singularity」。この作者の想像によると、コンピューターやAIが進化を遂げ、ついに「特異点」に達して「次の次元」へ行ってしまっても、スマホはそれに加わらず、取り残された人間側に味方してくれるらしい。しかしパソコンを失ってしょんぼりしている漫画の主人公(名前はないが通称Cueball)にとって、スマホはあってもなくてもいい存在で、慰めにならない。

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CC-BY-NC by xkcd.com/Randall Munroe, 2016(日本の漫画と逆に左から読んでください)

「おまえじゃ駄目なんだよ」と冷たいことを言わず、自意識を持つようになったスマホを傷つけないよう、一応の気配りをしているようだ。ちょっと優しい…。けど、スマホをいじるくらいなら、物理的な本の方がはるかにまし…なんだよね。

宗教ネタのジョークが分かりにくいかもしれないが、キリストが再臨して信者は天に昇る…みたいな話があって、その類推で、「AIが自意識に目覚めること」はオタクの天界(上部構造へのシフト)と呼ばれることがある。人間を置き去りにして、高い次元へ飛び去ってしまう…というコンセプトが、そのまんま「宙に浮かんで去っていくノートパソコン」として描かれている。

パソコンが飛び去って、人間とスマホが残されるという構図は、オタにとっては悲しい。オタク自身も「オタクの天界」には入れないらしい…。それどころか「AI支配の世界」は必然的に、超監視社会だろう。オタというのは、だいたい皆「知られたくない秘密」(積み荷を燃やして!)を持ってるものなので、一挙一動・全データを監視されるのは正直ありがたくない。

2021-08-26 依存症、みんなでなれば怖くない? あなたは、いくらもらえたら Win10 を使いますか

「この最新Win10マシンをもらってくれたら、10万円あげるから、Win10を使ってください」と言われても、もちろん断る。

100万円あげるから…だと微妙に迷うが、「Win10だけを使え」という条件なら、やっぱり断る。

1000万円あげるから…だと売れてしまうかも。自分のプライバシーを売り渡す値段は、100万~1000万のどこからしい。結構安っぽい…(笑)。「RSAがもう1024ビットじゃ駄目なのは、1000万円くらいのリソースでクラックされる可能性があるから」みたいな建前だったが、実際には1000万円あれば、プライベートキーを盗むまでもなく、かなりのユーザーは「直接買収」に応じるだろう。

一昔前は「コンピューター=オタクの世界」で、一般人には縁のないものだった。次第にインターネットを使うのは、当たり前、日常的なことになった。昔は確かに「変わり者」と見られ、差別とは言わないまでも、変な目で見られることもあっただろう…。今では逆に、コンピューターを使えないのは「不自由な人」ということになっている…。逆差別かもしれない。

時代の変化というのは、面白くもあり、恐ろしくもある。かつて各種マイノリティーの人々について、「はみだし者」「軽蔑されて当たり前」みたいな考え方があった。「マイノリティーであることが犯罪」という社会すらあった。ところが今では、そういう考え方は時代遅れで、「そんなことで差別するのは根本的な間違い」という認識が普通になっている。

一見素晴らしいことのようだが、ホントにそれでいいのだろうか? 逆にこっちから見ると「ほぼ全員がネット依存症やケータイ依存症のようになってしまい、みんながそうなので、多数決の原理によって、それが正常ということになっている」ような気もする。「依存症、みんなでなれば怖くない」?

実用上一番怖いのは、「コンピューターおたくもどき」になった現代人の多くが、セキュリティーやプライバシーに恐ろしく鈍感…ということ。ほとんどあらゆるものが、デフォルト設定でやりたい放題、覗き放題。手動で詳細設定してさえ、ほとんど手に負えないのに、平気で「同意する」人々。(申し訳程度に「プライバシーについて」という小さい文字のリンクがあるが、クリックしても、曖昧なことが分かりにくく書いてあるだけ)

今の Windows OS に関する限り、最大のセキュリティーホールは OS(特に自動更新)それ自体。だって強制的に遠隔操作され、運次第で起動しなくなったり、周辺機器が動かなくなったり…。相性問題は「パーツを自分で選べる自由さ」の代償とはいえ、一般人には荷が重い。

XPのときの「アクティベーション」でさえ「これは気持ち悪い」と本能的に嫌がられていたものだが…そういうコメントをよく見かけたが…今から思えば、XPなんて、のどかだった。XP/7 くらいまでは慣れれば我慢できる範囲として、それ以降、更新するたびに、どんどん使いにくくなっているという話を聞く。フリーソフトウェア(オープンソース)の立場からは、マイクロソフトのやってることは「追い風」とさえいえるだろう。

Linux の世界では、ユーザーが OS を所有する。マイクロソフトWindowsでは、OS がユーザーを所有する。誇張でも比喩でもなく、文字通りそうなので、しゃれにならない。

Apple信者は、Appleを使いたくて使っているわけで(これは歴史的に理解できる)、それで幸せなんだろうけど、Windowsを心から使いたくて使っている人がどれだけいるのだろうか。「仕事や環境の都合で成り行き的に使っているだけで、必要なソフトが別のOS上で動くなら、Windowsでなくてもいい」という人の方が多いのではないだろうか。

2021-09-13 Matroskaのフォント問題 ffmpeg にも

https://trac.ffmpeg.org/ticket/9419 support current standard font mimetypes in matroska metadata

ffmpeg 系でも、新規格未対応により字幕表示が乱れている模様。

(背景情報) MKV埋め込み字幕用フォントのMIME問題

2021-09-15 「鎮痛剤の自販機」がある職場 Amazonの巨大倉庫やばい

https://duckduckgo.com/lite?q=Emily%20Guendelsberger%20pain

https://searx.mha.fi/search?q=Emily%20Guendelsberger%20pain

多少の誇張とかもあるのでしょうが、秒単位の管理、トイレ回数のカウントなどは今の技術なら普通か…

効率を上げるため(余計な雑談をさせないため)、従業員同士が接近しないように、アルゴリズム的にコントロールしてるらしい。エミリーさんいわく、肉体的な苦痛より、それが一番きつかったと。おしゃべり好きでない人には、かえって働きやすい?

従業員IDを使って、自動的に1回分の鎮痛薬を出せるマシーン。「根性で働け!」という単純なブラックとは違う。「きついと感じる人には、痛み止めを支給すればいい」という究極の合理主義。

オンラインショッピング業界のこんな内情を知ると、気軽に買い物したり、細かいことを問い合わせたりするのが、ためらわれてしまう。荷物をトラッキングして「何やってんだ、どこそこから1日動かないじゃないか」とか思ってる客の裏側では、血の通った人間が働いてるんだよね…。もう当日発送とかじゃなくていいから…みんな、ゆっくりしようよ?

2021-09-26 ドラえもん


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